灰と忘却の彼方 | メメントCの世界

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演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

灰と忘却の彼方





明日は、っていうかもうすぐ3月11日。何度もやってくるその11日ですが、これほど政府が原発を安々と復帰させようとするとは、思いませんでした。あれらの人は、既に忘れたのでしょう。津波だけならここまでの被害や苦しみをもたらさなかった人為の災害をいとも簡単に無かったことにしたいのです。


阪神大震災の時に関西の劇場にいて、電源というものは人間が作り送るから周りにあるものだと実感した私はその時、電気を死ぬほど使うミュージカルが厭になりました。その今は無き近鉄劇場での毎日の瞬間停電と、泣きながら踊るコーラスガールを今でも思い出します。もちろん、演劇も電気を死ぬほど使います。メメントCを始めた時、アンプラグドで、生の楽器、生の声でと思いました。しかしながら公演規模が拡大するにつれ、私は容易く電気をいっぱい使い始めたのです。何も、そんなに電気を使うことは無いのだと思った初心を忘れたのです。





杉嶋や大内はそんな私にため息をつきながら応援してくれています。今日は、稽古場でアルトリコーダーを持ち込みました。まだ使うか分らないのですが、吹き方によって尺八っぽくも粗末な笛にも聞こえます。自分で演出をするのに楽器を扱いだすのは鬼門です。どこまで客観を保てるかどうか?誰もいなくなった稽古場で笛を吹いていると見守っていてくれた彼女らを思い出すのです。音響さんは、昔の後輩が担当してくれます。遠慮しながら、様変わりした私を見て、更に今日は男優さんが出血大サービスで尻まで出してくれたので、驚いておりました。まだまだ驚くでしょう。


「南京」の公演、注目を頂いておりますが、どこまで私が書いた南京を立体化できるか、ほとんど俳優さんの力量に頼っております。粘り強く、負けず嫌いで思いやり深い俳優さん達によって戯曲は練り上げられて行っています。そして、製作スタッフ、演出部、あっちからこっちから助けて頂いている外部の皆さまに感謝しつつ、南京城の城壁を下北沢に再現すべく、ひたすら稽古しております。





震災から三年経つ今、私達は多数の犠牲を忘れるということがどのように行われているのか、実地に学んでいると言えます。失われたものを、被害数や被害者数という数の秩序に落とし込み、それを「灰と忘却の彼方」に埋めてしまおうとする人々がいるのです。それにNOと言い、自分の愚かさを見つめなくてはいけないと思うのです。どんなに無力でも、原発に頼る繁栄は愚かだと家族と話すことはできます。繁栄や豊かさを残すよりも、貧しいことは恥じることでも何でもないと言い、他者の犠牲の上に成り立つ虚栄を見抜く目を育てるべきだと思うのです。清貧だけを良しとする価値観ではない曖昧でお互いがハッピーになれる関係を尊いと思えるようになって欲しいのです。


そういう当事者の9歳の息子は最近、お年頃になってきて「俺って、結婚できるかな?」とお風呂でそればかり言ってます。「できるんじゃない?」と言うと「今年はチョコレートを貰えなかった、いや、去年も」と。「ママが年取り過ぎると、孫の面倒見る前にくたびれちゃうから、早く結婚してね」と自分の事を棚に上げて言う私です。しかし実際、この子らの老後は冗談でなく過酷でしょう。そんな時、私の頭の中にピアノの音がダララ~んと鳴り、ヘッドライトに映し出されるハイウェイの白いセンターラインが走り出してしまいます。そう、あの「ターミネーター」のサラ・コナーと化すのでした。(どうだ!古いだろう!)

あれ?「灰とと忘却の彼方」はチェーホフのともしびだったのに・・・・後、10日で開幕!