ゆめをみる | 宇宙的真理と光合成

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帰るところのないひとのブログ

逃げるところのないひとのブログ

日が短くなってくると、とても不安になる。

はやく帰りたくてしょうがなくなる。

帰ったって、なにをするってわけじゃない。


最近、偏食というか、摂食障害が悪化してきている。

朝と昼はほとんどたべない。

夜に1.5人前くらいたべる。野菜ばっかり、家族が引くくらい。

おふろはいって、こんどは甘いもの。しょっぱいもの。あまいもの。

すきなもの、決めたカロリー内でなんでもたべる。

ばかみたいだ。

ばかみたいな生活だ。

でもいちばん安心する生活だ。

外食はコンビニ以外まったくしない。こわいから。たべた気がしないから。

いくら運動をしても、いいコスメをつかっても、なおせない。

治す気はあるんだ、きっと。でも不安でできない。

すきなものを、自分のすきなようにたべることが、こころのよりどころなの。

くだらないけれど、そうなの。


仕事で、自分の担当している事業の日が迫ってきて、

他にも任されていることがたくさんあって、こわい。

やりがいとか、なくなないけれど。

ほめられればうれしい。認めてもらえれば自信がつく。

でもきっと、一生は続けられない。

そういう種類の仕事じゃない。すくなくとも、今の班では。


25になった。

わたしはいろんなことを変えたし、変わった。

避けていた産婦人科に通い始めて、メンタルクリニックにも行って、

皮膚科で漢方ももらうようになって、コスメをいいものにした。

運動の強度を上げたし、たんぱく質をすこしずつとれるようになった。

仕事をはじめて、無理にでもわらうようになって、忙しさとプレッシャーとで、

じりじり自分を追い詰める余裕すらなくなった。

ひとにあまえられるようになったし、素直になることのたいせつさも学んだ。


25になった。

わたしは相変わらず、ひとを愛せないままだ。

どうしてなのか、よくわからない。

兄が結婚し、職場の先輩が結婚する。

数少ない友人にはほとんど恋人がいる。

どうしてだろう。

わたしはきっと自分ばっかりなんだろう。

こどもなんだろう。

かわいがられたいばっかりなんだ、与えられたいばっかりなんだ、いつも。


本が読めなくなった。



高校のときを思い出す。

もうすぐ10年前にもなる。

わたしはあのとき、救ってあげられなかった。

救いを求めていたのかも、わからないけれど。

もっとたいせつにすればよかった。

ずっと後悔している。穴が開いている。

いま、どこでなにをしているのか、まったくわからない。

もしあのとき、本気で死のうとしていたのなら、いっしょに死ねばよかった。

時が経つほど、わたしは死から見放されてゆく。

あんなに深くよりそっていたのに。

後悔し続ける、17のとき、死ななかったこと。

なにもわかっていない、わかった気でいるだけの、しあわせなとき。

思いかえす。

何度も、何度も。