日本への回帰
日本への回帰
我が独り歌へるうた
1
少し以前まで、西洋は僕等にとつての故郷であつた。昔浦島の子がその魂の故郷を求めようとして、海の向うに竜宮をイメーヂしたやうに、僕等もまた海の向うに、西洋といふ蜃気楼をイメーヂした。だがその蜃気楼は、今日もはや僕等の幻想から消えてしまつた。あの五層六層の大玻璃宮に不夜城の灯が燈る「西洋の図」は、かつての遠い僕等にとつて、鹿鳴館を出入する馬車の礫蹄と供に、青春の詩を歌はせた文明開化の幻燈だつた。だが今では、その幻燈に、見た夢の市街が現実の東京に出現され、僕等はそのネオンサインの中を彷徨してゐる。そしてしかも、かつてあつた昔の日より、少しも楽しいとは思わないのだ。僕等の蜃気楼は消えてしまつた。そこで浦島の子と同じやうに、この半世紀に亘る旅行の後で、一つの小さな玉手箱を土産として、僕等は今その「現実の故郷」に帰ってきた。そして蓋を開けた一瞬時に、忽然として祖国二千余年の昔にかへり、我れ人共に白髪の人と化したことに驚いているのだ。
2
明治以来の日本は、殆ど超人的な努力を以て、死物狂ひに西欧文明を勉強した。だがその勉強も努力も、おそらく自発的動機から出たものではない。それはペルリの黒船に脅かされ、西洋の武器と科学によつて危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る為に、止むなく自衛上からしたことだつた。聡明にも日本人は、敵の武器を以て敵と戦ふ術を学んだ。(支那人や印度人は、その東洋的自尊心に禍され、夷狄を学ばなかつたことで侵略された。)それ故に日本人は、未来もし西洋文明を自家に所得し、軍備や産業のすべてに亘って、白人の諸強国と対抗し得るやうになつた時には、忽然としてその西洋崇拝の迷夢から醒め、自家の民族的自覚にかへるであらうと、ヘルンの小泉八雲が今から三十年も前に予言してゐる。そしてこの詩人の予言が、昭和の日本に於て、漸く現実されて来たのである。
明治の初年、東京横浜間に最初の汽車が開通した時、政府の公告にもかかはらず、民衆の乗客が殆んどなかった。牛乳を飲むことさえも、異人臭くなると言つて嫌つた当時の人々は、すべての文明開化的の利器に対して、漠然たる恐怖と嫌悪の情をもつていからである。明治政府の苦心は、かかる攘夷的頑迷固陋の大衆を、いかにして新しく指導すべきかと言ふことだつた。伊藤博文等の政府大官が、自ら率先して鹿鳴館にダンスを踊り、身を以て西洋心酔の範を示したことも、当時の国情止むを得ざることであつた。自ら西洋文化に心酔することなくして、いかにしてそれを熱心に学ぶことが出来ようか。過去僅か半世紀の間に、日本が西洋数百年の文明を学得したのは、世界の奇蹟として万人の驚異するところであるが、この奇蹟を生んだ原動力が、実に鹿鳴館のダンスにあり、国をあげて陶酔した、文明開化への西洋崇拝熱にあつたことを知らねばならぬ。
しかしその西洋心酔の真最中にも、日本は治外法権を撤廃し、条約改正を行ひ、朝鮮の不義を糾弾し、あくまで民族的自主の国家意識を失わなかつた。即ち八雲が観察した如く、日本人の西洋崇拝熱は、西洋に隷属する為の努力でなくして、逆に西洋と対抗し、西洋と戦ふ為の努力であつた。そして遂に支那を破り、露西亜と戦ひ、今日事実上に於て世界列強の一位に伍した。もはや我々は、すくなくとも国防の自衛上では、学ぶだけの者は自家に学んだ。そこで初めて人々は長い間の西洋心酔から覚醒し、漸く自己の文化について反省して来た。つまり言へば我々は、過去約七十年に亘る「国家的非常時」の外遊から、漸く初めて解放され、自分の家郷に帰省することが出来たのである。だがしかし、僕等はあまりに長い間外遊して来た。そして今家郷に帰った時、既に昔の面影はなく、軒は朽ち、庭は荒れ、日本的なる何者の形見さへもなく、すべてが失われてゐるのを見て驚くのである。僕等は昔の記憶をたどりながら、かかる荒廃した土地の隅々から、かつて有つた、「日本的なるもの」の実体を探さうとして、当もなく侘しげに徘徊してゐるところの、世にも悲しい漂泊者の群れなのである。
かつて「西洋の図」を心に画き、海の向こうに蜃気楼のユートピアを夢見て居た時、僕等の胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れていた。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき真の家郷は、世界の隅々を探し廻って、結局やはり祖国の日本より外にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の図が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、至る所に俗悪なビルヂングを建立しているのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑ひのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失してはいないのである。
