客演紹介 ~ さつき里香さんの巻 ・・・ 嶽本 あゆ美
さつきさん、と言えば「上海バンスキング」のリリーです。私とさつきさんの出会いは、十五年近く前の事、とある美男美女がひしめくフロアの中で、彼女はジャズダンスを踊っていました。その日本人離れした美貌とスタイルを、二階のギャラリーからあっけにとられて見ていた自分をよく覚えています。そして、さつきさんの廻りにはアンニュイで寂しげな雰囲気が漂っていて、「謎の美女」の香りに満ち満ちていました。彼女の微笑は何故、悲しげなのか??その時はほとんど、業務上のお付き合いだけのすれ違いでした。
現在所属する(株)アイ・ドルフィンのプロフィールによると、劇団四季付属演劇研修所の三期生を終えて、劇団四季団員になったさつきさんは、「オンディーヌ」「エレクトラ」「トロイアの女達」「アプローズ」「日曜日はだめよ」などの作品に出演、その後キューピードレッシングのCMなんかも出てました。退団後は、東宝ミュージカルでも活躍し、つかこうへいの「サロメ」に出たりして、自由劇場の「上海バンスキング」初演のリリーになったそうです。それでまた四季に戻ったり出たりしてフリーになり、一人芝居を始めたようで、その頃ちょうど脚本家を始めた私はさつきさんに再会しました。彼女は、私に一人芝居の脚本を書いてくれないかとお話を持ちかけてくれたのですが、私はその頃、やっぱり中上健次のアリ地獄の中に居た為に、泣く泣くお断りしました。
さつきさんはその後も、こつこつと一人芝居を作り続けていらして、しばらくしてコクーンで「上海バンスキング」のオリジナルメンバーによる再演がありました。直接チケットをお願いして、その眩しいチャイナドレスのお姿を田中史子と二人で観ることができました。まあ、その美しいことと言ったら・・・・ていうか、あのオリジナルメンバーによる再演は魔法のようでした。すっかり年をとっているようで、全然変わってない人、本当に妖怪みたいに変わってない人、こちらもキツネにつままれたような気分で、しかも円熟した最高のアンサンブルを夢心地で観ていました。
実は、「上海バンスキング」の作者、斎藤憐氏は劇作家協会セミナー時代の恩師です。私はものすごい斎藤先生を尊敬していたのですが、私の書くものはしつこくて長かったので、ある日ついに「こんなに長いもの意味もなく書きやがって」みたいな感じで破門されたのです。かなり迷惑な生徒だったのでしょう。自覚症状あります。でも斎藤先生はすっかりそのことを忘れたのか、六年後の新人戯曲賞の選考会では私の「ダム」(未上演)を推してくれました。氏曰く、「やられたな。という感じ」と斎藤先生最大級の褒め言葉で、天にも昇る心地でした。ところがその時の私は、子宮口が早々と開いちゃってる9か月の切迫早産妊婦だったので、せっかく一等賞をもらったのに授賞式にも出ないで、酒も一滴も飲まずに(当り前か)そそくさと家に帰りました。
さつきさんが今回メメントに参加されることになったのも、FACEBOOKで再・再会したのがきっかけでした。四月のリーディング(「第6病棟」)で私のやったモセイカ役と、「ともしび」のキーソチカ役を探していたのですが、ふと彼女なら両方できるのでは・・・という考えがひらめいて、図々しくお願いしました。快く引き受けてくれたさつきさんは、本当に二つの役を楽しんでやってくれています。そして、さつきさんのキーソチカを誘惑する清田さんは、稽古場で難攻不落の城攻めをしているようです。二人の大人がどんな恋の駆け引きをしてくれるか、今からとても楽しみです。これを見逃したら今年後半はかなり後悔しますね。言っとくけどさ、子供には分からないよ、チェーホフの色恋沙汰は。人妻キーソチカは、如何に恋に落ち破れたか?・・・おっと、本当に破れたのはどっちなのか、是非確かめにご来場下さい。