ニコライエフスクと夜の森
ニコライエフスクには日本領事館があり、シベリア出兵の軍隊も駐屯していました。
第一次大戦終了とともに、アメリカはシベリアから撤退しますが、日本はそのまま居座りました。居留民保護の名目と革命勢力の極東への伝播を極力避けたかったのです。しかし、ロシア革命の嵐が極東に到達したとき、その暴力的な革命は手段を選ばぬ虐殺に変わったというよりも、より凶暴さを増しました。それで、この街をトリャピーチン率いるロシア、朝鮮、中国のパルチザンら赤軍が襲いました。略奪と反革命勢力の処刑の嵐が吹き荒れ、日本の守備隊は交渉の末、武装解除を要求されますが交戦し、ついに中国海軍の砲撃を受け守備隊は全滅、パルチザンによる恐怖政治によって731名のほとんどすべての日本人居留民が虐殺されました。アムール川は血で染まったそうです。一番最初の虐殺の被害者は花街の娼妓達でした。女子供も婆さんも、殺されて氷の河原に埋められたとあります。殺しすぎにもほどがある。日本の守備隊はハバロフスクとの電線を切られ、通信手段は無電のみとなり孤立しました。結果、居留民は軍隊の全滅に伴って同じ運命となります。いろいろと軍事、政治上の問題はあったのですが、やはりこの赤軍パルチザンの残酷さというのは、全体主義的集団での際限の無い暴力と道徳、倫理観の消滅を体現しています。要するに、浅間山荘のもっとひどいやつです。集団の敵は抹殺というわけで、このトリャチーピンは死刑に問われるまで権力を欲しい儘にし、ロシア市民も多数虐殺されました。
堀田善衞の「夜の森」に出てくる主人公は、出征しシベリアへと出兵します。そのハバロフスクの町で、幼馴染の小学校の同級生が娼妓となって、いるのに出会います。島原などから「からゆきさん」と呼ばれた貧しいゆえに身売りされた女子は、シベリアにも根をおろしていました。この大正の不況時、まさに口減らしで、日本女性は外国のあちこちへと売られて云ったのです。哀しいというか、そこで出会った同級生は何を思ったのでしょうか。そして、出征した主人公は最初は監視団という名目の軍が、次第に地元住民までをパルチザンと見なして処刑していくのを見て、シベリア出兵を懐疑の目で見ます。やがて、日本兵が戦争をしにこなければ何もここに戦いは起こらないのだということに気がつくのです。気がつくのですが、やはり、軍隊で必要とされ武勲を立てる人間であれ、という期待を背負い、せっせとパルチザン殺しに励むのです。卵が先か鶏が先か、虐殺の周辺には無理な出兵や植民地支配があるのです。そういう歪み、きしみが原因であることは歴史が証明しているのです。主人公の兄は、米騒動から派生した暴動で、軍隊出動のとばっちりで、銃剣で刺されて死にます。国内にいれば、米騒動、外へ出ればシベリアでパルチザン総統、どちらも地獄だと言ってます。
シベリアに居た兵は、凍傷によって廃兵となったと小説にあります。パルチザンに撃たれなくとも、雪中行軍によって身体のあちこちが凍傷になり、くさり膿み、切断以外に方法がなく、手足をなくして帰るのです、帰っても、暮らせまい、という悲惨なシベリア出兵は、国民に何も残しませんでした。国家はその後、治安の安定を更にいい、北樺太を占領、ロシアのニ港事件の賠償を、油田の権益へとすり替えます。何のための出兵か?わざわざ行って何をしたのか?それを侵略と云わせない空気が、その当時も、今もやっぱり確固としてあるのです。つくづく、狭い日本で結構だ、と思います。そして次なるは、通州事件です。ああ、恐ろしい。(続く)