◆エーリッヒ・フロム「悪について」から引用改造
虐待を行った羊飼い気取りの者は一人ぼっちではなかった。すなわちその羊飼い気取りの者のために灰色の世界の住民を精神的に苦しめ幻聴として処理される音声で恐怖心を煽り、自殺か死刑に追い込もうとし、しかも率先して平然とそうしてくれる追従者たちが灰色の世界の住民の触れる情報環境では多数派をしめているかのように思えたのである。人間が人間に対して行う非人道なしわざを、われわれはいたるところに見はしなかったか――死刑への誘導や人権侵害に、プライバシーの侵害や通信の秘密の侵害に、無実の者の施設への収容による移動の自由やネット通信による言論の自由の弾圧や対等な人間としての言論の機会の弾圧に、虐げられ苦しむ人の嘔吐に。こうした事実から私は、<羊飼い気取りの者と追従者たちは群れを外れた灰色の世界の住民には冷たくあたるか無干渉である>と結論するに至っている。私は羊飼いを自称する今日の排他的自己愛人間の玲奈について、そいつは悪意に満ちて破壊的であり、灰色の世界の住民の立場からの正論の組み立てと、自分と無関係なところでの他者との秘密が守られた正常な連帯を全力で拒否し、スケープゴートへの私刑の継続と追従者たちを自分の思うように動かす事を楽しみ、灰色の世界の住民の運命を苦悩でコントロールしようとする事を楽しむような、人権侵害を好む誇大自己に執着した権威主義的性格の存在だと判断するにいたっている。
羊飼い気取りの玲奈は他者の<死>を望み、追従者たちは従うことを欲している。そこで羊飼い気取りの者は追従者たちに言葉や音声で虐待させ、謀殺させ、絞首刑に運ばせようとする。戦争肯定、死刑肯定の殺人者は追放された灰色の世界の住民が劣悪であること、法と人権と自由の敵であることについての話を作り上げ、多くの追従者に灰色の世界の住民を苦しめるような行動をとらせる事を企てる。
◆今村仁司「暴力のオントロギー」から引用改造
相互暴力状態は、カオスである。カオスは世界の本源的状態で、相互的暴力がさかまく状態である。
警察権力を背後に置いた共同体は、呪われた性格(マレフィック)と祝福された性格(ベネフィック)とをあわせもつ。
カオスとは、ノイズの世界である。ノイズは、中世フランス語では、単なる雑音ではなく、怒号と喧嘩の音なのである。
社会関係が運動するためには、人間の他者への欲望、とりわけて他者による承認への欲望を必要不可欠とする。これなしには、いっさいの社会関係が成り立たず、動的にもならない。承認欲望は、社会関係に「生命」を吹きこむ。
社会関係のなかで生きながら、承認欲望を否定することなどは不可能である。
承認欲望は社会と文化の全体を貫く。この欲望が関知しないどんな社会現象も文化現象もありえない。日常生活のこまごました行為から、経済、政治、宗教、言語、科学、哲学などにいたるまで、承認欲望が貫徹し、それによってつき動かされている。承認欲望は、物質的、精神的交通関係の「起源」であるということもできるくらいである。
承認欲望が社会関係と文化の「原点」であり、それらの原動力である以上は、それはスケープゴート排除効果の最も重要な生命力である。この効果は、承認欲望の活動的地平のなかで動く。この欲望がなければ、あの効果はない。
承認欲望と模倣欲望は、社会的現実のなかでは切り離しがたく結びついている。いやむしろ両者は現象としては融合し合うのが通例である。しかし理論的には二つの欲望概念をはっきりと区別してかかる必要がある。大筋のところをおさえておくならば、承認欲望はスケープゴート排除効果の根源的原動力であるが、模倣欲望はこの効果の運動の特定の局面で登場するものだ、と言っておこう。言い換えれば、模倣欲望は、承認欲望の転化形態にほかならない。承認欲望がスケープゴート排除効果の特定の段階で特有の質を帯びて立ち現れるとき、それは模倣欲望とよばれる。承認は、必ずしもつねに、模倣性を帯びるとは限らない。承認は、特定の条件の下でのみ、模倣性を帯びる。したがって、模倣欲望の現出を語るときには、必ずスケープゴート排除効果の特定の条件を語る必要がある。条件つき承認欲望、それが模倣欲望である。
