閉店の片づけ
猛暑ですな。酷暑、苛暑、烈暑、何と名づけても暑いです。
さて、まだまだ、電卓をたたき続けている嶽本です。ようやく、光が見えてきました。締め切りまでに間に合うか!!算数の問題とエクセルは私の鬼門です。
さてさて、藤井ごうさんは、只今、だるま座「笑って死んでくれ」の稽古中です。これは、新しい劇作家シリーズのトリを飾る、相馬君の作品です。本城さんも御出演です。演出助手をしてくれた佐藤萌子嬢も、食堂が閉店すると、だるま座さんへと連れていかれました。ちなみに、私は8月16日14時の回のポストトークに出演致します。私がいかに、夏休みに呆けていたか、使用前、使用後の顔を見たい方は、是非、ご来場くださいませ。
数字と格闘すると人相が四角四面になります。そして、わき目も振らず、数字を凝視するので、脚本を書くよりも目が疲れます。体もなぜか、動かずに三時間くらいぶっ通しで計算やら、作業をしてしまうのです。のでので、深夜まで格闘した次の朝は、老人の足腰になってて、痛くて膝が曲がらない。
プリエ、とかするとグキ、ルルベとかすると、ガチっと音が出ます。これには、どうやら、バランスボールに座ってパソコンをうつのがよいらしいのですが、まだまだ資料が片付かないので、私の書斎にはバランスボールが入る面積、容積は、無いのです。夫からも、「ちゃんと片付けてからモノを買え」とすげなく却下されました。成せばなるのに・・・・
さて、本日、新しい劇作家シリーズ2 てがみ座「空のハモニカー私がみずすだったころ」を観に行きました。長田育恵さんの作品です。演出は、ヒンズー山脈じゃない、ヒンズー五千回の扇田さんです。
この作品は、再演ながら、初演とは倍近い舞台空間、そして、金子みすずの、娘さんに直接取材して、書き直したとのことです。すでに、本物志向で評判の高いてがみ座さん、今日初めて観たわけです。
率直に素晴らしい上演でした。若い人(メメントと比べて)で構成されている劇団ですが、主要キャストに客演を迎えてとても良いアンサンブルと、脚本の言葉ひとつひとつを丁寧に透明度を保ったまま、動作として、演技として置き換えられていて、観ていて美しく、清浄な気分になりました。月並みなことばですが、女性らしいきめ細やかさ、抒情性、かといって情緒に溺れない理性も併せ持った作風です。
山口の方言も美しく、生きている言葉、生活している言葉、にあふれていました。
それほど芝居を観ない私です。まあ、いろいろと理由がありますが、最近、下手にのこのこ出かけていくと、毒気に当たって自家中毒を起こすのです。何かのスイッチが入って、何というかぬかるみから抜け出せない気分になることがほとんどです。楽しい芝居、毒にも薬にもならない芝居、人畜無害でも、それから出てくるある種のにおいというのは、作品世界を作った人々の体臭でもあり、なにを良しとし、なにをタブーとしてるか、その世界が観えてきてしまいます。そういう時、ふっと、油断すると私はドつぼにはまってしまうのです。
てがみ座を観ながら、言葉の美しさに酔いました。性格に言うとその言葉を話す人の生活やら、息遣いが間近で感じられ、大正の時代の一見、ロマンに傾きがちな時代背景に抗して、人の生活の営みの持つ良いにおい、悪い匂いに私もまた呼応できたのです。気持ちの良い体験でした。
実際、私は太平洋食堂という目標に到達したのですが、それ以上のどこへ向かえばよいのか途方にくれておりました。もちろん、残務処理もいっぱい。しかしながらまだ人生をリタイアすることはできないし、何かを書きたいという悶々とした気持ちは晴れないのです。秋水の「どんな惨めな状態になっても、世の中にモノ申し、何かを書かねばという気持ちが止み難い」という焦燥の百分の一位は私もあります。
ですが、そのとっかかり、いうなれば誰の口を借りてものを言おう?という問題が、常に劇作家にはあるのです。まあ、すぐには見つからないけれど、「空のハモニカ」を観た余韻と嬉しさは、私も書いていくのだ、世界を持ち続けるのだ、という気力を奮いたたせてくれました。
決して容易い種類の感動ではない「空のハモニカ」、しかしながら、それに取り組んで再演した長田さんの金子みすずへの愛情とまなざしは、慈しみに満ちていました。
こんなふうに、テーマへの愛情を捧げている作家に出会うと本当に嬉しくなります。きっと、今回の「空のハモニカ」は非常ないやいや、さらなる評価をもらうでしょう。
元気を頂き、ありがとう。長田さん!