相変わらず暑い毎日ですね
さすがにお天気は数秘&カラー®では
予測できない…
さて今日は 間が開いてしまったけど
こちらの記事の続きです~今回が最終回です。
怪しいことは前からあった
11月の半ばに 「給料が遅れるって」と言い出し
週払いはおろか 月払いの清算分ももらえなくなった、と
嘘をつき続けた夫
月が替わっても
給料は未払いのまま
Xmas(私の誕生日)にも家に帰ってこず
たまに着替えに戻ってきても
すぐに会社に戻らなきゃ
と私を避けるように出ていく。
その間にも 公共料金やその他ローンなど
督促状がどんどんとやってきます。
「これどうすんのよ」
と問い詰めても
「社長が今は払えないって言うんだから
しょーがねーだろ」と言うばかり
夜の〇〇〇クラ 〇俗の店を取りまとめてる
会社で あるとき 「店長を任された!」
と喜んで帰ってきたのですが
思えばそれは
店の売り上げが落ちたり 店で働く女性が辞めたり
何かあれば即刻 責任をとらされる
立場になった、という事だったのかもしれません
またある時には「社長に車もらった」と言って
車に乗って帰ってきて
「諸経費は全部社長持ち」
と言ったものの
車の税金 駐車場代 一度ももらっていません
夫の名義になってるから
夫宛てに税金の納付書が来るのは当たり前ですよね?
それなのにお金の心配はいらない、って
本当に信じてたのだろうか?
おかしなことは沢山あったのですが
自己破産からやっと立ち直ったころだったので
私も波風立てたくなくて
夫の言うことを 鵜呑みにするふりをしていました。
永遠に闇の中だと思ってた
私がカードでキャッシングすることで
なんとか最小限の支払いをしていましたが
それだと今度は私の借金が増えてしまいます
「私にも自己破産させる気?」
と散々なじって
やっと夫が会社を辞める、と言い出したのは
翌年2月のことでした。
未払いの給料は支払われるどころか
辞めるにあたってこちらが
お金を払わなきゃいけないような状態で
(なんだか 〇〇団の足抜け❔のようだな、と思いました)
それでもなんとか その会社とは縁が切れ
車の諸経費や処分にかかる費用は
これこれこういう事情で。。と
説明してそちらに請求書を送ってもらったようですが
どうなったか?は
詳しいことはわかりませんでした。
もう私の理解の範疇を超えていたから…
そこからまた夫は職探し
バイトとか 派遣とか
とにかく短期しかなくて
酷いときは やっと仕事にありつけた~
と思ったら 指定の服装と間違えていて
仕事に入れず帰ってきたこともあります。
(え~今日の稼ぎは???)
ようやく派遣で長期の勤務ができるようになったのは
いつ頃だったか?
もう全然覚えてないくらいです。
私はずっと同じ職場から離れられなかった
家計がこんな状況なのだから
私もダブルワークするとか
しなきゃいけなかったのでしょうが
(自己破産した時は パートの時間が短かったので
やっていましたが)
歯科医院のパートは 下手すると休憩なしで
朝から14時まで働くので
ヘロヘロで ダブルワークは無理でした。
それに緊張しぃの私は
歯科医院を辞めて 新しいフルタイムの仕事を探すなんて
考えただけで怖かったし
以前のように
私が無理して働いても
その分 夫が働かなくなるのでは?
という恐れもあったのです
HSPで 新しい環境に馴染むのに
すごく時間も労力も必要な私は
夫の仕事がコロコロ変わるのに
自分まで違う環境に身を置くなんて
考えられない~ってのもありました。
そしてやっとカラーセラピーの資格もとって
少しお客様もついてきたところ
だったのですが
そんな状況なので
開店休業状態でした。
とても人の相談になんて乗れませんよね
パーソナルイヤー5から6(愛情の年)へ
とにかく たくさんの督促状の支払いと
新しく発生する公共料金などの支払いと
私がキャッシングしたものの返済と
働いても働いてもお金が手元に残らない日々でしたが
それでも少しずつ平穏が戻ってきた頃には
1年は経ってたんじゃないかな?