摸倣欲望は、社会の危機的状態のなかでその本然の姿をあらわしてくる。個人の場合、自尊心が「傷つけられる」と、摸倣欲望のかたわれたちが活動しはじめる。摸倣欲望の発動のためには、自尊心が「傷つけられる」という条件が必要である。
◆ルネ・ジラール「文化の起源 人類と十字架」「世の初めから隠されていること」から引用改造
フロイトの用語を使えば、ミメーシス理論は「ナルシシズムの打撃」と言えるかもしれません。それは心の中の自己愛に抵触する打撃です。
無条件の連帯の肯定などしない傾向のある警察権力を背後に置いた共同体は、対等な人間として秘密が守られた発言をする立場を認めたくない相手に自己責任論を押し付けようとして見世物生活を強制させ、自らの社会的生命を維持しようとし、集団の<エス>を分離しようとしてきたのだ。
無意識的に模倣を繰り返す存在としての集団の<エス>は、暴力的な排除の対象とされた事と自己愛の傷つきにより生じ、勝手な情報拡散を防止するために警察権力により見世物化と情報分析の対象とされているようです。
警察権力を背後においた玲奈真理教の羊飼い気取りの者が「この世は自分の願望を実現するためのパラダイスだと思っているんです」と言って、警察の実力を背後に次から次へ、灰色の世界の住民への私刑に巻き込んでいこうとしたのだろうか。
灰色の世界の住民を対等な人間として扱う事から生じる仲間内の揉め事の危機を解消し、共同体を自己破壊から救う手段としての和解の方法として、被害者の灰色の世界の住民を見世物化してきたのだろう。灰色の世界の住民は人権の保護からもプライバシーの保護からも、警察権力を背後に置いて灰色の世界の住民を見世物化して事実を共有している人たちの情報ネットワークからも外そうとされ、隠喩表現でリンチした後に死刑に運ぼうとされたのだろう。
警察権力によるリンチ集団が自分たちの私刑を語るとき、灰色の世界の住民抜きで周囲を説得し、彼らは常にそれを正当な行為に変えて表現しようとしてきたのかもしれません。
共同体内部の問題に由来する理由のせいで、リンチの参加者たちは、灰色の世界の住民に対して嫌悪感を人為的に生じさせたり、正常なコミュニケーションの回路を断って見世物化した事により、言葉での暴力を灰色の世界の住民に集中しようとする事に成功してきた面もあるのでしょう。警察権力を背後に置いた玲奈真理教の共同体は、無条件の連帯の肯定などなく、いかなる誠実なコミュニケーションとも無縁な対応をしてきたし、本当の事実の説明を灰色の世界の住民にしようとはしませんでした。
文化や社会秩序は、灰色の世界の住民に対する見世物生活の強制とリンチに関する事実を当事者に伝えていないのである。
スケープゴートのメカニズムを明瞭に示すためには、こうした警察権力を背後に置いた共同体成員の内部告発者も必要です。
というのも、もし灰色の世界の住民が警察権力を背後に置いた玲奈真理教徒のメンバーを裁判にかけたとしても、警察権力を背後に置いた玲奈真理教徒のメンバーは隠喩表現での洗脳や誘導やリンチや見世物生活の強制の事実を明らかにしようとせず、「常識的判断」と称して多くの人が嘘をつき、それでいて多くの人がそれが間違った判断と思わず嘘をつこうとするだろうからです。つまり灰色の世界の住民を陥れて対等な人間としての正常なコミュニケーションの回路から外し、見世物生活の強制と言葉でのリンチに関する事実を当事者に隠し死刑制度に賛成する人々は、スケープゴートが有罪であり、それゆえ死んで当然なのだと「常識的判断」と称して思っているからです。それは間違いなのですが、そのことを正しいと思っているのです。
「無条件の連帯の肯定などしなかった共同体が滅ぶよりは、警察権力を背後に置いた玲奈真理教徒による常識的判断により、愚か者の灰色の世界の住民が私刑にあった方がましだ」と主張している者もいるのだろう。
スケープゴートのメカニズムの被害者となった共同体の無意識的存在という意味で、灰色の世界の住民は正常なコミュニケーションの回路の<外部>に取り残され、対等な人間としての承認を与えられず、ミメーシスを繰り返す人として存在するように誘導されていたように思える。