我は何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり
と僕はかつて或る叙情詩の中で歌つた。まことに今日、文化の崩壊した虚無の中から、僕等の詩人が歌ふべき一つの歌は、かかる二律反則によつて節奏された、ニヒルの漂泊者の歌でしかない。AはAに非ず。Aは非Aに非ず。といふ弁証論の公式は、今日の日本に於て、まさしく詩人の生活する情緒の中に、韻律のリリシズムとして生きてるのだ。
3
僕等は西洋的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰つてきた。その巡歴の日は寒くして悲しかつた。なぜなら西洋的なるインテリジエンスは、大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかつたから。僕等は異端者として待遇され、エトランゼとして生活して来た。しかも今、日本的なるものへの批判と関心を持つ多くの人は、不思議にも皆この「異端者」とエトランゼの一群なのだ。或る皮相な見解者は、この現象を目してインテリの敗北だと言ひ、僕等の戦ひに於ける「卑怯な退却」だと宣言する。しかしながら僕等は、かつて一度も退却したことは無かつたのだ。逆に僕等は、敵の重囲を突いて盲滅法に突進した。そしてやつと脱出に成功した時、虚無の空漠たる平野に出たのだ。今、此所には何物影像もない。雲と空と、そして自分の地上の影と、飢ゑた孤独の心があるばかりだ。
西洋的なる知性は、遂にこの国に於て敗北せねばならないだらうか。遂にその最後の日に、僕等は「虚無」と衝突せねばならなすだらうか。否否。僕等はあへてそのニヒルを蹂躙しよう。むしろ西洋的なる知性の故に、僕等は新日本を創設することの使命を感ずる。明治の若い詩人群や、明治のロマンチックな政治家たちが、銀座煉瓦街の新東京を徘徊しながら、青白い煉瓦燈の下に夢見たことは、実にただ一つのイデー──西洋的知性(インテリジエンス)──といふことではなかつたらうか。なぜならそれこそ、あらゆる文明開化のエスプリであり、新日本の世界的新興を意味するところの、新しき美と生命との母音であるから。過去に我等は、支那から多くの抽象的言語を学び、事物をその具象以上に、観念化することの知性を学んだ。そしてこの新しいインテリジエンスで、万古無比なる唐の壮麗な文化を摂取し、白鳳天平の大美術と、奈良飛鳥の雄健な叙情詩を生んだのである。今や再度我々は、西洋からの知性によつて、日本の失はれた青春を回復し、古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意思してゐるのだ。
現実は虚無である。今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる。だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の建設に向かつて這ひ上がつてくる。僕等は絶対者の意思である。悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、最も絶望的に失望しながら、しかも尚前進への意思を捨てないのだ。過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだった。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なヂレンマに逢着して、二重に救ひがたく悩んでゐるのだ。孤独と寂寥とは、この国に生れた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰! それは僕等の詩人にとつて、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ、暫く我が静かなる周囲を去れ。
(「萩原朔太郎 新学社近代浪漫派文庫21」)
これは昭和十年代に書かれたもの。この後日本は大東亜戦争に破れてしまう。敗戦で日本に回帰しようとしていた流れも途絶える。
このころから、日本は未だに一歩も進んでいないのではないだろうか。しかし、だとするなら「我は何物をも喪失せず」もまた、生きているはずだ。
敗戦という、長い日本の歴史にまた一つ寂寥するものが増えたけれど、それでもやはり、僕等が帰る所は日本なんだ。
我が独り歌へるうた
1
