2015-07-30 19:06:13
<人狼>と共同体をめぐる物語
で、説明なしに使っている用語などを中心に少しずつでも解説入れて公開していこうかと思っています。
でも時間がかかりそうだな。。
◆ナルシシズム 自己愛
自分に都合よく思い描かれた自己イメージへの惚れこみ。
自分の気に入ったような自己像を鏡の中に作り出して、いい気分になる感じ。
(小此木啓吾「自己愛人間」参考)
◆理想自我
他人からこう見られたいと思う自分のイメージ。
マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ。
(小此木啓吾「自己愛人間」参考)
◆自我理想
お互いが共有する理想像。集団幻想。
心の中で抱いている「あこがれの対象」とか「こうあるべき自分の姿」としてのよいもの。
社会性をもった道徳的価値規範を取り入れたところで成立するもの。
自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている。自己中心的な欲望を否定し、国家社会のため、学問のため、一定の規範に基づいた価値基準にかなうような、理想の対象となるもの。
幼児的全能感の否定や、掟や、ラカンの言う「父の名」や、個人的な裸の自己愛に打ち勝った上ではじめて掲げることのできるような理想像。
掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった理想像。
(小此木啓吾「自己愛人間」参考)
◆イデオロギー (思想・主義)
人間の行動や生活様式を決定する根本的なものの「考え方」のことです。また、「政治的、社会的な意見、思想傾向」という意味でも使われます。ときには、本人が意識できないような形で、歴史的、社会的立場によって制約され、根拠は何もないのにその社会特有のイデオロギーである、「権威ある者にはこう振る舞うものだ、くだらないヤツにはこう振る舞うものだ」(のぶゆきによる改造文)などという思い込みに従って行動することになったりします。
(河合出版「ことばはちからダ! 現代文キーワード」参考)
◆国家のイデオロギー装置
共産党系の雑誌『ラ・パンセ』1970年6月号にアルチュセールは、「イデオロギーと国家のイデオロギー装置――探究のためのノート」という長い論文を掲載している。
この論文のなかで、アルチュセールは、従来の抑圧装置としての国家装置以外に、資本制国家は、子ども時代から、話し方、考え方、行動の仕方までをトレーニングする学校という制度(学校制度のイデオロギー装置)を主軸として、家族、政党、宗教、メディア、組合などの領域も、国民の自発的服従を生み出す「国家のイデオロギー装置」として機能させていると論じた。そして、イデオロギーは歴史を持たない、というマルクスの指摘と、フロイトの、無意識は歴史を持たない、という指摘を受けて、イデオロギーは無意識化されており、誰も表面的にはイデオロギーの拘束を受けていないと思いこんでいるだけなのだ、と論じた。
現在では、「学校―家族」という組み合わせが人々を支配している。つまり、家族と学校がグルになって、人々を自発的に体制に服従させているのである。
警察や軍隊などの暴力装置としての「国家装置(AE)」とマスコミ、学校、政治組織(支配政党から共産党まで含む)、司法制度、組合、家族制度などの「国家のイデオロギー装置(AIE)」との区別をしたことをフーコーが批判し、その回答が、『監視と処罰――監獄の誕生』だとドゥフェールはいう。だが実際は、フーコーのこの仕事も、理論的にはアルチュセール論文を骨格とし、フーコーらしく、綿密に歴史資料を集め、独自な概念を駆使して書きあげたものなのである。
(桜井哲夫「フーコー 知と権力」p212 参考)
教育機構こそ近代社会の前進運動ないし差異化過程の最も有効な整流器のひとつであることを、知らないはずがない。その見事な機能ぶりは、「偏差値信仰」がかくも広汎な広がりを見せるまでになった現在、むしろ見なれた光景の一部となってしまっているが、共同体の解体と近代社会の形成にあたって、近代の「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)の中核としての教育機構による上昇志向の注入がいかに大きな役割を果たしたかは、例えば桜井哲夫の労作(「知の位階制」『中央公論』56年2月号)によって示された通りである。
グラムシのヘゲモニー論を承けたアルチュセールが、公的領域に局在する国家の抑圧装置と並んで、私的領域の隅々にまで浸透する国家のイデオロギー装置を見出して以来、国家装置を社会の全域と外延を共にするものとしてとらえる道が開かれていたのである。ドゥルーズ=ガタリやフーコーの展開しつつある権力の微視的分析は、この道をさらに遠くまで切り開いていくものと言えるだろう。
