クルーシブルの時代と彼女たち | メメントCの世界

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クルーシブルの時代と彼女たち

 

ついに劇団BDPのミュージカル「彼女たち」は、劇場入り。明日、14日はゲネプロという劇場通し稽古です。

2008年の初演時には、スマホもなかったのに、この12年余で、社会は様変わり。スマホを持っていないのは、この私位でしょうか。

17世紀のMe tooと呼んでいる、アビゲイルの告発ですが、実際にあった事件に取材しています。つまり、彼女たちは、実在の人物でもありました。それは、ある意味衝撃的でもあります。

農家に手伝いとして雇われ、雇用者からセクハラを受けた少女が解雇され、その復讐をたくらんだわけです。

責められるべきは誰なのか?暗澹たる気持ちになります。

ミュージカルの1幕ラストの、クインテットで女子たちのパートに、「私たちに力を、大きな力を」という歌詞を書きました。

Me Too への思いを込めたつもりです。

 

 

当時のボストンでは、ピルグリムファーザーという、メイフラワー号で移民してきた清教徒たちの中でも、代表的な人々が、大きな権力を持っていたと、歴史書にあります。そして、政治と宗教が結びつき、聖書が法律でした。今、読むと丁度、アフガニスタンのタリバンの様にも感じます。アフガンにはそれ自体の受難の歴史がありますが、本を読むことを邪悪だとするキリスト教の原理主義は、とても良く似ています。つい最近でも、女子教育自体がテロの対象となっているアフガンの現実は、善悪が宗教の誤った解釈によってゆがめられているわけで、男性原理主義の宗教支配に嫌悪がわきます。それは、仏教などアジアの思想の中にもしっかりあります。

4月に国際配信したパターチャーラーは、その最たるものです。女性の独立を阻むもの、自由を奪うもの、一体だれがそれを望むのでしょうかいつか解明される謎だと思いますが、女性にとっては古代も17世紀と現代がそれほど違わないことを示しています。

 

私は無宗教です。それで、これが絶対だという基準はありません。けれども、倫理的に嫌だなと思うことは沢山ありますし、

スマホを不便でもできるだけ持たないこと、デジタルに飲み込まれないためにアホっぽい抵抗をしています。

世の中が便利になるにつれ、不幸が増えているように思うのは、年寄りのひがみでしょうか?

人が幸せでいるのは本当に難しいです。病気も、治るようになっても、また違う病気が現れる。

一体、どうしたらいいんでしょうね?

 

劇場や稽古場にいると、人間がセリフを発し、踊り、歌うという演劇にふれて、生きる力が湧いてきます。

声を聴いているだけで、共感が湧きます。

そういう直接のコンタクト、そういうものはデジタルの情報とは全くちがいます。

コロナ禍で、配信も増えました。私もその便利さを享受していますが、やはり舞台は生が一番です。

早く、状況が落ち着いて、命の心配なしに、舞台芸術ができることを心の底から願っています。

 

ミュージカル「彼女たち」お席は残り少なくなっています。是非、ご都合がつく方は、IMAホールまでご来場くださいませ。

本当に、心から、無事の開催を祈ってます。