少し以前まで、西洋は僕等にとつての故郷であつた。昔浦島の子がその魂の故郷を求めようとして、海の向うに竜宮をイメーヂしたやうに、僕等もまた海の向うに、西洋といふ蜃気楼をイメーヂした。だがその蜃気楼は、今日もはや僕等の幻想から消えてしまつた。あの五層六層の大玻璃宮に不夜城の灯が燈る「西洋の図」は、かつての遠い僕等にとつて、鹿鳴館を出入する馬車の礫蹄と供に、青春の詩を歌はせた文明開化の幻燈だつた。だが今では、その幻燈に、見た夢の市街が現実の東京に出現され、僕等はそのネオンサインの中を彷徨してゐる。そしてしかも、かつてあつた昔の日より、少しも楽しいとは思わないのだ。僕等の蜃気楼は消えてしまつた。そこで浦島の子と同じやうに、この半世紀に亘る旅行の後で、一つの小さな玉手箱を土産として、僕等は今その「現実の故郷」に帰ってきた。そして蓋を開けた一瞬時に、忽然として祖国二千余年の昔にかへり、我れ人共に白髪の人と化したことに驚いているのだ。
2
明治以来の日本は、殆ど超人的な努力を以て、死物狂ひに西欧文明を勉強した。だがその勉強も努力も、おそらく自発的動機から出たものではない。それはペルリの黒船に脅かされ、西洋の武器と科学によつて危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る為に、止むなく自衛上からしたことだつた。聡明にも日本人は、敵の武器を以て敵と戦ふ術を学んだ。(支那人や印度人は、その東洋的自尊心に禍され、夷狄を学ばなかつたことで侵略された。)それ故に日本人は、未来もし西洋文明を自家に所得し、軍備や産業のすべてに亘って、白人の諸強国と対抗し得るやうになつた時には、忽然としてその西洋崇拝の迷夢から醒め、自家の民族的自覚にかへるであらうと、ヘルンの小泉八雲が今から三十年も前に予言してゐる。そしてこの詩人の予言が、昭和の日本に於て、漸く現実されて来たのである。
明治の初年、東京横浜間に最初の汽車が開通した時、政府の公告にもかかはらず、民衆の乗客が殆んどなかった。牛乳を飲むことさえも、異人臭くなると言つて嫌つた当時の人々は、すべての文明開化的の利器に対して、漠然たる恐怖と嫌悪の情をもつていからである。明治政府の苦心は、かかる攘夷的頑迷固陋の大衆を、いかにして新しく指導すべきかと言ふことだつた。伊藤博文等の政府大官が、自ら率先して鹿鳴館にダンスを踊り、身を以て西洋心酔の範を示したことも、当時の国情止むを得ざることであつた。自ら西洋文化に心酔することなくして、いかにしてそれを熱心に学ぶことが出来ようか。過去僅か半世紀の間に、日本が西洋数百年の文明を学得したのは、世界の奇蹟として万人の驚異するところであるが、この奇蹟を生んだ原動力が、実に鹿鳴館のダンスにあり、国をあげて陶酔した、文明開化への西洋崇拝熱にあつたことを知らねばならぬ。
しかしその西洋心酔の真最中にも、日本は治外法権を撤廃し、条約改正を行ひ、朝鮮の不義を糾弾し、あくまで民族的自主の国家意識を失わなかつた。即ち八雲が観察した如く、日本人の西洋崇拝熱は、西洋に隷属する為の努力でなくして、逆に西洋と対抗し、西洋と戦ふ為の努力であつた。そして遂に支那を破り、露西亜と戦ひ、今日事実上に於て世界列強の一位に伍した。もはや我々は、すくなくとも国防の自衛上では、学ぶだけの者は自家に学んだ。そこで初めて人々は長い間の西洋心酔から覚醒し、漸く自己の文化について反省して来た。つまり言へば我々は、過去約七十年に亘る「国家的非常時」の外遊から、漸く初めて解放され、自分の家郷に帰省することが出来たのである。だがしかし、僕等はあまりに長い間外遊して来た。そして今家郷に帰った時、既に昔の面影はなく、軒は朽ち、庭は荒れ、日本的なる何者の形見さへもなく、すべてが失われてゐるのを見て驚くのである。僕等は昔の記憶をたどりながら、かかる荒廃した土地の隅々から、かつて有つた、「日本的なるもの」の実体を探さうとして、当もなく侘しげに徘徊してゐるところの、世にも悲しい漂泊者の群れなのである。
かつて「西洋の図」を心に画き、海の向こうに蜃気楼のユートピアを夢見て居た時、僕等の胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れていた。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕等の住むべき真の家郷は、世界の隅々を探し廻って、結局やはり祖国の日本より外にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の図が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、至る所に俗悪なビルヂングを建立しているのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑ひのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失してはいないのである。
我は何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり
と僕はかつて或る叙情詩の中で歌つた。まことに今日、文化の崩壊した虚無の中から、僕等の詩人が歌ふべき一つの歌は、かかる二律反則によつて節奏された、ニヒルの漂泊者の歌でしかない。AはAに非ず。Aは非Aに非ず。といふ弁証論の公式は、今日の日本に於て、まさしく詩人の生活する情緒の中に、韻律のリリシズムとして生きてるのだ。
3
僕等は西洋的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰つてきた。その巡歴の日は寒くして悲しかつた。なぜなら西洋的なるインテリジエンスは、大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかつたから。僕等は異端者として待遇され、エトランゼとして生活して来た。しかも今、日本的なるものへの批判と関心を持つ多くの人は、不思議にも皆この「異端者」とエトランゼの一群なのだ。或る皮相な見解者は、この現象を目してインテリの敗北だと言ひ、僕等の戦ひに於ける「卑怯な退却」だと宣言する。しかしながら僕等は、かつて一度も退却したことは無かつたのだ。逆に僕等は、敵の重囲を突いて盲滅法に突進した。そしてやつと脱出に成功した時、虚無の空漠たる平野に出たのだ。今、此所には何物影像もない。雲と空と、そして自分の地上の影と、飢ゑた孤独の心があるばかりだ。
西洋的なる知性は、遂にこの国に於て敗北せねばならないだらうか。遂にその最後の日に、僕等は「虚無」と衝突せねばならなすだらうか。否否。僕等はあへてそのニヒルを蹂躙しよう。むしろ西洋的なる知性の故に、僕等は新日本を創設することの使命を感ずる。明治の若い詩人群や、明治のロマンチックな政治家たちが、銀座煉瓦街の新東京を徘徊しながら、青白い煉瓦燈の下に夢見たことは、実にただ一つのイデー──西洋的知性(インテリジエンス)──といふことではなかつたらうか。なぜならそれこそ、あらゆる文明開化のエスプリであり、新日本の世界的新興を意味するところの、新しき美と生命との母音であるから。過去に我等は、支那から多くの抽象的言語を学び、事物をその具象以上に、観念化することの知性を学んだ。そしてこの新しいインテリジエンスで、万古無比なる唐の壮麗な文化を摂取し、白鳳天平の大美術と、奈良飛鳥の雄健な叙情詩を生んだのである。今や再度我々は、西洋からの知性によつて、日本の失はれた青春を回復し、古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意思してゐるのだ。
現実は虚無である。今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる。だが僕等の知性人は、かかる虚妄の中に抗争しながら、未来の建設に向かつて這ひ上がつてくる。僕等は絶対者の意思である。悩みつつ、嘆きつつ、悲しみつつ、そして尚、最も絶望的に失望しながら、しかも尚前進への意思を捨てないのだ。過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだった。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なヂレンマに逢着して、二重に救ひがたく悩んでゐるのだ。孤独と寂寥とは、この国に生れた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰! それは僕等の詩人にとつて、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ、暫く我が静かなる周囲を去れ。
(「萩原朔太郎 新学社近代浪漫派文庫21」)
これは昭和十年代に書かれたもの。この後日本は大東亜戦争に破れてしまう。敗戦で日本に回帰しようとしていた流れも途絶える。
このころから、日本は未だに一歩も進んでいないのではないだろうか。しかし、だとするなら「我は何物をも喪失せず」もまた、生きているはずだ。
敗戦という、長い日本の歴史にまた一つ寂寥するものが増えたけれど、それでもやはり、僕等が帰る所は日本なんだ。
【ザ・コーヴ】「表現の自由と尊厳をまもる」ため、様々な抗議活動の展開を断固として支持する。
【桜・ニュース・ダイジェスト】第188号より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「表現の自由と尊厳をまもること」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
反捕鯨団体シーシェパードのグループが製作したといわれる映画
「ザ・コーヴ」の日本国内上映をめぐり、またぞろ「進歩的知識人」の連中
や、抗議活動に怯えた上映館主達が、上映会やシンポジウム、記者会見
を開いた。
二年前に起きた、中国人監督が文化庁の助成金等で製作した映画
「靖国」と同じやり方である。
右派や右翼が「表現の自由」を邪魔しているから、みんなでこの映画上映
を支援し、表現の自由を守ろうというわけだ。
