②映画『四月になれば彼女は』を観て(つづき)「愛の存在」満ちてゆく | 風ゆくままに~Windy Rhapsody~

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風ゆくままに、成るがままに・・
2021年より藤井風さんの音楽を聴くようになり
彼の音楽性、人間性、精神性に魅了される日々
風さんを中心にした音楽ネタを綴ります

(つづき)
 
前回、支離滅裂な?取り留めのない感想になりました。
ヒートアップして暴走状態、失礼しました。
 
 
続きになりますが、
これまたどうなるか・・分かりません。
 
思いつくまま書きます。
 
映画を観てから一週間が経ちますので、記憶を辿りながらになります。もし勘違いなどありましたらご容赦ください。
 
 
藤井風さんの「満ちてゆく」にも触れたいと思います。
 
 
 
ネタバレOKの方は、このままお付き合いいただけたら嬉しいです。
 
 
NGの方はまた機会がありましたら、カムバックお待ちしています。ご訪問いただきありがとうございました。
 
 
 
 
映画『四月になれば彼女は』

 

 

 

映画『四月になれば彼女は』

 

 

 

 

【感想・想像・その他】・・つづき

 

 

 

まず最初にお詫びです。

 

いきなりですが・・

前回、藤代と弥生のラブシーンについて「セックスがぎこちない」と書いたのですが、ここはお詫びしなければなりません。

 

冷静に考えると、その「ぎこちなさ」が良かったのだと思います。藤代と弥生の過去の恋愛経験の歴史を物語っている?それをリアリティに表現してたのかーーっ!!と。(笑)

 

そう思うと、それはそれで凄い迫真の演技ということになるでしょうか。

 

藤代はハルと別れてからの7年間、まともな恋愛をしないまま弥生と出会うので、ラブシーンは繊細に描いたのだと思います。勝手なこと書いてごめんなさいです。

 

 

そんな情熱的な触れ合いがありながらも、やはり「時」というのは無情で、どんどん感情の温度(熱)が冷めていきます。

 

(始まりがあれば終わりがある・・自然の法則なのか?)

 

それはお互いにそうだし、誰しも抗えない現実ですが・・

 

藤代みたいに(それでいい、そのままでもいい)と特に感じることなく安泰に埋もれるのか・・

弥生のように(このままでいいの?私たち?不安だよ)(私本当に愛されているのかな?)と藻掻きはじめるのか・・

 

そこは、千差万別色んな形のカップルが存在すると思います。

 

でも弥生の場合は、結婚を目前にこれから幸せになるはずの女性。婚約者の立場としては、思い悩むのは当然だと思います。

 

弥生は孤独を感じていました。

疾走してから藤代に届いた手紙には、

一人でいる孤独ならまだ耐えられた」と書いてありました。

 

 

そんな不安定な状況下に、ハルから届くあの手紙。

 

淡々と手紙の内容(ハルのこと)を話す藤代の無神経さ・・このシーンを見て皆さんはどう思われましたか?

 

ここでもタスクの名言が思い出されます。

 

人間ってのは憎んでいる人より、そばにいて愛してくれる人を容赦なく傷つける

 

このシーンの藤代の会話を聞く限り、彼は弥生を傷つけているだけでなく、ハルをも傷つけている。ハルの気持ちをも軽んじている。(無意識に)

 

10年前あんなに夢中で恋をしたのに。

あんなに壮絶な別れを経験したのに。

ここにも藤代の「愛の不在」を感じます。

 

もしかしたら、藤代はあの時の自分を許せていないのかな?

だから自分を愛せていないのかな?

 

 

お別れしてから10年という歳月を経て、ハルがどんな思いでこの手紙を書いたのか?どうしてそこまでして二人で行くはずだった、でも行けなかった写真の旅に海外へと飛び出したのか?(命を削ってまで)

 

そういう深い心情に、藤代は思いを馳せることが出来ないのです。

 

まるで他人事のように、昔の彼女が「写真を撮りながら海外を回ってるんだって」とさらりと弥生に話します。

 

(隠し事をされるよりはいいけれど・・)

 

精神科医でありながら、自分のこととなるとまるで無頓着、無神経。ハルの手紙にさえ、本気で向き合おうとしない。こういう僅かな時間の台詞の一つ一つに、全てこの映画の重要な人物像が描かれています。

 

 

 

ウユニ塩湖の白の中に映える赤いハル。

プラハ、アイスランドと世界遺産?の風景に溶け込むように、ハルは心の穴を埋めていきます。

壮大で広大な大自然の美しさに負けないくらい、ハルのピュアな心と瞳は輝いていて、私には眩しかったです。

 

