よど号とミイラと愛のメモリ~
えー、ネタばれしないように、公演の事を書かなくてはと思いつつ、ついついバラしてしまう悪いくせがあります。で、今回のスリー・ピースは私の子供時代の逸話をいろいろとネタにしました。今回、なるべくスジとは関係ないことを書きます。
今朝(6月5日)の朝日新聞に、劇場法の事が特集されていて、その悪い方?の例で袋井市の事が出ていました。その袋井市のはずれに私の母の田舎があります。そしてその昔、「よど号事件」という我が国初のハイジャック事件がありました。ある日、ぽつりと母から聞いたのですが、その飛行機の中に母の従兄がいたのです。そして、その事件が起きた時、親族たちがみんなで何をしたか?三択です。
① テレビ(あったかな?)にかじりついた。
② 何もしなかった。
③ 御祈祷、念仏をした。
答えは③です。昭和45年のこの頃、私は3歳でしたので、何も覚えていません。しかし、その御祈祷自体には覚えがありました。母の実家で毎月必ず繰り返されるお念仏なのですが、皆そろってユニゾンで長い長い(子供には)お経をあげます。親族の一人が日蓮宗系の教団に居たため、何故か、母の実家を舞台にその儀式が続いていたのです。田舎の宗教というのは意外といい加減で、自分の菩提寺は曹洞宗なのに、平気でこのように違うお念仏をあげ、しかも親族は皆、毎回付き合っていました。お経なら何でもご利益があるということでしょうか。
その頃、母の田舎では盂蘭盆にお施餓鬼という行事があり、子供たちだけが夜、お寺に集められます。子供達はお菓子をもらう為、お和尚さんに読経や地獄の説教話を聞かされるのです。その施餓鬼の夜、寺に行くのは子供だけです。お在所(母の実家)から真っ暗な田圃道を、懐中電灯を頼りに従兄たちと連なって山の寺へと歩いて行きました。私はいくつだったか覚えていませんが、非常に怖くて仕方がなかったので、従兄の服を握って離さないようにしていました。途中、キツネが出るという大木があり、その幹には大きな洞が開いています。その前を見ないように、見ないように通り過ぎ、灯ひとつないトンネルを進んで寺の前まで行くと、当たり前ですが横はお墓です。そしてそこは唯のお墓じゃありません。ある時、生き仏が出ちゃったのです!!
生き仏って、ダライ・ラマじゃなくて「ミイラ」です。即身成仏といって飢餓状態で穴に入ったままお経を唱えて入滅するんですね。常陸坊海尊ですよ。これじゃあ余計分からないか・・・・。 とにかく、ミイラが出た寺ですから怖いの何のって。和尚さんもやたらにそれをネタにして、子供を脅したような気がします。それで一通りお説教が終わると、お菓子を青年団の人が配って(アゴラの人じゃないですよ)解散です。
ある年の夏、お菓子を欲張って手に抱え、ふと周りを見ると、一緒に来たはずの三人の従兄弟がいません。これは困った!懐中電灯もない。さあ、そこからどうやって在所まで帰ったのか覚えていませんが、転がるように山道を駆け下り、田圃にはまったのか足が泥だらけになって泣きながら、家の前まで行くと、三人の従兄どもが笑っていました。その悔しかった事といったら・・・・
施餓鬼の行事が怖かったのも低学年の内で、高学年になると、同じように年下を怖がらせるのが楽しみになりました。でもミイラだけはやっぱり怖かったですね。そのミイラが出た寺の裏山には、うちの茶畑がありました。夏の昼、その茶畑でツチノコ探しに明け暮れてあちこち掘り返して遊んでいると、山の風がザザっと吹いた瞬間、いま掘っていた穴から何かが這い出てくるようで、ゾッとなって逃げ出したものです。
いつからか、新茶の季節に帰省して子供を連れてそこに行くと、寺自体が更地になっていました。墓所に数基のお墓が残っていましたが、昔の思い出にあった寺のイメージよりも、はるかに小さな地所でした。
さて、あのミイラはどこへいったのかな・・・チリーン。