忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史) -214ページ目

無防備マンが行く!

漫画で分かる"無防備地域宣言" 平和願って出版



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 戦争をしない平和な世界づくりを地域から進める「無防備地域宣言」を知ってもらおうと、大阪市東住吉区の似顔絵作家、秋元裕美子(著者名・あきもとゆみこ)さん(45)が漫画「無防備マンが行く!」を出版する。明快なイラストとせりふで同宣言や平和主義をわかりやすく紹介している。

 秋元さんは約二十年前から大阪・ミナミやキタの飲食店などで日銭を稼ぐ「ネオン街の流しの似顔絵描き」として知られる。一九九一年の湾岸戦争をきっかけに平和について考えるようになり、イラクの子どもらに救援金を送る似顔絵イベントなどを展開してきた。

 しかし、二〇〇三年にイラク戦争が開戦すると「戦争、紛争の煙が立ってからの反対運動」に無力感を覚えた。そんな時、〇四年に始まった地元・大阪市で国際人道法(ジュネーブ条約)に基づく同宣言の条例化を求める署名活動を知り、「普段から積極的に平和をつくっていく」活動のあり方に強く共感、署名集めに参加したという。

 漫画は活動を行った「無防備地域宣言をめざす大阪市民の会」の依頼を受け、昨年夏からインターネットのブログで発表した作品が中心。

 平日はサラリーマンという兼業ヒーローと、平和主義を勉強する中学生が主な登場人物。同宣言の意義や仕組みを解説するほか、「軍隊は住民を守らない。まず命を失うのは弱い人々」という沖縄戦の体験談や、戦争放棄をうたった憲法九条についても紹介している。

 今、危惧(きぐ)するのは社会に広がりつつある「無関心」「あきらめ」「恐怖心」だという秋元さん。「誰もが戦争は嫌なはず。実際に軍隊をなくすのは難しいけれど声を上げ続けていくことが必要。その思いが少しでも広がっていけば」と話している。

 同時代社(東京都)から十五日に発刊。新書判二百四十ページ。千円。問い合わせは電話03(3261)3149、同社へ。

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理想が高いですなあ。戦争がなくなるならそれが一番ですがね。

やはりそうもいかんわけです。日本のまわりには核を持っている国ばかりです。「誰もが戦争は嫌なはず。実際に軍隊をなくすのは難しいけれど声を上げ続けていくことが必要。その思いが少しでも広がっていけば」この言葉はまず中国に言ってほしい。

そこでこれ。

敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする

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 世界とともに平和に生きることを欲しないスイス人があろうか。戦争を非としないスイス人がいるだろうか。われわれが軍隊を国境に置いているのは、他の国がわれわれを平和に生きさせておいてくれるためである。
 人類の幸福は、われわれにとって重要なことだ。われわれは力の及ぶ限りそれに貢献している。たとえば赤十字の活動、開発途上国に対する援助、戦争状態にある国の利益代表など。ところが、現実はこのとおりである。
 それを知らないとしたら、われわれは、お人好しであり、軽率だということになるだろう。われわれを取り囲む国々が武装し続ける限り、われわれは国家の防衛を怠ることはできない。
 ヨーロッパで対立する交戦国によるスイス攻撃の可能性を、われわれは、最近の二つの大戦の経験にかんがみて、よく考えなくてはならない。
 潜在的は敵を仮定--その宣伝文句に基づいて判断することは、たとえその宣伝文の中に、聖書の文句が引用されていようとも、できないことだ。われわれは、にせ平和主義者たちが、武装するのをやめないでいることを確認している。われわれの信念は誠実なものである。われわれは、だれ一人殺そうとするつもりはないが、ただ正当防衛を確保しなければならぬ。
 われわれが武器を使用せざるをえないようなことがないように!われわれは、これ以上に真摯な願いを持たない。

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まるで日本のために書かれたような内容ですな

「われわれを取り囲む国々が武装し続ける限り、われわれは国家の防衛を怠ることはできない」


軍拡しているのは日本ではありません。

朝日新聞の手にかかればほれこの通り

mumur さんのところに載ってたんだけどおもしろいからのせました。


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「日の丸」デザインに緊張感 コムデギャルソンの挑戦

2006年11月14日


 日の丸は美しいか? 10月に開かれた07年春夏パリ・コレクションで、コムデギャルソン(川久保玲)が日本の国旗をモチーフにした新作を発表し、少なからぬ反響を巻き起こした。大きな反発や非難はなかったが、会場で感じられた戸惑いやあいまいさに、日の丸や日本への視線が透けて見えた。

 コムデギャルソンのショーでは、赤い太陽がほぼすべての服に登場した。Tシャツにプリントされ、続いてジャケットやスカートの大きな模様になり、「白地に赤」は抽象的なストライプとしても使われた。

 デザインの主題は紛れもなく「日の丸」だった。ショーの音楽や演出はことさら日本を強調するものではなかったが、観客席には互いの反応を探り合うような、緊張感が走った。

 ショー後の舞台裏で、川久保氏は「主題はキュービスム」、日の丸は「究極のシンプルな美しいデザインなので」と語った。服の形と日の丸を解体して新たに構成したとの趣旨だった。

 しかし解体・再構築についていえば、川久保氏は従来もっと冒険的で精巧に積み重ねてきた。立体を平面上で表現するキュービスムも、もともと立体である服にはあまりそぐわない。

 言外に意図したのは、日の丸イメージの再構築だったのではないか。日の丸を抱いた服は、赤と白、強さとフェミニンなしなやかさ、攻撃性ともろさ、といった対比に富んでいた。

 海外のメディアでは、フィガロ紙は「日本はキレる? 伝統に亀裂が? 川久保はそう言っているように見える」。スタイル・ドット・コムは「安倍晋三が新首相に選ばれ日本が微妙な転換期にある今、あの赤い丸に注目せざるを得ない」として、「彼女は自身が思う純粋な日本の美をあえて表明した」と評した。

 だが、こうした明快な言い方は例外的。ヘラルド・トリビューンの「川久保の反逆的な直感」など、日の丸については踏み込みを避けた論評が多かった。

 中国や韓国の観客は会場にほとんどいなかった。ベトナム人デザイナーは「彼らが冷静に受け止めるかどうか疑問だね」と語った。

 川久保氏にも日の丸使用へのためらいはあったという。造形としての美しさに「送り手も受け手も素直になれない」、すっきりとしない、あいまいな状況へのいら立ちを、帰国後、示した。そして「国にも何とかしてもらわないと」と。

 ショーでは、出来損ないの日本髪のようなヘアや下手な白塗りメークなど、近代日本の西欧化のちぐはぐさを揶揄(やゆ)するような毒もはらんでいた。だが、服全体は極めて美しかった。

 「色々ありましたけれども……」。今回の新作は、批評性を保ちつつも日の丸に象徴された近・現代日本を何とか引き受けようとする試みだったようだ。

 この姿勢は、日の丸や日本の美しさを安易に語ることへの警鐘でもある。しかし最も挑戦したかったのは、批判も肯定もしにくい状況だったように思える。

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すべては日本の右傾化・ナショナリズムに結びつけることが可能。

すごいなあ朝日新聞は。

憲法無効論か?憲法改正論か?小山常実 渡部昇一