ソプラノ 柳本幸子 リサイタル | メメントCの世界

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ソプラノ 柳本幸子 リサイタル with 塚田佳男

「珠玉の日本歌曲の世界 初恋

日本歌曲における演奏・解釈・指導の第一人者 塚田佳男先生をお招きして」

りゅーとぴあ 4月10日 

 

 

私は雪の新潟を知らない。

2019年の頭から、ほぼ二年間、新潟市秋葉区の市民ミュージカル、ワークショップに携わることができた。私を推薦したくれたのは、音楽家の片野慎吾先生だ。片野先生とはミュージカルを何本も作った。それで、新潟とは何の縁もない私を、先生が推薦してくれた。企画が通り、SLの町である新津機関区、花卉栽培、旭観音という土地の歴史を折り込んだミュージカルを、新潟のアーティストたちと作ることができた。柳本先生は、現地で歌唱指導を勤めることになり、出会うことができた。秋葉区の会館ではミュージカル以外に、少年少女合唱団「赤い鳥」も作り、活動していた。その指導者でもあった柳本先生と初めて会った日のことが忘れられない。

 

 Divaが居る、しかも並大抵の人ではないということが、会話を交わす内にビシビシと伝わってきた。いわゆるミュージカル参加者は音楽教育を専門に受けたわけではない、幅広い人材が集まっているので、その指導には尋常ではない指導力が必用だ。柳本先生は、最短距離で素直にまっすぐ、無理のない響く声を作る方法を、惜しげもなく教授し、出演者たちの声を変えていった。丁寧に、力強く、そして優しく。私は正直、この指導を受けられる参加者がとても羨ましかった。小学生が多い「赤い鳥」の子どもたちは、とても素晴らしい合唱で、本格的な活動が待望されていた。

 

 

 

 全部話すと長くなるので、このリサイタルのことに話を戻したい。

 このコロナの間、新潟へ行けなかった。先生のリサイタルを春になったら必ず聞こうと思っていた。ちょっと前まで膀胱炎だのなんだのと具合を悪くしていた私だったが、幸い10日は道で転ぶこともなく、出かけることができた。

 私は春の新潟を一番、沢山、訪れている。今回、古町からそぞろ歩きながら、満開の櫻に圧倒された。「久方の 光のどけき春の日に しず心なく 花の散るらむ」現実感さえ失わすような桜が咲き誇って、雅びに人々を誘っていた。りゅーとぴあは、さながら櫻の海に浮かぶ船のようだった。

 

 ヴィンヤード式のホールは音響がいい。しかしそこでソロで歌うには、シューボックスのホールよりも声のコントロールの力量が問われる。りゅーとぴあのコンサートホールは、小ぶりなサントリーホールという印象で、さぞやパイプオルガンには丁度いいすり鉢の深さなのではという感じがした。

 下手の扉が開いて、人魚ブルーのドレスの歌手が、伴奏の塚田氏と共に現れた。そして、相川おけさを「はあ~~」と歌いだした。その曲は、一度、アカペラで聞いたことあったが、最初の発声からもっていかれた。その厚みと抒情は、驚くべき塚田氏のピアノの音色と共に、新潟の海の向こうのユーラシアを連想させる響きだった。スタンウェイの倍音とソプラノが混じりあい、海のザブン、ザーンという波の重なりに身体を委ねたようだった。

 プログラムは有名な日本歌曲、しかも、北原白秋の「砂山」を中山晋平と山田耕作の両方で聞かせるのだから、堪らない。伴奏というのとは違う、塚田氏の構築する日本歌曲の和声は、複雑なコードの中で捉えるべき響きを自在に操って、オーケストラの様に歌い手を揺さぶる。しかし歌い手もそこはうまくしたもので、その波を乗りこなし、波頭のてっぺんから、奈落の底まで人魚が群れ遊ぶ様に歌い切った。そして、その歌の中のキャラクターがしっかりと浮かんでくるのだ。彼女の真骨頂が最も現れたのは、深尾須磨子・作詞/橋本國彦・作曲の、『舞』だ。娘道成寺の世界を歌ったものだが、ベールを被った歌手は、変化しながら清姫の悲恋を演じた。彼女はまた女優でもある。ボローニャの俳優学校を主席で卒業したという経歴は、歌詞を深く読み解き、さまざな表情を息とともに繰り出す表現力の土台を作っている。そう、彼女は脚本を本当によく読みこんでくれる。圧巻の清姫が終わり、二幕では、「さくら横ちょう」をこれも、中田喜直と別宮貞雄の両方で聞いた。♪はーるの宵 桜が咲くと~~ 大学時代に何度、伴奏したことか。でも知っている曲と全く違う響きに驚き、物悲しさに涙腺が刺激されている間に、鶯の様なクロマティックの下降にクラクラする。

 

 ユーモアのセンスとアーティキュレーションも抜群に「オオカミの大しくじり」を演じ歌った後に、松谷みよ子の「ぼうさまになったからす」に泣かされた。戦争の悲しみ、期せずしてこのプログラムは鎮魂歌を終盤にもってくることで、世界と繋がった。そう、新潟の海の向こうの大陸へと。私たちはこのホールで音楽を聴き、感動している。しかし世界には悲しみにくれている人がいる。彼女の祈りを感じ、そして歌詞である日本語へのこだわりに、聴衆も背筋が伸びる。計算されつくされたシラブルと母音のバランス、客席へ飛んだあとの声の効果、余韻、そのすべてが豊穣の海となって流れ込んでくる客席で、私は幸福だった。

 響きが消える瞬間のその美しさ、減衰の刹那は、彼岸の世界に似ている。

舞台で笑う柳本幸子は、迦陵頻伽だった。益々の活躍を祈ってやまない。