それは、ハルの物言わぬ演技が良かったというのもありますが、写真部の大学生だった幼かったあの頃から、10年経って大人になったハルがどんどん「満ちていく」・・そんな風に見えました。

 

大自然の美しさと、ハルの純心な美しさを重ね合わせた描写だったのでしょうか?その映像美が見れただけでも期待通り、嬉しかったです。

 

 

ハルはきっと、自分の伝えたいことを伝えて、自分を愛で満たして思い残すことなく、命の限りを生き切ったのだと思います。

 

そのピュアな元カノの気持ちが本当に伝わったのは、藤代ではなく弥生だったという、この皮肉さ!!

 

 

最後の手紙は、弥生が藤代に渡さず勝手に読んでしまいますね?

 

それを読んで、弥生は行動を起こさずにいられなかった。自分の職場(動物園)の大事な動物たちを二の次にしても、弥生の心は止められなかった。

 

ハルに会おう、会いたい。

ハルに近づきたかった。何かを求めて。

SNS・ネットでハルの存在を確認していましたね?

 

弥生は本来は仕事人間で、動物の命を預かるという責任ある職についていながら、急に長期休暇を取るなんて通常は困難だと思います。(一見、不自然にも見えます)

 

でも、逆に考えればそこは男性と違って、女性目線で見ると、弥生は仕事を辞めてでも今は藤代との関係を見つめ直す、修復する事の方が重要だったのだと思います。

これからの弥生の人生がかかっています。幸せになれるか否か?

 

 

現在の弥生と藤代の間には・・「愛の不在」?

 

10年前のハルと藤代の別れ・・「愛の不在」

 

だけど、手紙の中には、

ハルと藤代の間に確かにあった「愛の存在」

 

弥生は確かめたかったんじゃないかなあ?自分の「愛の存在」を。

ハルに会えば答えが出るかもしれない。とか・・

 

死を迎えようとしている、今純心なままに生きているハルに会って、何かを思い出したかった。失ったものを見つけたかった。ハルと共有したかった。・・そんな気がします。

 

 

3年前、弥生にも確かにあった「愛の存在」

動物園で藤代と一度は別かれますが、その後に藤代が追いかけて戻ってくる。抱きしめ合う。あのクライマックスシーン。

 

ここも胸打たれるシーンでした。

いや~、ここは「満ちてゆく」の音源が欲しかった!!

 

(ちょっとー、音楽ちょうだい!流してよ~!!)とまた雑念が・・。笑

 

このシーンぐっときますが、弥生は受け入れる側。

あの時、藤代が戻ってこなかったら、そのまま二人の関係は進展しなかったということなのかな?

なので、弥生は自分からは飛び込めないタイプ?

愛を差し出すことが上手に出来ない、恋愛には不器用。・・ということになるでしょうか?

 

愛を終わらせない方法、それは何でしょう?

それは、手に入れないこと

 

弥生はずーっとそれを貫こうとしている。

それが弥生のスタイル。

 

(う~ん、私には理解するのが難しい)

 

 

 

そんな弥生の気持ちをまるで解っていない藤代が、

ようやく弥生の部屋で見つけたハルからの最後の手紙。それを読んで、やっと真剣に動き出しますが、その前にハルが亡くなったという知らせを受けますよね?(違ったかな?)

 

そして、最後の余生を過ごす緩和ケア施設?に出向き、担当医師からハルのお話を聞き、最後にハルが愛用していたカメラを手渡されます。

 

そのカメラや写真、ハルの遺品整理やベッド周りの片づけをしていたのが、なんと弥生だったという展開が、なんだか凄いなー!と。

 

自然にも不自然にも見えるこの運命めいたストーリー。

 

 

でも、ハルにとっては良かったと思います。まだ元気なうちに弥生に知ってもらえたこと。一度は藤代に恋をしたハルという女性がそこに存在した、共に生きていた、という現実、証。その軌跡が間違いなくあった。

 

弥生は、心が満ちているハルの笑顔を撮る。

たい焼きを一緒に食べる。ピアノを教える。ハルの髪の毛を切る。

何かを共有する。時間を共にする。

このシーンもぐっときました。泣きそうになりました。

 

ハルは全てを分かっていた、分かって弥生を受け入れた。

ハルは最後までキラキラ輝いていました。

 

夕空?を見ながら髪の毛を切るシーンの会話が凄く良かったのに、台詞が思い出せなくて・・(残念)ここも本当に胸打たれました。

 

この時の弥生は、藤代をどのように思っていたのでしょうか?