流れの加速器・制動器としての役割以上に、私的領域の隅々にまで浸透しつつ日常的に働いている整流器としての役割りを強調すべきであろう。それは、アルチュセールのいう国家のイデオロギー装置(AIE)が果たすのとほぼ同じ役割である。
パノプティコンは、国家の抑圧装置のひとつとしての監獄の形態的モデルである以上に、国家のイデオロギー装置の機能的原理を示すものであると考えていいだろう。
権力は社会体に遍在するミクロな「装置」によって担われ、それが権力に従順な主体を生産し再生産する。こうした「装置」はアルチュセールにおいては「国家のイデオロギー諸装置」、フーコーにおいては「規律権力」、ドゥルーズ=ガタリにおいては「エディプス的家族」と名指される。
(浅田彰「構造と力」参考)
私的幻想/共同幻想 (岸田秀から)
自己幻想/対幻想/共同幻想 (吉本隆明から)
現実界/想像界/象徴界 p321
エス/自我/超自我 p428
集団のエス (岸田秀から)
無意識 p470 (中山元から)
◆テクスト
書かれたもの。「テクスト」は、「テキスト」ともいい、通常は「原典」や「教科書」を意味しますが、批評の世界では、「書かれたもの」、「すでにあるものを材料にして織るように作られたもの」という意味で使われます。作者の与えたひとつの意味しか読み取れないとする「作品」に対立する概念として、読むことで読者が多様な意味を生成することができるという立場から使われる言葉です。
(河合出版「ことばはちからダ! 現代文キーワード」参考)
◆下位文化 サブカルチャー (非主流文化)
伝統的で正統的な文化に対して、社会の一部の人によって作り出された、非主流に位置づけられる文化を、「下位文化」、あるいは「サブカルチャー」といいます。この文化は、支配的な強者である主流文化に対して、弱者の抵抗表現を核にして存続しようとします。しかし、ある種の「大衆文化」のように、マス・メディアの力で、権威的な存在へと変貌してしまうこともあります。
(河合出版「ことばはちからダ! 現代文キーワード」参考)
のぶゆき定義:80年代の「ビックリマンチョコ」に対する「ドキドキ学園」、ロールプレイングゲームにおける「ファイナル・ファンタジー」「ドラゴンクエスト」シリーズに対する「真・女神転生」シリーズ、雑誌業界における「ユリイカ」、音楽業界におけるヴィジュアル系バンド。
◆司牧システム (桜井哲夫「フーコー 知と権力」p321)
◆司牧祭権力(フーコー関係本から)
◆カオス (混沌)
天地開闢(かいびゃく)の初め、天地のまだ分かれなかった状態。(広辞苑)
物事の区別・なりゆきのはっきりしないさま。(広辞苑)
「混沌」「カオス」は、それぞれ、「秩序」「コスモス」の対になる言葉で、「入りまじって区別のつかない状態」を意味します。ギリシア語の「カオス」は、もともとギリシア神話で、「コスモス」が誕生する以前の、無秩序で、未分化な状態を表す言葉でした。
(河合出版「ことばはちからダ! 現代文キーワード」参考)
〔のぶゆき例文1〕今の混沌とした言論空間を抜け出しそうな「本多ヒキコ+素人分析」チームが、日本社会で生き延び、言論空間を制するだろう。
〔例文2〕人間は、混沌とした自然に秩序を与えることで、文明を築き上げてきた。
◆コスモス (秩序)
整然としたまとまり。「秩序」とは、詳しく説明すると、「一定の順序や決まりに従って、整然と物事がまとまっていること」です。ギリシア語の「コスモス」の訳語にあてられますが、「コスモス」自体は、「秩序ある、調和のとれた宇宙」という意味でも使われることばです。
(河合出版「ことばはちからダ! 現代文キーワード」参考)
〔のぶゆき例文〕 科学警察も背後につけた玲奈真理教の教祖の登場は、言論空間に新たな秩序をもたらそうとしてきた。(玲奈の登場は、言論空間に新たなまとまりをもたらそうとしてきた)
カオス/コスモス/ノモス p475
ノイズ p472
◆スケープゴート p348
