新宮行② | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

新宮行②

①を書いてからすごい時間が経ってしまって、びっくり。
無責任な作家ですね。というのも、言い訳ばっかりですが、改稿してました~~書くのもえらいこっちゃですが、書き直しシェイプアップするのも、ほんとにシンドイものです。歳もとるので、三年前の自分に戻ってしかも同じ地平線に立って、でも三年分の時間を加味するんで、頭が時空の裂け目状態です。

もとい、新宮プロモーションの二日間ですが、今回は女優さんと俳優さんという強い強い味方が居たので、もう大船に乗った気分でした。
 後援してくださる新宮市や観光協会、紀南新聞、熊野新聞さんにチラシやポスターを配りながら宣伝活動をしていくのですが、「楽しみだねえ」という暖かい言葉をあちこちで頂きました。何よりです。そして、応援団の皆さんが次から次へと道筋を付けて下さるので、本当に助かります。

 一番最初の取材でも訪問した熊野茶房さんにて、協力団体の、おやこ劇場新宮の方と会い、新宮公演に参加していただく市民コーラスの指導者の先生とお話できました。そうです!!新宮公演ではラストのコーラスがパワーアップします。あの「誠之助の死」を歌って頂くのです。

 コーラスを引き受けて頂いてまだ歌っても居ない状態で私的には感無量なんです。この曲は、与謝野鉄幹の詩に私の幼稚園時代からの音楽の友で、高校、大学が同窓、ゴスペル歌手で歌の先生もあちこちでやってる華子さんが作曲してくれました。彼女のセンスの極地のこの曲は、ダイジェスト映像の中でも聞くことが出来ます。私の濃くて長い脚本を読んで書き下ろしてくれた音楽は、素晴らしいにつきます。

 新宮のコーラスの先生は、楽譜と脚本をご覧になって「この芝居はものすごいことも沢山あるけれど、この曲は何でもないようにサラリと書かれているけど、その脚本のいろんなものを昇華してるんだね。」初対面ですし、本番をご覧になっているわけでもないのですが、脚本と音楽というコードを読み解いてくれました。こういう時に私は、文字や♪が時代や距離を飛び越えられると感じて嬉しくなるのです。ロゼッタストーンです。意味不明ですね。しかし、楽しみです。

その頃、明樹さんと青年劇場の吉村さんは、浄泉寺に行かれてました。私が電話番号を間違えた為に、当日飛び込みでお邪魔したお二人を、ご住職は快くお迎えくださいました。そして遂に、吉村さんとリアル顕明さんの残した遺品がご対面となりました。








もちろん、私のお芝居はフィクションです。ノンフィクションのエッセンスはありますが、私の脳内劇場の「懸命」さんなのですが、何というか配役の妙ですね、脚本を俳優が具体化していく際に何かが大きく転換されて、もう三次元のその人無しには考えられない役になります。与謝野晶子に憧れていた顕明さん、寒がりで怖がりで、しかし信仰上では強い強い人だったはずの彼が、秋田監獄で迎えた最後は本当に苦しいものでした。

夕方、仲野町の商店街を訪れ、そこから宵闇の中の速玉大社を眺めました。百年前は三味線の音も流れ、背後の遊郭や茶屋町が不夜城のごとく、町内で一番華やいだ場所だったのでしょう。今は、その闇は深閑とし、熊野川の川風が水の匂いを運んでいました。大石医院跡も民家が立ち並びますが、側にはドクトルが薬剤を調達していた薬局と同じ名前の薬局がまだあります。町内にある鰻屋さんも百年前から同じ店なのです。これ程までにデジャブの如く町はそこにあります。
百年の時間が、そこに近く近く佇んでいました。

二日目の記者会見に向け、市内の居酒屋でチーム太平洋食堂の結成祝いをしました。
未来と過去は不思議に双方向に近づいている、そんな夜でした。