カミングスーン2
3月になりました。春の陽気、お天気も暴れ気味です。
さて、国際交流基金のStage Beyond Borders のサイトに、メメントC「太平洋食堂」の表示が出てます。
このHP,なぜかこれだけで、ボタンを押してもなにも表示されませんが!!!兎に角、20日までお待ちくださいませ。
事務局から回ってきた、英語字幕の確認作業を今日、終えました。
プロフェッショナルの凄い翻訳者の方々がキレッキレの翻訳をして下さって感動しました。
2月に可児市へ研修の出張に行っていたのと、家族がコロナになってしまったため、正味4日しか時間が無かったのですがあ、
共通一次テスト(何年前だ!!!)以来の踏ん張りで、読みました。読みました。憑かれた様に英語字幕台本読みました。
不思議ですね、自分の書いた脚本が翻訳されるとこうなるのか・・・・・
言葉が踊っていました。明治末期の物語、はっきりいって日本人の観客に届けるにも、俳優の工夫や演出の妙によって届けられるわけです。
翻訳の準備のために、方言では伝わらないかもしれないので、現代語の脚本や、注釈集も作りました。
それでも間違えちゃうおっちょこちょいな私なのですが・・・・英語の翻訳を読んで伝わってるなあと、感無量になったわけです。
翻訳は共同作業なのだと、つくづく感じました。翻訳者、査読者、事務局の方の修正で一つの成果が出来上がっていく。
その過程を読むだけで心が動きます。
それほど英語が得意というわけではないのですが、言語が持つ「かたち」に沿って、もっともフィットする言葉を選び取っていくのは、大変だなあ、と。まるでシェフですね。
劇中、ダジャレも多いのですが、さあ、その辺りはどうなっているか、お楽しみに!!
私がこの作品の第一校を書いたのは、2009年でした。
まだやってるの??と思われることもありますが、消耗品じゃないんですよ、作品は。
上演が終わってもこの様に残っていける幸いなめぐりあわせに感謝です。
日露戦争を振り返りながら、ウクライナへのロシアの侵攻で、いきなり世界が戦争の世紀になってしまった驚きと、あっけなさににうろたえています。
一幕終盤の日露戦争モンタージュの中で、幸徳が非戦を叫び、帝国主義の怪物について問いかけます。そこからまるで変らない今の現実、本当にどうすればいいでしょうかね?