キリスト教的個人は群衆と対立し、スケープゴート的解決のために多数派に加わることを拒否します。しかも灰色の世界の住民はリンチ自体に対しては何の罪も犯していない被害者の無実を明らかにしながらスケープゴートのメカニズムや見世物生活の強制や隠喩表現での死刑への誘導が「常識的判断」と称した殺人行為に過ぎないことを告発するのです。
「灰色の世界の住民の墓を建てようとする羊飼い気取りの者と追従者に裁きあれ。スケープゴートを殺害しようとするのは、あなたがただからだ。羊飼い気取りの者とその追従者たちは真実については沈黙し、灰色の世界の住民の謀殺に協力する玲奈真理教の手先の人たちなのだ。彼らは嘘をつくとき、心底から嘘をつく」
だからこそ灰色の世界の住民の協力者はこう言うのです。「私は羊飼い気取りの者とその追従者が隠してきたことを声にあげて言おう」。
十字架は「地上の王」としてのサタンの力、つまりスケープゴートのメカニズムを通して暴力を爆発させる力を滅ぼします。
言葉での暴力についての事実を排除するために、人々は警察権力の実力に頼る。
灰色の世界の住民を対等な人間と認める者が多くなれば、隠されてきたことも、灰色の世界の住民に対して明らかにされるであろう。
灰色の世界の住民のテクストとは、共同体の基礎を築く集団による暴力の、忠実であると同時にまやかしでもある反映なのですが、それは何らかの暴力行為の報告書、ウソではないまでも、私刑のメカニズムの効果そのものによって曲げられ歪められた表現の真実を暴こうとする報告書なのです。要するに、灰色の世界の住民のテクストとは迫害者たちによって歪められた表現を、被害者よりに修正した回顧的なヴィジョンです。我々は、見世物生活中の被害者の側に立って被害者は死に値するような人間ではないとみなし、灰色の世界の住民による、迫害者たちの罪状を述べたてるような主張を、無意味でデタラメな捏造とみなすわけにはいきません。
灰色の世界の住民のテクストは、証拠を捏造した創作ではなくて、迫害者の中心人物の玲奈真理教徒たちを特権化した集団である私刑参加者たちの真実を暴いたものである。
監視付き見世物生活の存在は、私刑参加者が国家による本来守られるべき私的領域の見世物化などの力を被害者に向けることで被害者をねじ伏せようとし、当事者である被害者抜きでの和解と安定を成立させ、被害者を<下>に置くためのものではないか。
被害者を復権させ迫害者たちを告発する態度は当然のものだと思います。
言葉の暴力のミメーシスによる拡がりで、被害者の文化の軽蔑が行われていた。
リンチの対象となった被害者は、リンチ自体に関しては罪を犯していないということ、「エス」の上に築かれた文化は、初めから終わりまで他者を仲間内の共同体の<外>に置こうとする性格を保ち続けるということ、そしてこの性格は、ひとたび見世物生活の強制の効果を持ち続けようとすると、唯一性を持った逸脱者の文化を軽蔑するに至る。
追放された灰色の世界の住民への匿名掲示板での言葉での私刑方法、つまり秘密が守れた自由な言論活動をさせないための立場への固定のための見世物放送や、正常なコミュニケーションの不足に注目する必要があるだろう。
迫害者自身の罪によって破滅に瀕した共同体を破滅から救い出すために、灰色の世界の住民を謀殺に運ぼうとする者もいるのだろう。
このリンチの反復は、直接的な表現をすると迫害者自身にとって危険なので、象徴的な言葉での私刑のような表現を匿名掲示板で利用してきたのです。被害者の正当な言論の組織化と伝播を防ぐためには、見世物生活を強制して、あらゆる共同体内でのコミュニケーションの過程を監視する必要があったのだろう。だからこそ灰色の世界の住民に対する表現は、迫害者自身の公式メディアの外で行われているのだろう。
