忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史) -26ページ目

文部科学部会長 義家弘介「教育現場から子供たちを救え!~北教組問題視察報告」




平和闘争資金w
どこでも金だな。
親が「法律違反だ!」と文句を言っていくしかない。

日本及び日本人としての意識の抹殺を企図する教育はもう完成しているんじゃないだろうか

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 近代の繁栄を否定することは、驚くべき非常識であらうか。しかし過去の時代に於いて、老子が、釈迦が、孔子が、そしてキリストが、当時の繁栄をその政治もろともに否定した態度もここにあつた。近い時代に於いて、本居宣長が、大鹽平八郎が、さらにガンヂーが、そしてトルストイも、つひに到達した決意であつた。かうした人々の到達の過程に於いて、我々は人間のもつ誠実が、いたましいまでに厳粛であり、神聖を思わせる高貴にみちたものなることを痛感するのである。
 わが国の戦後再建の原動力を、史的に考察し、その自覚に到達することは、将来の光明と希望の根拠となり、さらに理想上の義務と責任の発見となるであらう。一民族の理想が、人道の希望として人類に共通する厳然とした事実がここに存在する。しかし目下の問題は、日本の生命と歴史から隔離する目的の教育の下に成長してきた世代の増大といふ点にある。今日の重大にして最も不幸な問題は、ここに帰着するのである。
 民族の理想と使命を明らかにする歴史教育の放棄は、戦後の精神面にわたる破壊の最大のものであつた。国史の伝承と精神を破壊した戦後教育界に並んで、国語体系の破壊も行はれたのである。国語文法を官僚的な独断で改変し、権力を私してこれを強行したことは、僅かに印刷工程上の便宜に資するにすぎないものであつた。国語の秩序を紊乱することは、戦後の風俗となつてゐる。国語の尊厳を自覚し、正しい国語を愛する心をもつことは、文教と文明の根柢であり、風教の基礎である。この国語と国史の破壊は原子爆弾の直接に行つたところでない、兵力を伴ふ外部の権力がそのすべてを行つたのでもない。実に国の内部に於いて、自国民の手によって行はれたところであつた。それを背後より操作する国際共産主義者の陰謀の実態とその巧妙の組織を、平常心の冷静さを以て看破しなければならない。
 日本及び日本人としての意識の抹殺を企図する教育が、多くの抵抗をうけるのは当然のことである。その反抗は単に民族意識の感情から起るものでなく、真理と智恵の立場からする、非合理と反人倫に対する抵抗である。教育の偏向がひき起こした教養の欠如は、国民的自覚の弛緩となり、混乱と危機を助長してゐる。
今日の危機の有力な原因の一つは、戦争の結果としての精神面の破壊に対応する方策の怠慢の結果である。これを経済政策による国民所得の向上によつて、精神上に原因をもつ危機を脱し得ると考へる如きは、国難に当たる為政者の資格を大いに欠くものである。教学の根本の確率を尊重することは、現在文明の諸国家に共通することである。
 しかし無軌道に混乱した世代に於いてさへ、我々は本有の民族の血統の不滅を信ずる。若い世代の疾風怒濤的な狂躁の行為の中から、漸次個人の責任を根拠とした激発が現はれつつあるのは、乱極まって治に至る前兆であらう。それを前兆たらしめねばならないのである。国の復興の事実に安住することは、今日の正しい態度ではない。この安住を不信とし、危惧をいだきやがて恐怖を思ふ最も若い世代の純情が挺身して予防の行為に当たることは、悲しみに耐へない。まさに悲壮である。激発の根拠と根柢を察知し、その行為を憎む代りに悲しむ。憤るよりも痛まねばならない。物質面の再建を遂行した力を考へ、その力が歴史と伝統といふ民族の原始以来伝統として蓄積された精神の力に他ならぬ事を悟り、その構造を明らめ、これを自覚に導くことが、精神面の復興に他ならず、また目下の混乱に対応する緊急の方法である。
 戦後復興の第一義に考へるべき教育の問題に於いて、わが国の教育は国民意識の破壊こそ行つたけれど、真になすべき何事もなさず、形式と外観の粧いにのみ努めたのである。この再建の功を為政者として私することは、何人にも許されぬ事である。国民所得が増大すれば、精神上の原因を持つ危機が解消すると考へる如きは、心術の低さか、時代認識の甘さか、いづれかの見解である。戦後の経済再建を経済政策の成功と考へる如きも、復興の原動力となつた国民精神のあり方を理解せぬものの思ひ上がりにて、歴史と伝統について、無知なるか、高慢なるか、浅薄の見識の表明である。
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保田輿重郎「述史新論」より









青山繁晴のココだけ話!(日本のチャンス 天皇制)