チャンネル桜では、6月21日のシンポジウムと上映館発表の記者会見を
取材した。
登壇者は、田原総一郎氏(ジャーナリスト)、石坂啓氏(漫画家)、崔洋一
氏(映画監督)といった面々である。
彼等は、一様に「内容は色々問題があっても、ともかく表現の自由、上映
の自由は守られるべきであり、上映中止運動には反対する」という立場で
ある。
崔洋一氏は、私も所属している日本映画監督協会の理事長だが、「監督
協会には桜チャンネルのような人もいれば、いろんな立場の人がいる」
「(個人としては)この映画自体はプロパガンダ映画そのものだが、上映の
自由は守られるべきだ」と、概略述べていた。
監督協会は映画「靖国」のとき、勝手に理事会が監督協会名で上映支持
と政治家介入非難の声明を出したので、私は単身、協会に乗り込んで
抗議をしたことがあった。
約六百名の会員の中で「保守」または「右翼」と目されているのは、私を含め
数名しかおらず、大部分は左翼、またはリベラルと呼ばれる人々である。
何も政治的思想で映画監督を分別することはないが、それにしても映像
分野でのこういう現状は、マスメディアの現状とも同じものであり、戦後日本
が「情報伝達」分野でいかに偏った状態にあるかを示している。
まことに日教組の戦後教育の効果の「偉大さ」を感ずる。
さて、取材陣からの報告で、面白いエピソードがあった。
シンポジウムと記者会見が終わり、チャンネル桜取材陣が崔氏にインタ
ビューを申し込み、話を聞き始めたとき、崔氏はチャンネル桜の取材と
知り、またカメラが回っていることに気づき、崔洋一氏自身の了解なくこの
インタビューを放映しないようにと述べた。
これはある意味で当然の要求なのだが、うちのスタッフはさらに突っ込む
べきだったのである(報告を受けた後、私はスタッフに言った)。
というのも、映画「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町のイルカ漁の漁師の
皆さんの了解を得ぬまま隠し撮りされ、上映されようとしているものだからだ。
これは太地町漁民だけではなく、日本漁民、そして日本人全体の名誉と
誇りを毀損するものであり、太地町の漁業協同組合はじめ、日本人全体が
抗議をすべきだからである。
つまり、私が言ったのは、崔洋一氏には、あなたの要求と同じように、
あの映画も太地町漁民の了解を得て撮影され、上映されるべきではない
ですか?と突っ込むべきだったというわけである。
この映画や映画「靖国」の場合もそうだったように、撮影対象者の了解も
無く、あるいは撮影対象者に嘘を言い、ある特定の政治的意図を持って
事実の捏造や歪曲を行ったプロパガンダ映画は数多い。
私たちが現在行っている一万人のNHK集団訴訟も、同じ類のものである。
こういった映像作品の上映は「表現の自由」の範疇ではどのように考える
べきなのだろうか。
結論から言えば、こういうプロパガンダ映画はファシスト国家や全体主義
者達がやる手段であり、「表現の自由と尊厳」を破壊する一種のテロ映画
であり、本当に表現の自由と尊厳を守りたいなら、この映画に対し抗議し、
映画上映にも抗議すべきなのである。
太地町の漁民に隠れてこそこそ撮影し、それで商業上映して金儲けを
しようと言うのだから、彼等はありとあらゆる手段の抗議を真正面から
受ける義務と責任がある。
それは、映画館と館主も同様である。
つい最近、横浜地裁が映画上映に反対する人々に対し、映画館の半径
百メートル以内での街宣活動などを禁じる仮処分決定を出したそうだが、
まことに理不尽な決定である。
表現の自由は、何か天からの贈り物のように厳然と太古から存在したもの
では無い。
人々が血と汗と涙で勝ち取り、創り出して来たものだ。
映画表現も含めて、全ての表現の尊厳も、人間が獲得し、それを守り続け
てきているものである。
私たちは、表現の自由と尊厳を破壊しようとする、シーシェパードを代表と
するファシストと彼等のプロパガンダと戦わなければならない。
これは日本を守る戦いであり、表現の自由と尊厳を守る「情報戦争」である。
「ザ・コーヴ」を上映しようとしている映画館主達も、表現の自由と尊厳を
破壊してまで、プロパガンダ映画で金儲けしようとするのだから、抗議活動
を真正面から受ける覚悟で性根を据えて上映を決めるが良い。
私は「中止」を強要はしないが、「表現の自由と尊厳」を守りたい立場から、
様々な抗議活動の展開を断固として支持する。
同時に、今回、この抗議活動に立ち上がった人々も支持する。
近々、チャンネル桜でも、この問題を討論で取り上げてみたいと考えている。
さて、「表現の自由」を守れと言いながら、シーシェパード達のプロパガンダ
戦術にまんまと乗せられたか、意識的にか分からないが、上映に賛成する
「表現の自由と尊厳」の破壊に手を貸す人々を紹介しておく。
[緊急アピール] 映画「ザ・コーヴ」上映中止に反対する!
