宴のあとに
終演して、小道具や衣裳を片付けたり、経理処理をしていると、真っ先にこの言葉が浮かびます。
「宴のあと」正に、芝居は宴。そのあとの片づけが物悲しくも、浮かれ具合の引きずり方も、そういう感じにぴったりなのです。
アンケートへのご解答もありがとうございます。
観客の皆さんは、ほぼ全員、外山さん演じる主人公の凄さに圧倒されたようです。
初演からまたグレードアップした出演者の芝居、アンサンブルの妙を喜んで下さる方ばかりで、とても嬉しいです。
地方から遠路をはるばる、ご来場下さった皆様にも感謝です。
大平洋食堂以来の再会だったお客様もいました。
コロナもあったので、本当に3年ぶりに遠方のお客様にも恵まれた今年です。
アンケートを読んでいると、重い芝居だったという意見と、楽しかったという意見があって、なるほどと思います。
重いだけじゃなくてしっかり味わってくれたんだな、と思うわけです。
病気のことも、恐怖感がありました、とか、介護されていたので、正視できるか心配だったという声もありました。
全くそうですよね。
私にとっては、相当に過去のことでも、今、正に介護されているご家族が観劇されたら、色々と不安になるかもしれません。
でも、手と手のぬくもりが伝われば、そこにしっかりと愛情も伝わっているよ、というメッセージを拾って帰ってくださったようで、ホッとしています。
言葉が通じなくても、温もりが通じるのですから。
トークゲストの、秋山正子先生も、上野千鶴子先生も、認知症は逃れられないのだと言ってました。
そして、認知症にならない予防ではなく、なっても大丈夫な社会をつくるのだと。
私たち世代が頑張ることですね。
介護保険という社会保障も、揺らいでいます。ぼーーーーっとしていると、介護保険サービスが手に入らなくなります。
上野先生は「介護サービスがしっかりしていることが、お芝居の設定に重要で、もしも、数年経って、介護サービスが改悪されたら、昔はよかったわね!っていう芝居になっちゃうかもね」と言ってましたが、確かにその通り。
今なら、子どもが居なくても両親の独居介護は可能です。
そうなんです。
一人でも生きたいように生きられる。
芝居は終わりましたが、現実は終わりません。どうぞ、皆様、これを機会に介護サービスについて考えてくださいね。