稚内 乙女の碑
ソ連が日ソ中立条約を破って、そのう日本がポツダム宣言を受諾した八月十五日の後、日本に攻め込んできた戦闘。占守島の戦い。
その時の悲話の一つが、真岡電話局にソ連軍が攻め込んでくる最後の瞬間まで残って、通信維持の使命に殉じた9人の乙女の話がある。
それの泣けるFLASH があった。
信用してはならない国、ソ連。今のロシアも変わらず信用できない。北方領土を返さないから。
「皇国史観」=悪 ではない1
引用ーー(「日本は神の国ではないのですか 加地伸行編著 (「神の国発言に耳を傾けよ 長谷川三千子)」
「皇国史観」のもつ意味
「皇国史観」とはいったいどんな歴史観なのか──たとえば平凡社の『世界大百科事典』は、その内容の特徴を、まずこんな風に記述しています。
「①日本は神国であり、皇祖天照大神の神勅(<天壌無窮の神勅>)を奉じ、<三種の神器>を受け継いできた万世一系の天皇が統治してきたとする、天皇の神性とその統治の正統性、永遠性の主張」
これ白体は、決して間違った解説ではありません。これは『日本書紀』にも『古事記』にも書かれているとおりの内容で、たしかに「皇国史観」というものは、そうした故事を重要視して、そこに道徳的な意味を見出してゆくという考え方なのですから、まずはこれで十分に正しい解説だと言うことができます。
ところが、この解説の最後の方には、こんな言い方が見られます。
「……この史観は大束亜共栄圏の建設の名の下に、国民を大規模な侵略戦争に駆り立
てるうえで大きな役割を果たした」
いったいどのようにしてこの史観が「国民を大規模な侵略戦争に駆り立てる」役割を果たしたのか、最初の説明文とは、どうもはかばかしくもむすびつきません。すでに戦後のわれわれの頭のなかに、「皇国史観=戦争イデオロギー」という連想ができあがっているので、こういう解説の文章を見ても、すんなりと受け入れてしまうのですが、先入見なしに眺めてみれば、どうして「<三種の神器>を受け継いできた万世一系の天皇が統治」してきた神国日本、という考え方が、「国民を大規模な侵略戦争に駆り立てる」ことになるのか──そこにはまったく必然的なつながりというものがありません。
たしかに、この「三種の神器」は玉と鏡と剣の三つによって成り立っているので、それ、「剣」が含まれているではないか、と言う人もあるかも知れません。しかし、東西を間わず、古来の王権神話には「神剣」という表象がつきものであって、そうした表象を含んでいるから、その伝承がただちに戦闘的な性格のものだと言うことはできません。それどころか、むしろ「皇国史観」は、この「剣」のもつ、別の側面を強調してさえいるのです。
この『世界大百科事典』にも言及されているとおり、『日本書紀』や『古事記』の内容を「思想的」に解釈して、そこから「皇国史観」のもととなるべき思想を明らかにした最初の著書が北畠親房の『神皇正統記』であったと言ってもよいと思うのですが、そのなかで、この「剣」については、こんな風に述べられています。
「剣ハ剛利決断ヲ徳トス。知恵ノ本源ナリ」。ちなみに、そこでは、鏡と玉については、それぞれ「正直ノ本源」「慈悲ノ本源」という言い方がなされています。つまり、玉も鏡も剣も、すべて徹底した「徳治主義」を表したものととらえられているわけなのです。
こういう「三種の神器」を受け継いできた天皇の治める国が、どうして「侵略戦争」をするということになるのか?──不可思議千万と言わなければなりません。ところが、この『世界大百科事典』の解説者(中島三千男さん)は、格別何の不思議も感じていない様子なのです。
さらに、角川書店の『日本史辞典』になりますと、いきなり結論だけをこんな風に述べています。
「大義名分論と国粋主義・排外主義により構成された歴史観。……近代史においても専制支配と海外侵略を合理化・肯定する主張を行なう」
たしかにこういった事典や辞典では、各項目のスペースが限られていますから、十分な論証ができなかったり、ただ結論だけを書かざるをえなかったりするのは致し方ありません。しかし、それにしても、もう少し事柄そのものをよく見て、よく考えて書いてほしい。そうすれば自ずと、その結論の部分の方が間違っているのだということに気付くはずなのです。
責任をもって事実を記述すべき専門家たちにしてこのありさまなのですから、一般の人々が、「皇国史観」について、この角川の『日本史辞典』をそのままの見方を鵜呑みにしてしまうのは、無理もないと言えます。おそらく、あの産経新聞の社説を書いた人も、ただ素直に「字引き通り」の意味で「皇国史観」という言葉を使ったにすぎなかったのだと思います。
そして、このように、本来は何につけても頼りになるはずの事典や辞典がまるで頼りにならない以上、われわれは本当に白分の目で、この史観がどのような歴史観であり、政治思想であるのかを、しっかりと眺めてみなければならないということになります。
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