賛同者(五十音順)
青木理(ジャーナリスト)、A (参院選立候補者のため記載せず)、飯田
基晴(ドキュメンタリー映画監督)、飯室勝彦(中京大学教授)、池添
徳明(ジャーナリスト)、池田香代子(翻訳家)、石坂啓(マンガ家)、
石丸次郎(ジャーナリスト/アジアプレス)、岩崎貞明(『放送レポート』
編集長)、上野千鶴子(社会学者)、生方卓(明治大教員)、大谷昭宏
(ジャーナリスト)、小田桐誠(ジャーナリスト)、桂敬一(立正大学文学
部講師)、釜井英法(弁護士)、北村肇(『週刊金曜日』編集長)、國森
康弘(フォトジャーナリスト)、是枝裕和(映画監督)、崔洋一(映画監督)、
斎藤貴男(ジャーナリスト)、坂上香(ドキュメンタリー映画監督、津田塾
大学教員)、坂野正人(映像ジャーナリスト)、坂本衛(ジャーナリスト)、
佐高信(評論家)、佐藤文則(フォトジャーナリスト)、澤藤統一郎(弁護
士)、篠田博之(月刊『創』編集長)、柴田鉄治(ジャーナリスト)、下村
健一(市民メディア・アドバイザー)、ジェイソン・グレイ(ジャーナリスト)、
ジャン・ユンカーマン(映画監督)、張雲暉(映画プロデューサー)、
白石草(OurPlanet-TV代表)、杉浦ひとみ(弁護士)、鈴木邦男(作家)、
想田和弘(映画作家)、田原総一朗(ジャーナリスト)、土屋豊(映画
監督/ビデオアクト)、土井敏邦(ジャーナリスト)、豊田直巳(フォトジャ
ーナリスト)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、中山武敏(弁護士)、
七沢潔(ジャーナリスト)、野田雅也(ジャーナリスト)、野中章弘(ジャー
ナリスト/アジアプレス)、橋本佳子(プロデューサー)、服部孝章(立教
大教授)、林克明(ジャーナリスト)、原寿雄(ジャーナリスト)、日隅一雄
(弁護士)、日高薫(ジャーナリスト)、広河隆一(『DAYS JAPAN』編集長)、
藤井光(現代美術家・映像ディレクター)、森達也(作家・映画監督)、
森広泰平(アジア記者クラブ事務局長)、安岡卓治(映画プロデューサー)、
山上徹二郎(映画プロデューサー)、山本宗補(フォトジャーナリスト)、
豊秀一(新聞労連委員長)、リ・イン(映画「靖国」監督)、綿井健陽(ジャ
ーナリスト/アジアプレス)
※ 「映画『ザ・コーヴ』上映とシンポジウム」(6月9日・東京都) にて発表
先日、このエッセイでも取り上げさせていただいた昭和史研究所代表の
中村粲先生(獨協大学名誉教授)が逝去されました。
謹んで先生の御冥福をお祈り申し上げます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中村氏この間まで元気に桜に出ていたとおもったのに。悲しいです。
「崔洋一氏には、あなたの要求と同じように、あの映画も太地町漁民の了解を得て撮影され、上映されるべきではないですか?」
ものすごく当然の話です。どうも日本では「表現の自由」ってやつは左翼にしかないようです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「表現の自由と尊厳をまもること」
日本文化チャンネル桜代表 水島 総
反捕鯨団体シーシェパードのグループが製作したといわれる映画
「ザ・コーヴ」の日本国内上映をめぐり、またぞろ「進歩的知識人」の連中
や、抗議活動に怯えた上映館主達が、上映会やシンポジウム、記者会見
を開いた。
二年前に起きた、中国人監督が文化庁の助成金等で製作した映画
「靖国」と同じやり方である。
右派や右翼が「表現の自由」を邪魔しているから、みんなでこの映画上映
を支援し、表現の自由を守ろうというわけだ。
チャンネル桜では、6月21日のシンポジウムと上映館発表の記者会見を
取材した。
登壇者は、田原総一郎氏(ジャーナリスト)、石坂啓氏(漫画家)、崔洋一
氏(映画監督)といった面々である。
彼等は、一様に「内容は色々問題があっても、ともかく表現の自由、上映
の自由は守られるべきであり、上映中止運動には反対する」という立場で
ある。
崔洋一氏は、私も所属している日本映画監督協会の理事長だが、「監督
協会には桜チャンネルのような人もいれば、いろんな立場の人がいる」
「(個人としては)この映画自体はプロパガンダ映画そのものだが、上映の
