露国小話『爆裂弾』 翻訳 大石誠之助
ある国に爆弾騒ぎがあったのであろう。
ある日、王様は
「如何なる家屋の内に於いても、爆弾若しくは爆裂薬の原料を発見したる時は、
其家屋の所有者、及び居住人を軍法会議に付して審問せしむべし」
との布令を出した。そのため、
多くの家主はマルで狂者のやうに彼方此方を駆け歩いた。おおかた五分時間毎に、
天井へかき上がったり(ママ)、床下へもぐり込んだり、物置の隅や厩の中をのぞき込んだりして、
借家人を驚かせた。
借家人は絶えず眠りから呼び起こされ、何時爆弾の捜索者が来るかわからぬからとて、
終には全く床に就くことを思ひ止まった。
こんな睡眠不足は彼らを益々神経過敏にし、家族で殴り合いのけんかをしては夫婦別れをするやうな始末で、この「恐怖の日」ほど離婚沙汰の多い事は嘗て耳にしなかった所だ。
子どもは両親を疑うてその所持品を捜索し、両親は子供を疑うてその身体を創作した。
彼等は爆弾を捜す為に、絶えず床板をめくる。
自分のでも又隣りのものでも壁という壁を残らず切破る。
多くの家持ちはついに精神に異常を起こし、重症のてんきょうとなり、
円いものがあれば何でも爆弾だと思いひ、蜜柑や南京などを最も激しく打ち砕くやうになった。
まもなく発狂者には3000ルーブルの科料に処することになったが、科料で国庫の金銀は山のように積もり、他国へ貸し出すにしても非常な骨折りであった。
監獄もほどなく満員となり、旧き重罪犯を放免せねばならぬ事となった。」
家は全部壊され、あらたに家を建てる人もない。
けれど人民は相変わらず爆弾を投げて、至る所その破裂が益々盛んに行われた。
そうしてこれに少しの関係でもある人は、悉く軍法会議に渡されて烈しき詮議を受け、
日々に処刑さるる死刑の数が愈よふえてきて、竟に絞首台の供給に不足を告げた。
さうして之を新設する為に森林を伐り尽くして、遂に燃料の欠乏を来した。
冬が来ても暖を取るべき火がない。
人民は皆凍えてしまって死骸の山を築き、多くの都市は竟に荒野の如く荒れ果ててしまった。
そこで王様はその位を捨てねばならぬ事となった。
その理由は唯だ命令を聞いたり、軍法会議へ渡される人、則ち統治せらるべき人民が一人も
無くなったからである。
明治42年7月11日 「日出新聞」掲載