共同体の秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれる。警察を背後に置いた玲奈真理教にとって、灰色の世界の住民の置かれた状況や個人情報に関する秘密を国民に話し、灰色の世界の住民に話さないというパターンができあがっている。そして警察の力を背後においた玲奈真理教側で秘密を共有し、灰色の世界の住民には漏らさないことによって、そのグループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。灰色の世界の住民はヨソモノであり、警戒の対象になる。昼間は学校や職場で何事もないような顔でつきあっているが、重要事項の多くは、根回しや決定が事前にこのネットワークによって警察の力を置いた玲奈真理教のウチワの中で決められている場合が多い。こうした場合、権力者側のウチワの中に属する玲奈真理教と、ヨソモノとしてこの情報網からはずされる灰色の世界の住民とに分かれてしまう。警察の力を使った情報の収集や監視カメラの設置や情報分析は重視され、その入手した秘密の情報はウチワで共有する事も重視されている。ウチとソトの論理が引き起こす集団心理の一つが、スケープゴートである。集団が団結力を強めようとすればするほど、お互いに良い面で結束しようとする。お互いが同じ集団のメンバーであることによって、お互いをウチワとみなし、ヨソモノよりも良く思おうという心理作用が働く。しかし、どんなに良く思おうとしても、お互いの中には必ず何かしらのネガティブな面が起こってくる。それをある程度否認することによって、団結力を強める。この場合、そのネガティブな部分はどこかで処理されなければならない。そのためにスケープゴートを集団内につくる。つまり、同じ集団の中にウチワとヨソモノをつくる。一般に集団というものは、集団の外に敵を見つけて、その敵に対して憎しみを強めれば強めるほど集団の内部は団結していく。ところが、その集団内部の感情の吐け口として、今度は内部にスケープゴートをつくるということになる。たえずその両方の作用が同時に働いている。
小此木啓吾「人間の読み方つかみ方」から引用改造
模倣 p595
ミメーシス p587
自己責任論
暴力 p564
◆排除 p404 中山元から
私刑 リンチ (広辞苑から)
コミュニケーション p222
◆告発 (広辞苑から)
隠された不正や悪事をあばいて世の中に知らせること。「内部告発者」
〔法〕被害者その他告訴権者以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告し、その犯人の処罰を求めること。「告発状」
洗脳 (倫理用語集から)
常識 (広辞苑から)
◆生きるに値しない生 死んで当然 死に値するような人間 (アガンベンから)
共同体 p159
群衆 p177
国家 p216 (萱野稔人から)(政治経済用語集からも)
◆無視 無干渉
マザーテレサ「生命あるすべてのものへ」から引用改造
今日の重い病気とは、人から愛されていない、誰からも見棄てられていると感じることなのです
大きな罪は正常で対等な人間としてのコミュニケーションを持たないことです
「誰にも相手にされていないことに気付いた?」と無関心と無干渉でいることです
望まれない、愛されない、大切にされない、無干渉の中に放置され、誰もほほえみかけてくれず、「生きている価値がない」と誰も正常なコミュニケーションに応じてくれない。このような人々の中には精神科医療を頼りにする人もいるのです。そして真実と思われる事を話したら、「妄想活発で強制入院が必要。一刻も早い休息と頭の活性を抑える事が必要」とされ、更なる外界からの分離に放置される者もいるのです。このような精神的な飢え、愛の貧困は物質的豊かさの享受だけでは取り除くのがより困難です。
人は自己愛を傷つけてきた相手に自己愛を傷つけ返そうとするようです。
そして同格の人間、仲間の人間、上位の人間が酷い目にあわされていると助けようと積極的に行動を起こしますが、下位に見ている人間、仲間とみなしていない人間、余所者とみなしている人間が酷い目にあわされていても無干渉か軽蔑の言葉を投げかけたりするようです。これが世の中の多くの人の判断のようです。
本当の自分への愛と同類への愛と他者への愛を知れば、お互い同士尊重しあうということができるわけです。
多くの友を持つ人は、人が無干渉の中に放置され、愛されず、大切にされず、正常なコミュニケーションの相手とされない人の気持ちが想像おできになるでしょうか。これこそ、承認への飢えであり、ある種の貧困であり、愛の欠如なのです。
善良なキリスト教徒は、飢えた貧しい人々、孤独な人々、望まれない人々、愛されない人々、そして大切にされない人々の中で神の愛の光となることを望んでいる人もいます。それは、いまや望まれないこと、無干渉の中に放置されることが、重い病であるという認識があるからです。
食料への飢えに対しては、食べ物を直接与えたり、食べ物を買うお金を与える事ができますが、孤独な人々や望まれない人々に対しては、キリスト教徒に限らず、他者への愛だけが、その苦しみから解放へ向かわせる事ができるのです。