 

「愛の存在」を確認して・・確かにここに。

わたしの中にちゃんと愛がある・・と。

 

 

 

 

ペンタックスと藤代のシーンも、短いですがこの物語のボルテージが上り詰める、とても重要なシーンでした。

まさか、まさかのフィルム現像で弥生の顔が浮かび上がる。

 

ハルのカメラに弥生が!?

ハルのカメラに収められている!?

どうして?!?

弥生の写真をハルが撮った!?

 

ここで、ようやく弥生の居場所が判明します。

 

 

弥生・・

 

もう離さない

弥生・・

 

ペンタックスの車で追いかける。

 

藤代もまた「愛の存在」に気づく。

確かに自分の中にちゃんとある・・

 

今まで向き合ってこなかったこと

弥生の愛に応えてこなかったこと

愛することをさぼったこと

 

 

ペンタックスがハルのことを聞く、

「あの時どうして追いかけなかったんだよ?」

 

「・・・・」

 

「だから、今・・」

 

 

 車が止まる。

 

 

朝焼けの海辺に立つ弥生

 

藤代は、弥生の姿を見つけて

「弥生」と叫ぶ。

走り出す。追いかける。

 

弥生は、藤代から逃げる。

 ↑

(はい、ここ!!)

弥生は逃げようとして走り出します。

 

せっかく藤代が迎えに来てくれたのに・・どうして?

 

ここは、なんとなく分かります。弥生の気持ち。

もし私が弥生の立場だったとしても、同じように逃げると思います。

 

本当に分かってる!?

本当にわたしの気持ち、分かってるの!?

本気でわたしを迎えに来てる!?

あなたの中に「愛の存在」は本当にあるの?

あなたは全てを差し出せるの!?

 

みたいな・・??(知らんけど)

 

面倒くさいですか?女心的な??笑

 

 

この最後のクライマックスシーン・・

 

きれいな浜辺の波打ち際・・

 

台詞がなくても

愛してる

弥生を愛してる

もう離さない

弥生を愛してるんだ

藤代が身体でそう叫んでいる

 

ここでも藤代の埋められなかった心の穴や「愛の不在」が、どんどん満ちていくのが分かりますよね?

 

もうもう、本当にもう

ボルテージMAXじゃないですか!!!

 

はい、私が泣いた1.3回中の1回がここです。

 

泣きましたよ、本泣き。

ハンカチを濡らしましたよ?

(それなのに・・)

 

 

藤代が砂に足を取られながらも、必死で弥生を追いかけ、

 

足がもつれてよろける弥生を捕まえ抱きしめる・・

 

倒れ込んで横たわる

あるのは波の音だけ

二人だけの波打ち際、砂まみれ

小波を受ける身体、抱き合う二人

静寂が二人を包み込む

 

藤代と弥生は満ちてゆく・・

 

満ちてゆく・・

 

どんどん満ちてゆく・・ 

 

orverflowing・・

 

 

 

もう私の気持ちは、この胸の高鳴りは、最高潮に達して泣いているわけです。それなのに・・

 

まだ「満ちてゆく」が流れない

 

えっ?うそでしょ!?

ここで音楽無しでどうするの?

 

涙がひっこんじゃうよ?((´;ω;`)ウゥゥ

(雑念入りまくり)泣

 

 

はい、私の「ちょうだい!ちょうだい!」が発病しました。

 

最後は「ちょうだい病」発症して終わるという結末になりました。こんな我が儘な私でごめんなさい。

 

 

私の期待より 何テンポも送れて「満ちてゆく」が流れました。エンドロール。

 

 

 

これから再スタートする藤代と弥生・・

愛を終わらせない方法、それは手に入れないこと

と、最後にまた弥生が言っていましたね。

 

さて、藤代は今後大丈夫かな?

 

 

緩和ケア施設のお仕事はどうするんだろう?等と、また現実派の雑念が入りながらも(幸せになってね)と願いながら、エンドロール中劇場内に響き渡る満ちてゆくに聴き入っていました。ハンカチを握りしめて。

 

 

 

主題歌「満ちてゆく」が流れて、はじめて映画『四月になれば彼女は』が完結する・・・そのような佐藤健さんの発言どおり、映画と主題歌はまさに一体だったと思います。

 

 

 

「満ちてゆく」/ 藤井風

 

 

 

 

 

 

風さんの歌声がどうしてこんなに心地よく、この映画に寄り添うように調和するのだろう?