自由は守られるべきだ」と、概略述べていた。
監督協会は映画「靖国」のとき、勝手に理事会が監督協会名で上映支持
と政治家介入非難の声明を出したので、私は単身、協会に乗り込んで
抗議をしたことがあった。
約六百名の会員の中で「保守」または「右翼」と目されているのは、私を含め
数名しかおらず、大部分は左翼、またはリベラルと呼ばれる人々である。
何も政治的思想で映画監督を分別することはないが、それにしても映像
分野でのこういう現状は、マスメディアの現状とも同じものであり、戦後日本
が「情報伝達」分野でいかに偏った状態にあるかを示している。
まことに日教組の戦後教育の効果の「偉大さ」を感ずる。
さて、取材陣からの報告で、面白いエピソードがあった。
シンポジウムと記者会見が終わり、チャンネル桜取材陣が崔氏にインタ
ビューを申し込み、話を聞き始めたとき、崔氏はチャンネル桜の取材と
知り、またカメラが回っていることに気づき、崔洋一氏自身の了解なくこの
インタビューを放映しないようにと述べた。
これはある意味で当然の要求なのだが、うちのスタッフはさらに突っ込む
べきだったのである(報告を受けた後、私はスタッフに言った)。
というのも、映画「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町のイルカ漁の漁師の
皆さんの了解を得ぬまま隠し撮りされ、上映されようとしているものだからだ。
これは太地町漁民だけではなく、日本漁民、そして日本人全体の名誉と
誇りを毀損するものであり、太地町の漁業協同組合はじめ、日本人全体が
抗議をすべきだからである。
つまり、私が言ったのは、崔洋一氏には、あなたの要求と同じように、
あの映画も太地町漁民の了解を得て撮影され、上映されるべきではない
ですか?と突っ込むべきだったというわけである。
この映画や映画「靖国」の場合もそうだったように、撮影対象者の了解も
無く、あるいは撮影対象者に嘘を言い、ある特定の政治的意図を持って
事実の捏造や歪曲を行ったプロパガンダ映画は数多い。
私たちが現在行っている一万人のNHK集団訴訟も、同じ類のものである。
こういった映像作品の上映は「表現の自由」の範疇ではどのように考える
べきなのだろうか。
結論から言えば、こういうプロパガンダ映画はファシスト国家や全体主義
者達がやる手段であり、「表現の自由と尊厳」を破壊する一種のテロ映画
であり、本当に表現の自由と尊厳を守りたいなら、この映画に対し抗議し、
映画上映にも抗議すべきなのである。
太地町の漁民に隠れてこそこそ撮影し、それで商業上映して金儲けを
しようと言うのだから、彼等はありとあらゆる手段の抗議を真正面から
受ける義務と責任がある。
それは、映画館と館主も同様である。
つい最近、横浜地裁が映画上映に反対する人々に対し、映画館の半径
百メートル以内での街宣活動などを禁じる仮処分決定を出したそうだが、
まことに理不尽な決定である。
表現の自由は、何か天からの贈り物のように厳然と太古から存在したもの
では無い。
人々が血と汗と涙で勝ち取り、創り出して来たものだ。
映画表現も含めて、全ての表現の尊厳も、人間が獲得し、それを守り続け
てきているものである。
私たちは、表現の自由と尊厳を破壊しようとする、シーシェパードを代表と
するファシストと彼等のプロパガンダと戦わなければならない。
これは日本を守る戦いであり、表現の自由と尊厳を守る「情報戦争」である。
「ザ・コーヴ」を上映しようとしている映画館主達も、表現の自由と尊厳を
破壊してまで、プロパガンダ映画で金儲けしようとするのだから、抗議活動
を真正面から受ける覚悟で性根を据えて上映を決めるが良い。
私は「中止」を強要はしないが、「表現の自由と尊厳」を守りたい立場から、
様々な抗議活動の展開を断固として支持する。
同時に、今回、この抗議活動に立ち上がった人々も支持する。
近々、チャンネル桜でも、この問題を討論で取り上げてみたいと考えている。
さて、「表現の自由」を守れと言いながら、シーシェパード達のプロパガンダ
戦術にまんまと乗せられたか、意識的にか分からないが、上映に賛成する
「表現の自由と尊厳」の破壊に手を貸す人々を紹介しておく。
[緊急アピール] 映画「ザ・コーヴ」上映中止に反対する!