多くの人は他者を分け隔てなく愛する事はできません。博愛主義者を自称する人でも境界線を設けてある種の苦しみに無干渉である事は不可避であるように思われます。それでも私達は可能な限り、互いに愛し合い尊重しあう重要性を知り、日常の中で実践していくべきではないでしょうか。
私達はひとりひとりにとって、まず自分自身を愛することが必要です。そして家族を愛しましょう。愛は家庭から始まります。他者を健全に愛するには自分自身への健全な愛が必要です。
他者を愛すればいずれ自分自身へも愛が帰ってくるでしょう。互いに愛し合う事を学べば、孤独な者も救われるでしょうし、世界も平和へと導かれるでしょう。
〔例文〕世界人権宣言から
前文
人類家族全員が本来もっている尊厳と、平等で譲り渡すことのできない権利を認めることが、自由と正義そして世界平和の基礎である。
人権の無視と軽蔑が、人類の良心を踏みにじる野蛮な行為を引き起こしてきた。また、人間が言論と信仰の自由と恐怖と欠乏からの自由を保障される世界の到来が、当たり前の人々の最高の願いであると宣言された。
人が最後の手段として、専制と抑圧への反逆に訴えることを強いられなくなるためには、人権が法の支配によって保護されることが不可欠である。
[のぶゆき例文1]スラヴォイ・ジジェク「斜めから見る 大衆文化を通じてラカン理論へ」からの引用改造文
その灰色の世界の住民は、他人の日常生活にとっては、まったくつまらない、まるで取るに足らない、価値の低い対象として扱われているかのようである。街の社会生活は中断されることなく、人々は相変わらず冗談を交わし、灰色の世界の住民のいる場所で歌を歌い、隣でマージャンや将棋などといったゲームをし、待ち合わせをし、それまでと変わらずに普段の関心ごとを追求する。
まるでありふれた風景を見たかのような傍観者の無視、それが玲奈真理教による灰色の世界の住民に対する嫌がらせや虐待が普通の出来事として受け容れられる素地を作り出す。直接的で野蛮な攻撃であればありそうにもないことが、ここでは可能になってしまうのだ。
〔のぶゆき例文2〕Hoobastank「A thousand words」からの引用改造文
「さよなら、バカ生ゴミさん」と言われるとつらい、「死ねバカ」と言われるとつらい
自分の心を丸裸にされて無干渉の中に放置されるとつらい
自分の体験が正常なコミュニケーションの回路に組み込まれず、応答と学習のための知恵も入ってこず、救済のための発展につながってないのもつらい
私はシリアスな状況を自覚せず時に愚かな笑いを浮かべ、「人間失格」と判断されることもあるようだ
壊れた鏡を思い出の箱に詰め込んでいる
多くの罵倒語を浴びせられ、現実の対人関係に根付かない所に自己愛の拠点を置く本多さんになっているか <es>としての小児的で卑猥な存在になるか <無意識>的に模倣を繰り返す存在となるか
鏡が映す幻にペンを制されそうになりかけた
言葉で心を削られていると感情と愛とオリジナルの表現が不足してしまうようです
[のぶゆき例文3]山形浩生と玲奈と玲奈真理教徒と私の置かれた状況について
山形浩生勝手に広報部部長をやっていた玲奈と玲奈真理教徒の見世物状態にある私の活動範囲。
山形浩生や玲奈と連帯した警察権力は盗聴盗撮通信傍受や個人情報収集を犯罪捜査に使うとありますが、犯罪捜査だけでなく公安利用も可能で、その場合、属領統治の手段としてや私の対人関係の把握といったプライバシー侵害にも使われてきた。
また2ちゃんねるは実は削ジェンヌ★(玲奈?)を中心とする玲奈支持者に支配されているようなので、玲奈支持者からマークされた一般市民の私のプライバシーを守ったり、正常で対等な人間としてのコミュニケーションの相手となる気はないようで、匿名での書き込み情報も、筒抜けになっているのでしょう。警察と玲奈真理教徒は私の個人情報やプライバシーを守る意思など初めからないようで、私の妄想として処理するか、精神的虐待と放置の末に衰弱して自殺する事を望んでいる人もいるのでしょう。玲奈真理教とはそういう集団のように思われます。その玲奈真理教が暴走した結果、私の生活範囲の監視社会化が進んでいるのでしょう。
現状を打破するためには、玲奈真理教による情報の共有と監視・分析技術の悪用を見抜き、内部告発者を得る事が必要。
しかし私が玲奈真理教による嫌がらせを集中的に受けている事を容認し無干渉の中に放置している人が圧倒的多数である以上、玲奈真理教を問題視する少数派の方のご理解とご協力をいただきたいと思って、パソコンで文章を書かせていただいています。
