25になった。
実感がない。相変わらずひとりだし、あたまのなかはなにも変わっていない。
きっとこんな風にして、こんな風なまま、歳を取っていくのだろう。
いま、生きていて、
生まれてきてよかったとか、生きているのがしあわせだとは、思えない。
ただ、いちばんつらくてかなしくて自分のなかにぎゅうぎゅうに閉じこもっていたとき、
毎日毎日泣いて切って死にたくて申し訳なくていつも追い立てられるみたいに息苦しかった、
あのとき、あのまま、あの感覚のまま、なにも残さずに、なにも返さずに、死ななくてよかったと思う。
ほんとうにそう思う。
仕事をはじめて、たくさんのことに気付いて、
自分のいいところもわるいところも、受け容れていけるようになった。
無理にでも笑わなくちゃいけない環境は、しあわせなのかもしれない。
避けていたともだちにも会えるようになった。
自分が働いて稼いだおかねで、すきなものが買える。
おとうさんとおかあさんに、たくさんプレゼントできる。
単純に恩返しがしたいのか、むかし欲しかった愛情の見返りを求めているのか、わからないけれど。
でもふたりがよろこんでくれるから、それだけで、いい。
わたしは回復していない。
摂食障害、パニック障害、強迫観念、鬱、無月経。
それは社会人としての生活に、円満な職場関係に支障をきたす。
ピルのせいもあるけれど、5月くらいからはほとんど1日1食で、ほかにはアイスとおかしと甘いもので生きている。
体力はない。つくはずがない。
きょうプールに行ったとき体重をはかったら、予想より2kgくらい重かった。
ピルとめちゃくちゃな食生活のせいで、全身がむくんで体が重い。
だけどむくみだけじゃなくて、確実に太った。
女性ホルモンを出させているから、皆無だった胸がちょっとおおきくなった。
そっちのほうがうれしい。
前の生理が終わってから、1週間後にまた生理が来た。
わけがわからないし、しんどい。
それでもピルを飲むということは、産婦人科に通うということは、メンタルクリニックに通うということは、
わたしが生きようとしている意志のあらわれなんだ。
それだけでいいんだ。いまは。
落ち込みそうになったら、ねちゃう。
泣きなくなったら、泣いちゃう。
弱音は吐かない。
愚痴は言わない。
たのしかったことは、ひとに伝える。
甘えたくなったら、甘える。
わたしができること。
いまは、いっしょうけんめい、いきる。
がんばるけど、らくに、いきる。
あしたは、仕事だ。