文部省女性課長とは誰だ?? | メメントCの世界

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文部省女性課長とは誰だ??

稽古も終盤です。通し稽古が進んでいます。

そして、今更ながら、石巻美香さんが赤坂離宮国会図書館仮庁舎で演じる、文部省の女性課長はいったい誰なのか?気になりました。中井正一が、全集4巻で書いているのは、図書館法を上程するのに、大蔵省へ人海戦術で、あの手、この手で、予算がつく法案にするために、苦心した話。

 

ついに、NDLの検索で、人事簿を調べたら、それが、山村民子(たみ)さんだということが分かりました。

はなめいと さんのブログから転載させていただきます。

 

 

「筆者は女性初の視学官(教育行政官)として、文部省課長(教育施設課)の第1号に就任した山室民子。〝社会鍋〟で知られるキリスト教の慈善団体「救世軍」の創始者、山室軍平の妻で民子の母親でもある(旧姓)佐藤機恵子(1874~1916年)は花巻の素封家の長女として生まれた。〝廃娼運動〟など社会の慈善事業に取り組む両親の下に生まれた民子は東京女子大を卒業後、アメリカ・カリフォルニア大学に留学。その後、ロンドンにある救世軍士官学校に入学するなど両親の影響を強く受けた。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の下で進められる民主化政策に共鳴し、CIE(民間情報教育局)のすすめもあって、文部省入り。当時の高まる気持ちをこう綴っている。」

 「私は文字通り、公僕である。日本は武装を解いた。今は文化を以て立つ外はなく、それにつけても教育の重要であることを思わざるを得ない。及ばずながら私が新生日本の教育のための一つの捨石ともなれば、幸せであり光栄である。若い人びとよ、私を踏んで伸び上がってくれ」(「夕刊みやこ」1946年9月)―。日本初の〝文化立法〟と言われた「図書館法」は私たちの先人のほとばしるような情熱が産み落としたものであることを忘れてはなるまい。」



山室たみさんは、山村運平さんの長女で、何でお父さんを知っているかというと、廃娼運動の本に運平さんが必ず出てくるのです。

たみさんは、戦前にアメリカ留学経験もあり、戦後の文部省初の女性管理職に抜擢されたのです。

人事簿を調べると、文部省社会教育施設課の課長となっていて、国会図書館の方にも仕事で行ったようですね。

彼女は、のちに政治家にもなります。

敗戦直後に、新しい文化の形、図書館法にみんなが期待を抱いた歴史を見た思いです。

 

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