宇宙的真理と光合成

宇宙的真理と光合成

帰るところのないひとのブログ

逃げるところのないひとのブログ

Amebaでブログを始めよう!

今日、27になった。

後戻りできないアラサー。手の施しようのないアラサー。日曜から体調不良、昨日はひどい雨で頭痛と吐き気でとても辛かったため、

シフトを変更して休みにした。ぼっちバースデー。

昨日は職場で鶏レバー缶と鉄プラスウエハースを貰った。

日付が変わってから、家族、前の職場の先輩、長い間会っていない友人、

それからずっと変わらず付き合ってくれている友人、

わたしにとってはたくさんの大切な人からおめでとうと言ってもらえた。



去年の誕生日はもう疲れ果てていて、仕事中ずっと何錠薬を飲んだらいいか考えていた夕飯の後、部屋で不二家の抹茶あんみつを食べた。

それから部屋を暗くして、机の上に薬を並べて、ひとつひとつビールで流し込んだ。

気が付いたら病院のベッドに寝ていた。19で東京に出て拒食症になってから、わたしの人生は本当に変わってしまった。


もう少しタフだったら、あるいは強かだったら。

ひとりでも友達が作れていたら。違う方法で自分に自信が持てていたら。

もう、どうしようもないこと。



あの時点で変わらなくても、大したことはなかったかもしれない。

でも、もう少ししあわせだったかもしれない。

毎年誕生日を迎えるたび、申し訳なくてやりきれなくなる。

あと1年、あと1年、やっとやっとで生きている。



“死にたい”とは思わない、少なくとも、今は。

行動に移す気力すらなくなっただけかもしれない。

自殺に付随する様々な問題点や失敗に伴うリスクが、踏みとどまらせているだけかもしれない。

何かの加減で少しでも揺らげば、すべてどうでもよくなるかもしれない。

ただ、わたしはこの先一生、“生きたい”とは思わないだろうと思う。

そもそもこれまで一度も思ったことがない。

そういう種類の人間なんだ、そもそも。



今月末には姪が産まれる。

本当に、しあわせになってほしいと思う。

両親も、兄の家族にも。



今年。

2月に祖父が亡くなり3月に兄が結婚式を挙げ、その直後に通勤中瞬間的に意識がなくなり、2度車をぶつけた。そして車通勤を禁止された。

そのうちの1件は電柱との物損事故で処理されるはずだったがなぜか電柱脇に駐車していた車の持ち主から訴えられ、9月頃訴状が届いた。信頼している保険会社に任せっきりにしているものの、これまで26年間、幸福にも家族や他人との諍いを経験してこなかった自分にとって、この世界に、それも生活圏内に自分に恨みを持っている人間がいるというのはとてもおそろしいことのように思えた。

昨年結婚式を挙げた嘱託職員の先輩が妊娠し、それに伴い仕事の負担は増していった。

4月の人事異動により益々それは増していき、わたしは毎日作り笑顔に必死なこの女は一体誰なのだろうと考えていた。

しばらくすると作り笑顔をすることすら困難になってきたようで、受付カウンターのアンケート用紙に「笑顔がない」と書かれた。それが上司に伝わった。

笑っているつもりでしたとも言えず、ただただ自分のせいで不快な思いをしている人がいるのだな、という事実に、頭を殴られたような気持ちだった。

これまで自分が好意を持って接していた職員が、継続的にせよ一時的にせよ、自分に負の感情を抱いているのだという当たり前のことになぜいままで気づかなかったのだろうと思った。