 

そして「満ちてゆく」のメロディーラインも全体のサウンド、楽器音も歌詞も何もかもが、どうしてこんなに映画に溶け込むの?

 

 

感動しながら、思ったのです。ハンカチを握りしめたまま。

 

風さんはまだ26歳。

 

この映画って、複雑な精神性や人間関係が散りばめられていて、決して単純な物語ではありませんよね?

結構成熟した大人が理解するようなイメージだと思うのですが、風さんはどうしてこんなに奥の深い所まで分かってしまうのかな?と。

 

 

 

 

映画を観終わってから、また「満ちていく」を聴き、原作者・河村元気さんとの対談を再読しました。

 

そこには、なるほどと激しく感激させてくれる風さんの言葉たちが再確認できました。

 

 

 

 

 

 

 

曲を書く時の向き合い方・・

 

<一部抜粋>

物語を貫いている空気感みたいなものにインスパイアされて。

(これは)自宅で書くもんじゃないなと。

どこかつーんとした、それでいて神聖で、崇高な場所で書きたいと思って、教会で書かせていただいたんです。

 

映画のエンディングのところでストップして。

 

(その後)どういう音楽が鳴ったら、この物語の邪魔をしないだろうか。それを考えながらピアノに向かいました。

 

 

曲を書くことに関して・・

 

最近はスルスルと出てくることが増えたこと。

「満ちてゆく」に関して、メロディは1時間もかからなかったこと。

 

クライマックスのシーンには小林武史さんのパイプオルガンのサウンドトラックが付けられているじゃないですか。

きっと教会に行けば、この作品を貫いている世界観に合ったものが出きそうと直感的に。

 

教会に入った時、祈りました(笑)

書けますように。降りてきますように。

そしたら歌詞もすらすらと・・。

 

曲のタイトル「満ちてゆく」がどうやって出てきたのかはもう覚えていない。

 

(川村さんに)物語が終わった後、この二人の行方を明るく照らしてほしいというニュアンスの言葉をいただいて。そっちでいいんだという印象があります。

 

映画を拝見した後は、すごくニュートラルなものの、明るくも暗くもない、ポジティブでもネガティブでもない曲なのかなと思ったりもしてたんですけど、観ている人をできるだけ明るい方向に導いてほしいと。

 

今となっては後づけですけど「満ちてゆく」という言葉は、映画の派手ではない、静かなポジティブさが感じられる言葉なのかなと思ってまして。

静かに明るくなれる。静かだけど確かなポジティブさ。

(言葉は)ただ出てきてくれたので説明とかはできないんですけど。

 

 

こちらの対談記事は縦書きになっています。

 

 

 

風さんがこの曲を、いかに映画の物語に寄り添って調和するように書き下ろしたのか・・

 

その音作りにも、いかに細部まで拘って仕上げたのか・・

 

そんな裏側がよく分かる内容になっていますが、さらに詳細に分析して解説してくれている動画があります。

 

 

ずーさんの音楽解説動画です!!

 

 

 

静かに明るくなれる。静かだけど確かなポジティブさ。

 

ピッチを429Hzに合わせて耳馴染みのよいサウンドにしている。

 

静かなポジティブさを表現するために、巧みな調整を加えている。明るい希望に向かうような転調など。

 

サビでは429Hzのピッチから、盛り上がりにかけて一度通常の440Hzにピッチを上げる。再度心地よい429Hzに戻す・・等々。

 

風さんの神業が散りばめられていて、全体に集約されている。

 

最後の最後のあの音・・

最後の一音にまで感動「神か!!」←(心の声)

 

エトセトラ・・・

 

 

 

もしまだの方は、こちらもぜひご覧ください♪

 

ずーさん、いつも分かり易い解説をありがとうございます。

勝手にシェアさせていただきました。

 

 

 

改めて、藤井風という人は本当に26歳なのか?と思うわけです。

 

「満ちてゆく」

 

こんな曲を若干26歳で一時間もかからずに書いてしまうのです。

 

きっとこの方には音楽の神さまが宿っているのでしょうね?

音楽だけでなく、自分の中に(私たちには計り知れない)偉大な「愛」を抱えて・・。いや~、もう言葉がありません。

 

藤井風さん、

こんなに素晴らしい楽曲を本当にありがとうございます。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

いつもご訪問くださる方、心よりありがとうございます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

メロディ

 

 

 

 

 

PS:

昨夜、一度投稿した記事だったのですが、どういうわけか途中から消えてしまい、止むを得ず書き直して再投稿しました。

 

さて、今日は原作を読み終えようと思います。