「彼の僧の娘」治安維持法、そして今
来週は、新宮の遠松忌です。
23日と、24日に、浄泉寺にて「彼の僧の娘」を上演させていただきます。
高代覚書と副題があるように、大逆事件の犠牲者、高木顕明の養女の、事件後の物語です。
大逆事件の後、日本はものすごい勢いで変わっていきました。変わったというより、外面をかなぐり捨てたように自由の抑圧をはじめました。
治安維持法です。もちろん、最初に法律が出来る時は、運用を慎重にして無辜の民に影響がないように・・などと法務大臣が答弁しています。しかし、まあ、口約束などとっとと反故にされて、小林多喜二のように数多くの人が拷問や冤罪、微罪での投獄などの地獄となり、戦争の惨禍、そして敗戦によって国家が壊れるまで、自力でそれを止めることができなかった日本です。
「浜松をお召列車が通りすぎるまで」警察に呼ばれたという証言が、遺族の聞き取りで残っています。かよわい女、苦界を生きる女に何ができるというのか分かりませんが、特高は顕明の養女を監視しました。
共謀罪、何度も浮かび上がって消えた法律がついに、施行されていきます。「太平洋食堂」を書いた動機の一つが共謀罪でした。こうやって世の中が締めあげられて行く時、何をすべきなのか、考えずにはおられません。
演劇はぎりぎりまで出来る事がおおいでしょう。テレビや映画という大きな資本と公共資本がないと発表できないものは、いくら脚本家や監督があがこうと、どんどん空気を読む方向に行くでしょう。
演劇は、そういう資本の支配から独立することが可能です。ある程度は。だって、路上でだってできますから。歌もそう。けれども、やはり色々なことがこの先、変わるでしょうね。
デモの現場でいろんな人の声を聴くと、確実にそれぞれの個人が強くなっていると感じました。スピーチやコール、2015年には若者あざらしにおんぶにだっこで、デモをやっていた大人も自分の言葉を話していました。自分の声、自分の言葉、それが大事です。ネットではいくらでも、なんでも言えます。でもやはり肉体から出される声は、力があります。演劇はまさに、その言葉の力をテキストの数倍、発揮できるものです。私は団体というのがどうにも苦手なので、一人でふらふらと行きます。そしてもう体力が無理だと思えば、帰ってきます。自分で自分をコントロールしたいのです。例えデモでも誰かにコントロールされるのはご免です。
言葉って、ものすごく力があると思っていましたし、倫理や道徳というのは、ある程度は共有される文化だと思っていましたが、甘かったです。嘘をどれだけついても、犯罪行為があっても、他人を切り捨てて罪をなすりつけても、平気な人が沢山いるのを目の当たりにしました。この悪行は、きっと次世代に倫理の崩壊をもたらすでしょう。社会はどす黒い闇にはまりはじめています。
説教臭い話で申し訳ないのですが、醜悪なことばかりが起きます。何をどうしたら、安心できるようになるのだろうか。人間はどこまで堕落するのか、国会中継をみていると人間観察にはもってこいです。あそこまでの堕落は芝居が太刀打ちできるものではありませんから。
稽古をやりながら、わが身も振り返りつつ、考えています。
「彼の僧の娘」は12月にジェンダーや宗教の研究者の討論と共に、日本橋劇場で12月14、15日に再演します。先週、初めての顔合わせ会をしました。違う分野から色々な声が出て、はっと改めて気付く事が多く、12月に向けての改作は、新宮公演が終わったら本格的に始めます。
12月の出演は、明樹由佳、清田正浩、桝谷裕、吉村直(青年劇場) 杉嶋美智子(メメントC)です。詳細、もうすこしお待ちください。
治安維持法の時代、女性であり苦界に生きた高代の物語を更に改稿してお届けします。
では皆さん、お手を拝借、アブナイ三唱をご唱和ください。
「大日本帝国、アブナーイ!アブナーイ!アブナーイ!」