自分はばかで愚か自堕落で、けれどただただ単純に生きてさえいれば、恙無く過ごしていけるものだと思っていたのだった。

かなしかった。

両親に送迎を頼み、毎日毎日死にたいと思いながら仕事を続けていた。

26の誕生日にODをし、生まれて初めて救急車に乗ったようだった。記憶がすっぽりと抜け落ちて、夢と微睡と現実と妄想の間を漂っていた。

そうしているうちに、職を失った。



寒さで目が覚めた朝。

やっとやっと年賀状をかきおえて、することがないのでマッサージに行こうと思ったら、

加藤さんがおやすみ。

夕方から生理がはじまってしまったので、泣く泣くお正月に予約をいれた。


風邪気味で調子が悪かったのだけど、リビングを整理してたら火がついてしまって、

自分の部屋の掃除をはじめてしまった。

とりあえずいらないものを捨てた。

ごみ袋ふたつ。

大掃除なんて何年もしていなかったから、いろんなものが出てくる。

大学のレポートとか、集めてたレゴブロックとか、摂食障害がひどかったとき溜めこんだ保存食みたいなものとか、いろいろ。

そういうものをどんどんごみ袋に詰めていく。

この、とっくに賞味期限の切れたカップスープを買ったとき、わたしはどんな気持ちだっただろう。

とても苦しい時期だった。

どこにも逃げ場がなかった。

たべることと痩せることと死ぬことばかり考えていた。

それしか考えることがなかった。


中学のときも高校のときも大学のときも、つらかったときの記憶はほとんどない。

ただ1日も、「ああしあわせだった、あしたもいい日だといいな」と思ったことはない、と思う。

そういう自分だから自信がないのか、自信がないからそうなってしまうのか、考えてもしょうがない。

手首を切っても痩せても、わたしの根底にあるどろどろはなくならない。


過去や、希死や、パニック障害や、摂食障害や、そういうものをすべて捨てることはできない。

でもそれは、それらを含めた自分を愛せるようにならなければということではない。

どんなにちいさくしまっておいても、突然爆発する日がきっとくる。

わたしは、自分の世界を持たなければならない。

平和で、存在価値のある、存在意義のある、幸福な世界を。

爆発が最小限にとどまるような世界を。

爆発しても、もうひとりぼっちにならない世界を。



日が短くなってくると、とても不安になる。

はやく帰りたくてしょうがなくなる。

帰ったって、なにをするってわけじゃない。


最近、偏食というか、摂食障害が悪化してきている。

朝と昼はほとんどたべない。

夜に1.5人前くらいたべる。野菜ばっかり、家族が引くくらい。

おふろはいって、こんどは甘いもの。しょっぱいもの。あまいもの。

すきなもの、決めたカロリー内でなんでもたべる。

ばかみたいだ。

ばかみたいな生活だ。

でもいちばん安心する生活だ。

外食はコンビニ以外まったくしない。こわいから。たべた気がしないから。

いくら運動をしても、いいコスメをつかっても、なおせない。

治す気はあるんだ、きっと。でも不安でできない。

すきなものを、自分のすきなようにたべることが、こころのよりどころなの。

くだらないけれど、そうなの。


仕事で、自分の担当している事業の日が迫ってきて、

他にも任されていることがたくさんあって、こわい。

やりがいとか、なくなないけれど。

ほめられればうれしい。認めてもらえれば自信がつく。

でもきっと、一生は続けられない。

そういう種類の仕事じゃない。すくなくとも、今の班では。


25になった。

わたしはいろんなことを変えたし、変わった。

避けていた産婦人科に通い始めて、メンタルクリニックにも行って、

皮膚科で漢方ももらうようになって、コスメをいいものにした。

運動の強度を上げたし、たんぱく質をすこしずつとれるようになった。

仕事をはじめて、無理にでもわらうようになって、忙しさとプレッシャーとで、

じりじり自分を追い詰める余裕すらなくなった。

ひとにあまえられるようになったし、素直になることのたいせつさも学んだ。


25になった。

わたしは相変わらず、ひとを愛せないままだ。

どうしてなのか、よくわからない。

兄が結婚し、職場の先輩が結婚する。

数少ない友人にはほとんど恋人がいる。

どうしてだろう。

わたしはきっと自分ばっかりなんだろう。

こどもなんだろう。

かわいがられたいばっかりなんだ、与えられたいばっかりなんだ、いつも。


本が読めなくなった。



高校のときを思い出す。

もうすぐ10年前にもなる。

わたしはあのとき、救ってあげられなかった。

救いを求めていたのかも、わからないけれど。

もっとたいせつにすればよかった。

ずっと後悔している。穴が開いている。

いま、どこでなにをしているのか、まったくわからない。

もしあのとき、本気で死のうとしていたのなら、いっしょに死ねばよかった。

時が経つほど、わたしは死から見放されてゆく。

あんなに深くよりそっていたのに。

後悔し続ける、17のとき、死ななかったこと。

なにもわかっていない、わかった気でいるだけの、しあわせなとき。

思いかえす。

何度も、何度も。