灰色の世界の住民とは、共同体が危機に瀕したときに選ばれる被害者のことです。被害者の追放と対等な人間ではない地位への固定という立場の上に生き続けるためには、警察の人権侵害とプライバシー侵害技術と共犯関係に浸りきる必要があるのだろう。そして被害者にはそうした警察の力を背後に置いた者達の活動実態を隠蔽したり、隠喩表現で偽装したり、直接人間的コミュニケーションはせず無視したりしてきたのだろう。被害者を対等な人間ではない状態に維持した上に築かれた共同体の基礎づくりのリンチの事実は、それについて被害者に対して沈黙が守られているため、一見そうしたものはなかったように見せよう、典型的な統合失調症の症状だとして妄想として処理しようという工作活動が行われてきたのだろう。
◆竹田青嗣「意味とエロス」から引用改造
<エス>をどう処理するかということに、玲奈真理教の活動のアルファとオメガがあり、<人狼>をどう処理するかは、玲奈真理教の共同体にとって大きな課題であるのだろう。
羊飼い気取りの者の欲望が、<人狼>の連帯の脅威から共同体を防衛するため、<エス>という外部を隠蔽する共同幻想の体系を織り上げていくのであり、そこには<人狼>を象徴体系に組み込む「正常で高度な言論の介入」に対する剥き出しの排除の欲望がある。
「非理性であり正常なコミュニケーション不要の存在」として<人狼>を、覆い隠し、否定し、排除による連帯を築こうとするところに、羊飼い気取りの者と追従者の共同幻想の基礎がある。
<エス>という外部を非連続な対象として彼岸に抑圧し、<人狼>の抑圧の禁止の侵犯をエロティシズムの対象と感じる者を玲奈真理教徒として、<人狼>の象徴体系への組み込みをエロティシズムの対象と感じる者を灰色の世界の住民としてとらえるという思考形式は間違いだろうか?
現代日本の私刑のスペクタクルとは、正常な情報が行き届いてない非連続な<人狼>に注意を注ぐ人たちの前に明らかにされる、見世物的待遇から抜け出ようとする<人狼>の奮闘である。相互暴力状態への移行は、<人狼>を対等な人間としてみなす連続によって生じる。
玲奈真理教徒による<人狼>を正常に象徴化しない工作活動は、「<人狼>を対等な存在として扱わない属領化した状態を維持する共同体の保全こそ重要だ」という意図に基づくものだろう。そしてこの共同作業は、「近代以前の非理性的存在」に対する近代社会の合理的理性の勝利として説明され、「国民は社会に貢献する生産的存在でなければ連帯から解除されがちになる」というネオリベラリズム的価値観の普及をもたらす。そして「社会のために身を粉にして働く美徳」の過剰なまでの称揚は、「非生産的で社会に貢献しない低能無能の有徴の存在は助ける必要はなく、どんな理不尽な扱いを受けていても自己責任であり、合法的に殺害可能ならば殺してもいい」という判断を呼び寄せることもある。
法を超えた制裁とパターナリズムで対処されてきたのが、灰色の世界の住民の状況ではないか。 <人狼>に情報を隠蔽した人為的分離と属領化が「近代化」との関係で語られていた。
私が警察の力を背後に置いた者達の言動から感じたのは、<人狼>と「共同体」とをめぐるこのような物語であった。「人間の生の価値は、その人の自我理想によって決まり、平等も無条件の連帯の肯定も存在せず、魅力を持った生へと変わらなければ対等な人間として見なされず疎外されがちになる」という回路が現代日本社会で支配的思考形式のように感じる。人間的で相互的なコミュニケーションの外部に放逐されたスケープゴートであり、プライバシーを認められていない監視付きの見世物生活を強制されている<聖なる人間>であるかのような<私>。
氷山のような意識の水面下には植民地的無意識としての<外部>の何かがあり、それを排除した後にプライバシーを認められてない監視社会の見世物生活を強制される被害者として包含しようという生政治的試みが警察の力を背後に置いた言論活動展開する者達の活動実態ではないかと感じられる。
私は永井均の<私>とラカンの<対象a>とアガンベンの<ホモ・サケル>とルネ・ジラールの<スケープゴート>と赤坂憲雄の<周縁の異人>と岸田秀の集団の<es>に、共同体の<外部>に置かれた者の生を見たわけだが、それらの構造的類似を説き統一的に語っている仕事は、まだお目にかかった事がない。
2013年3月頃作成した文章を減筆(?)修正してみました。