と思います。
その頃の話をすると
「どうして別れなかったんですか?」
と聞かれます。
ひとつ目に 離婚をする、という話をすれば
母が「ほら見ろ、言わんこっちゃない」
とまた私を支配下に置くだろうことは
目に見えていた、こと
母は私と夫が結婚することは内心
よく思ってませんでした。。。
(自分の理想と違ってたから)
でも 父が夫を気に入って
私が選んだんだからお父さんは認める
と信じてくれて結婚に至りました。
ふたつ目に 東日本大震災があったから
離婚するにしても 実家には戻らないぞ、と
思っていましたが
愛知県は直接的な被害はないものの
時々震度3~4の地震はあったし
自粛ムードだし一人でいるのが怖くて
なんとなく そのままずるずるって感じに
なってしまったのでした
パーソナルイヤー5 で大きな大きな変化に見舞われ
翻弄されたあと
誕生日が来て
パーソナルイヤー6の年に入りました。
パーソナルイヤー6は
愛情の年
その愛情というのは夫婦や家族、
友人と言った身近な人間関係の中での
関係がクローズアップされる時です。
事態がようやく落ち着いて
その頃には数秘&カラー®も学んでいたんだったか?
とにかく大変すぎて
時系列があまり思い出せてないのですが…
一連の出来事(自己破産からまた お金の問題が起きた)
についてゆっくり考えて
私にも少しは原因があったのかもな?
と思うようになりました。
本当にそれが理解できたのはずっと後でしたけど
自己破産の時はまだまだ
高額ボーナスを前にクビになった夫を恨んでたし
この時もまだ
昇華しきれない想いはありました。
ただ、ちょっとだけ
自分のことも振り返って
見られるようになった気がします。
ただ、ここでは
愛情の年のもう一つのテーマ
「自己愛」
については全然できてなくて
まだ 人に振り回される私
であった気がします。
それと同時にお金が無い状態は長く長く
続いていたので
それでやりたいことを私はしちゃいけないんだ
ととにかく我慢我慢の日々でした
このころは本当に ただただ、人生に翻弄されるばかり
でしたけど
数秘&カラー®を学んで
自分もお客様の鑑定をする立場になり
年月が経って パーソナルイヤーが一周し
次に
パーソナルイヤー5の年が来た時は
何か起こっても振り回されないような
かなり自分軸について理解が出来ていたし
何かあっても 絶対闇からは抜け出せる
と確信していたので
覚悟していたほど 辛いことはありませんでした
もし知らなかったら
また何かに翻弄されていたかもしれませんけどね
でも あれだけの悲惨な日々を乗り越えてきたのだから
それ以上に何も起こらないよ
と肝がすわっていたのかも?
最後に
ここまで連載してきたことは
私に起こった大変なこと、の ほんの一部です
夫がお金のことで問題起こしたのはこの2回だけでは
なかったし
それとは別に 私は交通事故に何度も遭いました。
(幸いどれも軽傷で済んでいます)
数秘&カラー®ライフパス33
って苦労が多い、とよく言われますが
本当によくここまで生きてきたな
って思います
でも今は推し活もできて
好きな仕事に就けて
(カウンセラーは高校生の時からなりたかったのです
その話もまたいずれ…)
幸せな人生だ、と思っています。
ただ、数秘&カラー®を知らなかったら
度重なる出来事に心が折れて
私には幸せな日々は来ないんだ…
と思っていたかもしれません
人間関係についても理解できて
過去の検証もできて
今の自分についても知れて
将来の予測もできる数秘&カラー®って素晴らしい
と思っています。
だから 私はHSPさんにはぜひ
この数秘&カラー®を使ったカウンセリングで
自分をもっと知って欲しいと願ってます。
周りに気を使って
自分を抑えてしまうHSPさんには
ぜひこの数秘&カラー®で自分という人間について
知ってもらって
私はもっと価値のある人間なんだ
って思って欲しいです
そうすることでHSPさんの生きづらさは
途端に解消していくからです。
数秘&カラー®は…
生年月日を西暦で教えてください
そこから
・ライフパス (主な特性)
・バースグリッド(隠れた才能)
・パーソナルイヤー(毎年の運気サイクル)
・ピナクル(人生を4つに分けた時のカラーヒストリー)
という項目を 生年月日から算出した数字と
それに対応する色とで解説していきます
自分が思っていたよりもずっと
あなたには才能があって素晴らしい人で
これまで生きてきた自分を肯定できるようになります。
人間関係に悩む場合は
相手の方の生年月日がわかれば
ご自分のライフパスとの比較で
相手のことが理解できて
上手な付き合い方ができるようになりますよ
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