マヌと私と頭痛と生理痛
マヌ法典というのは、世界史の授業でしか聞かない変なものです。
法典とくると、ハムラビ法典の方が有名ですね。
「目には目を、歯には歯を」
大昔の人は、こんなに細かく法典を作っていて、どういう性格してたのかな?と考えながら高校世界史の授業を受けていたものです。何しろ、マヌ法典の中には、法律というより夏休みの生活指導みたいな、「朝、禊をするときは、うがいしてそれから顔を洗って」みたいなことまで書いてます。インドの人、こまか!っと驚きます。
でも、今頃になって35年前くらいの高校生活を思い出している私も相当細かい性格かもしれません。
さて、マヌというのは、闇の中から現れて宇宙を生み出します。こんな感じです。(笑)
カースト制度として学校で大雑把に教えられるものは、バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラですが、本当はもっともっと細かくて数千の区分けがあります。若い頃にインドに放浪旅行に行った友人から聞いた話は、衝撃的でした。
友人「水をね、蛇口があるけど、下のカーストの人は飲んじゃいけないのよ。自分じゃ蛇口から水を貰ってはいけないの」
私「じゃあ、死ぬじゃんか」
友人「そうなのよ」
私「・・・・・・・・・・・」
友人「交通事故とかあっても、下の人はひかれ損なの」
私「警察いるのに」
友人「最低のカーストの人は何にもないの」
私「・・・・・・・・・・よく、あんたは無事に何カ月もさまよってたよね。」
まあ、それだけではないのですが、女性が殺されたり強姦されたりするニュースを聞くと、
「おいおい、マヌ、お前のせいだよ」
とマヌを呪わずにはいられません。それと共に、なぜ、友人が女性にも関わらず無事に放浪旅行をしていたのかも謎です。
私自身は、それほど外国に行ったこともなく、仕事でNYとロンドンに行ってもホテルと劇場の往復しかしないので、あまり世間の事を知りません。考えてみたら、人生で病気になっていた時しか余暇が無かったので、老後がとっても楽しみです。
もっぱら、世界を放浪する友人の話を真に受けてきた30年です。不思議な事に、その友人は稀有な体験を物語ってくれると、
まるで自分が体験したように映像が浮かんできます。死海の海水浴も羨ましいなあ、と思いながら聞いてました。
私が死海で泳ぐことはこの世ではもうないでしょうから。
その友人の一番素晴らしい情景は、砂漠の中の「森のくまさん」事件です。
彼女がイスラエルを放浪していた時、小学校の先生の集りが砂漠であるので、「行くか?」と聞かれ、「行く」、と答えると、
「山道の近道と、平らな遠い道のどっちで行くか?」と聞かれ、月が煌々と照らす砂漠の平らな道を2時間以上かかって砂漠の中のテントに辿り着いたということです。そこで髭もじゃの、男の先生たちと話していると、日本の歌を何か歌えと言われた友人は、「森のくまさん」を歌い、それを覚えてもらって、月夜のテントで輪唱したということです。
、日本人女性と髭もじゃな先生たちが、砂漠のテントで月に照らされながら「森のくまさん」を歌っている・・・なんと素晴らしい情景でしょう。
閑話休題
インドの事をインドに行かずに書くには気が引けるのですが、マヌ法典を読んでいると、そこにある生活の細かい規則まで具体的に書かれているので、生活の様子を想像できます。そして、読んでいるとどうも女性は本当に、消費されたり使われたりするものに感じます。
正しい行いを守るのなら庇護されますが、そうでない女の人は犬なみに書いてあります。
それから、「女は父に従い夫に従い、老いては息子に従うべし」「女は独立に値しない」と書いてあるので、女大学かと思ったわけです。
となると江戸時代の儒学とかは、オリジナルじゃないんでしょうかね。何で、世界各地でおんなじことを書いて女性を差別するんでしょうね。
そうか、中国四千年も、マヌに影響されてたのかもしれないなあ、と思うわけです。
それから、お経はブッダが死んだあとに、弟子がまとめたということですが、本当にブッダが言ったかどうかわからないようなのも入っています。
女はブッダになれない。悟った人になれない。
いやいや、ブッダはそんな事言ってなかったよね。とツッコミ所満載です。
そんなお経たち、中国へどうやって伝わった?
昔の日本人の子供がみんな知ってる西遊記。堺正章と夏目雅子は、そういう意味で言うと伝道者?でしょうかね。
西遊記の三蔵法師に夏目雅子をキャスティングした人は凄いと思います。
あの一人と3匹は何をしに旅をしていたのか?お経を求めていたんですが、テレビを見ていた私たちは、お経を求めて旅をすることを、
そのまま受け入れて、何も変だとは思いませんが、今だとどうなんでしょう。
三蔵法師、お疲れ様です。
人生で二度目にマヌ法典に出会ったのは、2015年、髙木顕明の研究家の泉先生の書庫でした。
「パターチャーラー」という尼僧についての脚本を書こうとしていて、マヌ法典について尋ねました。
その前の2012年にも、「女性血盆経」というものが偽経だと先生から聞いて、え!!っと思いながらも、「やはりそうだったのだ!」と
名探偵コナンの様に顎に手をやりました。「犯人はあいつだ」と言う感じです。
怖い名前の「女性血盆経」とは、女性には生理があってお産で血を流すからもともと穢れてて地獄に落ちても仕方ないよね、っていう、
女性ヘイトな大昔の勝手に作られたお経だということでした。
生理やお産はすでに思い出に入っている私にとっても、小中学生の頃の月経痛ときたら、転げまわるほどの痛さだったことは忘れません。
生理って痛くて具合が悪い人が大半ではないでしょうか?その具合が悪くなるというのに、何か悪いことでもしているかのように、
身体が罪悪感を覚えさせられるのです。
なんで??
看護師の母は笑いながら、「ああ、それは子宮が収縮しているから痛いのよ。」と言ってくれたので、
「今、私の子宮は収縮しているのだ。これは×ではない」と思いながら湯たんぽを持って転げ回っていたものです。
ここで、「ああ、それは単なる収縮だ」と言ってもらえないと、相当に不安になるのではないでしょうか?
そんなに月経で毎月痛い思いをしているのに、人類の半分の男性は痛い思いが平均50歳×12回足りないわけです。
そんなに違ってたら、女性の気持ちとか分かるわけがないでしょうなあ。
近年、お産も無痛分娩が増えてきましたが、痛みを知らないなんて、とか、がんばらないと、とか、苦痛をわざわざ伴うことが重要という文脈で否定されることもあります。その人が望んだ時に痛みを減らせることは大事なことだと思います。
そして、コロナ禍で生理用品を入手できない若い女性が居ることにも愕然とします。
生理用品も食品と同じ様に生活必需品ですよ。
コラボの発信に罵声を投げてるおっさんに、大きな声で言いたい。
あんたも私も年取ってオムツになって排泄介助が必用な日が絶対に来る。その時に、オムツがぜいたく品だと言うのか?
私には息子しかいないので、娘に生理になっても、それが収縮だと教えることが出来ませんでした。
パターチャーラーは美貌の富裕層の娘、バラモンという高位の娘で、下男と駆け落ちし、子どもを無くし、夫を亡くし、親を亡くし、
悲痛の中、美貌がゆえに男性に支配される苦痛をなめます。
「尼僧の告白・テーリーガーター」に出ている尼僧たちの苦しみの末の真実の悟りは、現代の私たちにも大きな智慧を与えてくれます。
配信の前に描き上げられず、遅くなってしまいました。
気が付くと、世の中は緊急事態宣言です。
ああ、悲しい。