賛同者(五十音順)
青木理(ジャーナリスト)、A (参院選立候補者のため記載せず)、飯田
基晴(ドキュメンタリー映画監督)、飯室勝彦(中京大学教授)、池添
徳明(ジャーナリスト)、池田香代子(翻訳家)、石坂啓(マンガ家)、
石丸次郎(ジャーナリスト/アジアプレス)、岩崎貞明(『放送レポート』
編集長)、上野千鶴子(社会学者)、生方卓(明治大教員)、大谷昭宏
(ジャーナリスト)、小田桐誠(ジャーナリスト)、桂敬一(立正大学文学
部講師)、釜井英法(弁護士)、北村肇(『週刊金曜日』編集長)、國森
康弘(フォトジャーナリスト)、是枝裕和(映画監督)、崔洋一(映画監督)、
斎藤貴男(ジャーナリスト)、坂上香(ドキュメンタリー映画監督、津田塾
大学教員)、坂野正人(映像ジャーナリスト)、坂本衛(ジャーナリスト)、
佐高信(評論家)、佐藤文則(フォトジャーナリスト)、澤藤統一郎(弁護
士)、篠田博之(月刊『創』編集長)、柴田鉄治(ジャーナリスト)、下村
健一(市民メディア・アドバイザー)、ジェイソン・グレイ(ジャーナリスト)、
ジャン・ユンカーマン(映画監督)、張雲暉(映画プロデューサー)、
白石草(OurPlanet-TV代表)、杉浦ひとみ(弁護士)、鈴木邦男(作家)、
想田和弘(映画作家)、田原総一朗(ジャーナリスト)、土屋豊(映画
監督/ビデオアクト)、土井敏邦(ジャーナリスト)、豊田直巳(フォトジャ
ーナリスト)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、中山武敏(弁護士)、
七沢潔(ジャーナリスト)、野田雅也(ジャーナリスト)、野中章弘(ジャー
ナリスト/アジアプレス)、橋本佳子(プロデューサー)、服部孝章(立教
大教授)、林克明(ジャーナリスト)、原寿雄(ジャーナリスト)、日隅一雄
(弁護士)、日高薫(ジャーナリスト)、広河隆一(『DAYS JAPAN』編集長)、
藤井光(現代美術家・映像ディレクター)、森達也(作家・映画監督)、
森広泰平(アジア記者クラブ事務局長)、安岡卓治(映画プロデューサー)、
山上徹二郎(映画プロデューサー)、山本宗補(フォトジャーナリスト)、
豊秀一(新聞労連委員長)、リ・イン(映画「靖国」監督)、綿井健陽(ジャ
ーナリスト/アジアプレス)
※ 「映画『ザ・コーヴ』上映とシンポジウム」(6月9日・東京都) にて発表
先日、このエッセイでも取り上げさせていただいた昭和史研究所代表の
中村粲先生(獨協大学名誉教授)が逝去されました。
謹んで先生の御冥福をお祈り申し上げます。
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中村氏この間まで元気に桜に出ていたとおもったのに。悲しいです。
「崔洋一氏には、あなたの要求と同じように、あの映画も太地町漁民の了解を得て撮影され、上映されるべきではないですか?」
ものすごく当然の話です。どうも日本では「表現の自由」ってやつは左翼にしかないようです。