正確な情報が届かないまま、一人で玲奈真理教と戦っている者もいるのです。
〔のぶゆき例文4〕和田秀樹「人間関係は感情で動く」からの引用改造文
仲間意識は私達の人生を楽しくさせるために大切なものであり、仲間意識が私たちの心を弾ませたり、意欲をかき立てたりしてくれます。
それと同時に、仲間意識には怖い側面があります。仲間と認識していない相手がどんなに酷い状況に置かれていても、関心がはらわれなかったり、無干渉の中に放置されたり、内輪の人間には働かせる倫理的判断も停止させることもあるのです。
魅力が感じられないと判断されてしまえば、論理も発言内容も心に入らなくなります。魅力が感じられないと判断された相手がどんなに無茶苦茶な待遇を受けていても、閲覧者は「それがどーした」「だから何?」「どうでもいい」「キモいガベイジ(生ゴミ)」「典型的な統合失調症の症状ですね。入院生活の強制が必要です。今は一刻も早い休息と頭の活性を抑える事が必要なのです」と受けてしまうのです。
その結果、2ちゃんねる管理人西村博之のように「魅力が感じられない人はバカで、死のうがどうでもいい」と感じてしまうのです。
こういった話で関連する思想用語は、ルネ・ジラールの“スケープゴート”とジョルジョ・アガンベンの“ホモ・サケル”だと思います。
魅力による判断は入力する情報すら偏らせてしまいます。
玲奈真理教の悪意ある目で見られている「韓国人」は、悪い情報を中心に集めてAA(警察アート)で表現されてしまいます。
私達は権威と魅力を感じる人の言葉なら素直に聞き入れ言うことを聞きます。「この人いいな」と思っている相手には、穏やかな感情を持つからです。それによって、相手の論理や説得を受け入れることができます。
逆に、「こいつ、嫌だな」と思っている相手の言葉は、どんなに論理的に正しくても、事実を指摘していても同意しないし「うるせーバカ」「典型的な統合失調症の症状です。幻覚妄想活発で強制入院が必要。一刻も早い休息が必要。頭の活性をおさえる事が必要」「幻聴だという病識を持ちお薬を飲まないと」と思います。
つい見下したり、真実を伝えるコミュニケーションを拒否したり、無干渉であったりする事が多いのです。
〔のぶゆき例文5〕藤田君の言語表現や思考内容次第では、実況中継を本人の知らない所で見聞きしながら無干渉でいる人はトゲトゲしい態度をとるよ。
〔のぶゆき例文6〕継続中の暴力
知人や友人だった人や親族などで構成される家族会や自国民やお客さんに冷たい人たちは一体どうするつもりでいるのでしょうか。
愛しておいでの同胞目がけて日に夜をついで山形浩生と玲奈とその支持者によって行われている、
差別と嫌悪と侮辱を。
主権者達の多くは灰色の世界の住民に対する匿名での遠まわしの忌まわしい冒涜の叫びや見世物放送を聞き流しておいでだ。
私が叫ぶ、文化と承認への飢えや、名も知らぬ人々と幻聴として処理される音声と、
そこから生じる私の救援信号など無干渉な対象
という人も結構いるらしい。
その間の代償として蓄積される、精神的苦痛などに置かれている私など、
直接対等な人間として正常なコミュニケーションの相手となる必要もないとみなされているのかもしれません。
仲間内に限定された「友愛」の残酷さに気付いた時、
夥しい「ガベイジ嫌悪」の言葉で作った冠の茨の棘が額に食い入る苦痛を感じている時、
私は思い出した、過去の苦痛な体験と、現在も継続中のプライバシーの侵害や言葉や音声での暴力を。
統合失調症 (ホームページから)
人狼 (赤坂憲夫から)
理性 p505(中山元から)
スペクタクル (辞書から)
植民地 属領 (政治経済用語集から)
近代化 p168
ネオリベラリズム (政治経済用語集から)
◆パターナリズム (広辞苑、倫理用語集から)
父権主義・家父長主義・保護的温情主義・後見的干渉主義などと訳される。
家父長的な温情主義。親と子、支配者と被支配者、医師と患者などの関係においてみられる保護・統制の態度。相手に対して保護や配慮はするが、権利は認めない。
相対的に強い立場の者が、弱い立場の者に示す支配的態度をいう。管理者・教育者・専門家などの人間関係のほか、国際関係で見出されることがある。立場的に強い者は、父親的愛情を示しながらも、相手の人格や意見を軽んじ、自己決定権を認めない場合がある。たとえば、圧倒的な医学的知識をもっている医師が、治療方針を一方的に決定する場合や、患者がすべてを医師に委ねる場合がこれにあたる。このような場面では、患者の自己決定権が保証されていない。
◆永井均の<私>
◆ラカンの<対象a>
◆アガンベンの<ホモ・サケル>
◆赤坂憲雄の<周縁の異人>