2024/03/16 23:30~
NHK「tiny desk concerts JAPAN」素晴らしかったですね!!とっても幸せな夜でした♡
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「満ちてゆく」MVについて。
ここからの文章は、3月16日「tiny desk concerts」を観る前に書いていたものです。
さてさて、
連日KAZE陣営から「愛の爆弾」をもろにクラっています。
皆さまは、睡眠不足大丈夫でしょうか?
私は、昨夜は寝落ちしました。
3月15日、真っ先に歌詞を書かせていただきましたが、どういう訳か?多くの方に見ていただいたようで、アメーバブログを始めて以来の最高アクセス数となりました。
私のような極小・弱小?の拙いブログに、15日の一日で「933」という数字に驚いています。(普段は平均200位)
ご訪問くださった方々、本当にありがとうございました。
それだけ藤井風さんの「満ちてゆく」への関心が高まっていたのだと思います。風さん、本当に凄い神曲を生んでくれました。
YouTube育ちの風さんは「音楽は見ながら聴くのが当たり前」と思っているそうですが(←3/1ラジオでの発言)
いつかグウェン・ステファニーの"COOL"のようなロマンチックな映像で、MVを作りたいと話していました。
この「満ちてゆく」も相当ロマンチックに仕上がっていると思いますが、どうでしょうか?ロケ地はニューヨークですし。
今回はMVということを忘れて、ショートムービーのような感動的で情緒溢れる作品でした。もう体中の細胞に染み渡るほどの神クオリティだったと思います。
どうしてこんなに感極まって泣きそうになるんだろう・・それは、風さんの役者としての演技力に圧倒されたということもありますが、吸い込まれてしまうような何とも言い表せない迫力がありました。
どうしてそんなに、素敵なおじいさまに成りきれるの??
そして、このリアリティなよくできたストーリー。
どれもこれも美しく、現実味を帯びた映像で描写されていて、風さんの表現力もお見事でした。
そんな中で、どうしてこんなに切ない気持ちになるのでしょう?
温かい母の愛に包まれながらも、どこか私の中に寂しさが残るのはどうして??
山田智和監督がインスタで
「絶対に見て欲しいMUSIC VIDEO」とポストしたのが頷けます。(風さんリポスト)
2024/03/14:ずっずダイアリー
「お久しぶりです」によると
「満ちてゆく」は、
映画『四月になれば彼女は』の主題歌として書き下ろした楽曲。
この映画は、川村元気さん原作で、山田智和さんの長編映画初監督作品。
山田智和監督から、
「これから初めて長編映画の監督として映画を撮りにいくのですが、この作品の主題歌は風くん意外考えられない。」
みたいなことを熱弁されたのは、2022年春頃かなと。
その頃の智和さんは、長旅となるであろう海外での撮影準備に追われていたせいか、いろいろとボロボロでした。いつもカッコいい見た目も。
そもそも、この主題歌オファーも、恐らく智和さんの子供のようなピュアモードが発動し、独断で申し入れてきたようでした。実際、映画関係の大人は介さず、智和さん一人で乗り込んできましたから。
(中略)
映画『四月になれば彼女は』の主題歌を藤井 風さんに書き下ろして欲しい。と、川村元気さんから正式にオファーがあったのは、それから1年以上経ったころ。
東宝さんに試写用のスクリーンで鑑賞させてもらった後の風さん
「できるかどうかはわからないけど、やってみたいです。」と。
正式にお受けすることになったそうです。
映画を観ないと誕生しなかった曲。
その曲のMusic Videoをその映画を撮った監督が撮る。
運命の糸が絡み合って、成るべくして成った、お互いの信頼関係のもと誕生した作品としか言いようがないですよね!!
映画『四月になれば彼女は』
主題歌「満ちてゆく」
正直言うと、もうどこからどう書いていいか分からないほど溢れてくるものがあり、纏まりがないのです。いつもながら乱雑になると思いますが、お許しください。
「満ちてゆく」MVは、車いすの風おじいさん(老人)が机で、ノートにペンを走らせるシーンから始まりますが、人生の最終章として、自分自身と母との過去を回想しながらシルバー時代、青年時代、少年時代を振り返っています。
おおまかな感想としては、いついかなる時も最愛の母が無償の愛で包み込んでくれいる、温かく見守ってくれている、そんな大きな深い「愛」を受け取っている、自分の中にあるもの・・に気づく。
愛は求めるのではなく、与えることで豊かに満たされていく。
何か負の感情や、自分を傷つける何かがある時は、それを執着を手放せばいい、心を軽くすればいい、そうすることで自分の中に持っている「愛」に気づき満ちていく、満たされていく。
自分を愛で満たして初めて人(誰か)を愛することができる・・ということなのかな・・今はそう思います。
素直に受け止められれば、そうなんだろうと思います。
世の中のすべての人がそうであれば(そういう環境であれば)いいなと願う気持ちです。
Cast
Mariko Takahashi
AKIRA SINOUEAU
最愛の母は、大きな花柄のショールを肩にかけて、いつも愛用していたようです。
①地下鉄のホームに立っているシーン(若い母)
②グループセラピーの輪になった椅子に座るシーン(白髪になった母、赤いマフラーをしている)
③風老人がシルバー時代に、ピアノを弾くレストランで見守るシーン(白髪になった母、赤いマフラー)
④青年時代に、地下鉄の車両で窓越しに母の姿を見つけるシーン
⑤少年時代に「ALTENBARG」ピアノハウスに入店するシーン
⑥少年時代に、水中に母の身体が沈んでいくシーン
⑦最後風老人が机で、指からペンが落ち、息絶えるシーン
①~⑥まで、見える足元にはブーツ姿。
そして大きな花柄のショール。
最後の⑦だけは、同じブーツと服装でも、肩にはショールはなく、風老人の丸まった背中にそっと掛けてあげます。
風老人は、偉大なる母の愛情とショールに包まれて、幸せに帰っていったのですね。迎えに来てくれたのでしょうか・・
(写真は少し明るくしています)
Acotrs/Actresses
Body Double (Mother)
AYAKO IIJIMA
↑
間違っていたらごめんなさい。
拡大してみると多分ボディダブルかな?と。
(Body Double・・身体の代役・替え玉)
②と③の赤いマフラーは、どうやら少年が着ていた赤い前開きのパーカーではないでしょうか?パーカーの袖にも見えます。
(拡大して見ると、ただのマフラーにしてはゴワついているようにも見えます・・特に②)
シルバー時代だけ、母は年老いて白髪になっています。どうしてでしょうか?(お母さんも年とったよ、と?)
