稽古場リポート 続き
稽古場リポート、滞っておりました。
その間にも、高橋さんの緻密な演出によって稽古場ではちゃくちゃくと稽古が進んでいます。
劇場条件が厳しい中、様々な工夫で坑道の中をはい回り、石炭を掘削しています。
つくづく思うのは、地方語の美しさ、その音の響きの豊かさです。
地底で叫ぶ女坑夫の声に魅せられています。
色とりどりの稽古着が稽古場を彩ってますが、もっと真っ黒でまっくろけで裸で炭塗れの人たちが、
石炭をほっていたんですね。
今の私たちからみれば悲惨すぎる仕事に見えますが、仕事というのはやってる本人しか
分からない部分があります。
女の人が炭坑で働くのは大変だという印象ですが、力仕事を必用とする職業全てにおいて、大変なんだと思います。
私が20代の頃、まだ舞台スタッフの女性は少数派でした。確かにスピーカーは重いし、体力さは大きいです。しかし自分の職能を生かしやったことがはっきりする仕事というのは、自分の慰めになるもので、いくらストレスが大きくてもやはりやりがいがありました。
今では、音響も照明も、舞台監督も女性が珍しくないし、ヘアメイクや衣装を男性がするのも当たりまえです。職能の前に男女差はないのだとおもいます。
直方市石炭歴史館蔵
森崎さんは朝鮮で学校の校長の先生の父を持ち、母は若くして病死。いわゆる支配者階級の娘として、何一つ不自由せずに育ちました。生活の言葉、方言の無い正しい日本語で学ぶ中、朝鮮支配の苛烈さを目の当たりと自身の傷として、終戦間際に、九州に引揚げました。
彼女の恵まれた結婚生活の中、 戦後に二児をラマーズ法で産んだ驚くべき出産経験は、彼女に改めて女性性の不思議をつきつけます。哺乳類が胎生し、そこから別の個体を生み出し、乳で育てるという子育ては、猿もブタもウサギもイルカもクジラも変わりません。そういう動物の如くというか、意思とか理性の外にあるような自然の営みが、森崎さんに個人とは自分とはどこからどこまでなのか、という問いをもたらしたのでした。
どこまで森崎さんに迫れるのか?まだまだ稽古は続きますので、とても楽しみです。
女は何が欲しいのか?さあ、探しにいきましょう!