オリュウノオバとの再会
3月30日に、シアターカイで岸田今日子フェスタがありました。
13回忌にあたる今年、演劇集団円の方々が皆で劇場に集まって岸田さんに会いたい、とのことで企画され私もお招きいただきました。
沢山の朗読、映像、画像の紹介、今はもう亡き人々もそこにいました。
私は2005年のちょっと前の舞台しか知らないのです。知っているのは映画やテレビ、ムーミンの声のほうが多く、「オリュウノオバ」の準備、稽古の間に知った岸田さんは想像以上に岸田さんでした。どういっていいか分からないのですが、人間なんですがこの世とどこかに属しているような気配がするのです。
フェスタでは過去の若い頃からの舞台写真が沢山映し出され、サロメの稽古をしている岸田さんと、演出している三島由紀夫の写真もありました。アントニーとクレオパトラのコケティッシュなクレオパトラは参りました。
その他、アニメの映像、朗読の音声など忘れることのない彼女の声が流れました。
所縁の方が様々な思い出を話され、中でも詩人の谷川俊太朗さんのトークは、今だから言えるというテーマにぴったりの打ち明け話でした。
お姉さんのこと、今日子さんのこと、本質を見てたんですね、と頷くことが多く、愛されていた岸田さんを楽しく浮かび上がらせてくれました。
始まる前から泣きそうになってた私は、大笑いしてしまったのです。それもカタルシスでした。
その後で、大橋也寸さんの手紙の朗読がありました。彼女は健康上の事情で上京できなかったのです。今更ながら、大橋さんがどれほど岸田さんが好きだったのか、痛いほど分かりました。みんな、愛していたんです。
それを聞いて、私は自分があの頃、何も分からなかったのだと悟りました。
大橋さんが納得すればいい、岸田さんが納得すればいい、ということを基準にしていた私ですが、原作の持つ根源的な魔力は
どんなに私が馬鹿でも、一定以上の努力をすれば必ず発露されるのでした。
「オリュウノオバ」のラストシーンの映像が流れました。それは苦労して私が書いたもの、中上健次の小説の中の言葉、それをオリュウノオバが話しています。昔、観たはずの舞台は想像とは違っていました。全然、違うのです。私は何も見ていなかったのです。
蝉が生まれて泣いてやがて死ぬということが、人間も同じだと、ようやく最近分かりました。
それを語っているオリュウノオバは、その時、やはりもうこの地上から飛び立とうとしていたのだと、やっと一昨日分かったんです。
きらめく木の葉の影、美しい照明の弧を描いた舞台の両側にはゴミ捨て場、墓場が広がっています。
男女の蝉のような情愛、離別、殺人という流れの7日間がその夢の浮橋の上で演じられました。
最後に蝋燭をふっと消してさる姿は13年経って更に深く深く心に入りこんできました。
あの人はやはり天に還っていったんだと、ようやく分かりました。
つかの間の浄土、それがあの舞台の上にあったものですが、あそこに出演していた人も、もう今は別人に思えるのです。
そしてそれを書いた私ももう別人で、あそこには戻れません。
時間は残酷です。
どうしても中上健次のオリュウノオバをやりたいのだと言った岸田さん、それを実現させた大橋さんとスタッフの皆さん。
私はシナリオを書いて居る時、自分で書いたのではなく聞こえてくるものを写していました。
それはもう聞こえてこない声かもしれません。
人生には一度切りということが沢山あるのです。
けれども、それを見ることが出来れば見るべきものは観たということでしょう。
岸田さんありがとうございました。也寸さん、ありがとう。不出来な私はもう少しもがいてみます。