水中で少年と母の手が離れるシーンがありますが、少年の手には赤い袖が見えるので、子どもの象徴的な赤を身にまとっていたのでしょうか?
(こちらがBody Doubleでしょうか?)
???
Body Double (Mother)
AYAKO IIJIMA
Body Double (Boy)
NATSUO AOKI
いずれにしても少年時代に、若くして最愛の母との別れがあったということでしょうね。
Acotrs/Actresses
Piano Store (5名)
ピアノハウスでお母さんがピアノを弾いてくれるのを、少年はじっと見ていましたね。(ピアノの黒い面に反射しています)
Piano Hand Double
KAEDE YOSHII
Acotrs/Actresses
AKIRA SINOUEAU ?
Body Double (Boy)
NATSUO AOKI
↑
こちらもボディダブル少年ではないでしょうか?
それとも水中の赤い袖の手でしょうか?
間違っていたらごめんなさい。
少年時代(赤い洋服)
青年時代(サラリーマン)
ミドル時代 ???
シルバー時代(グループセラピー・ピアニスト)
老人(車いす)
※スクリーンサイズも、現在と過去のそれぞれで使い分けていますね。
このMVを見終わって
どうしてこんなに切ない気持ちが拭えないのだろう・・と考えていて、思いました。
このストーリーには、少年時代・青年時代・シルバー時代と、最後の老人で終わりますが、中高年といいますか、ミドル時代がありません。
スーツ姿のサラリーマン(青年)時代に、仕事が上手くいかずに思い悩みますが、その後、教会で
「もう手放すよ」
「これからは自分らしく生きて行くよ」
と、本当の自分をみつけたように、新しい扉を開いて走り出しますよね!?両手を広げて、軽くなって。
そして、母の眠るお墓で「やっと気づいたね」とハイヤーセルフらしき、別なスーツ姿のサングラス青年が微笑んでいます。(多分そうじゃないかな?分かりませんが)
明るい未来がここから始まる!始まった!・・はずだと思うのですが、その後のミドル時代に一体何があったのでしょうか?
シルバー時代には、グループセラピーで年齢も性別も関係なく、輪になってディスカッションをしています。
何かしらの精神疾患といいますか、心の病を抱えていたり、リハビリが必要な方たちだと思うのですが。(語弊があるかも?ごめんなさい)
Acotrs/Actresses
Group Therapy (7名)
ナイトバーにも見えるようなレストランで、ピアノを弾く姿は悲しげで、バラード調の静かな曲を連想させます。決して、ノリノリのジャズを弾いているようには見えません。
(写真は少し明るめにしています)
Acotrs/Actresses
Restaurant (19名)
どこか寂し気で、このMV映像の全体が暗いトーンになっていますよね?(サラリーマンと墓地と、教会から走り去るシーン以外)
意識的、意図的にそうしてるようにも思えます。
(独断と偏見かもしれませんが)
一般的に考えて、自分らしく生きて行こうと、その後の人生が順調に歩み出したのであれば、明るい幸せなミドル時代を描いてもいいと思うのです。
例えば、愛する女性と巡り会い、新しい家族ができて、お花が咲く小さな庭で、小さな幸せが満ち溢れるシーンとか。
でも、そうではなかった。
かつて母と一緒に行った「ALTENBARG PIANO HOUSE」に、雪が降る中ひたすら車いすを走らせて向かます。
青年時代に訪ねた時は、まだピアノハウスが存在していましたが、最後は別の「ALTENBARG ART GALLERY」に変わっていました。
ですが、そのアートギャラリーで見つけたものは、母の肖像画でした。
この時の風老人の演技がもうもう、泣けます。
風おじいさんの目から涙が・・
Acotrs/Actresses
Gallery (3名)
Painting Artist
(Portrait of Mother)
SERGIO KOGA
ごめんなさい、やっぱり纏まりません。
他にも思う事はたくさんあって、一度には書ききれません。
まだまだ疑問もあって、本当は写真と一緒にもっと振り返りたいのですが、また時間のある時に書かせていただこうと思います。
これは、あくまで私の個人的な考察と感想です。どこか気分悪くされるような事がありましたらお許しください。
どうか「みんな違ってみんないい」スピリッツで読み流していただけたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
いつもご訪問くださる方、心から感謝いたします。
【追記】3/18
Actors/Actressesを加筆しました。(エンドロール?より)
上記以外にも、数多くの役者・スタッフの協力がありますね。
Office(29名)
Kitchin Chef(1名)
Werehouse(1名)
Super market (10名)
Bar (12名)
Safety Diver (2名)
これだけを見ても作品の裏側が少し伺えますよね。ご参考になれば幸いです。