小さい頃から海と花火が好きだった。
僕が夏生まれで、暑い夏がとにかく好き、というのもあるかもしれないが、日本人なら誰でも好きだと思っていた。特に、焼けない濡れない汚れない花火の方は、嫌いな理由がない。


そして、ディズニーのようなアミューズメントパークで打ち上がる花火と、花火大会のそれはまた趣が別格だということも、日本人の共通認識だと思っていた。
前者で、サザンの「愛の言霊」は感じない。茄子に胡瓜に精霊にと想起されてこその夏祭りであり、花火というものだ。


そんな花火論が、全然共通認識じゃないことをここ数年痛切に感じるようになった。そして、何なら今どきの皆さん花火大して好きじゃないのでは?ということも。


僕の家は、毎年とある花火大会の花火がドドンと見える。そこに惹かれて物件を選んだ。
そして思った。隅田川近くの居酒屋なら数万払ってもいいような、こんな特等席、僕の友人知人らはもう毎年激戦の抽選だな、と。


けど、呼ぶ人呼ぶ人、実は花火苦手で背を向けて耳塞ぐ子、「1時間もあんの?なっげ。」と開始5分で退屈そうにし始め「今好きな子いるんだけど、その子と見たかったな〜。」と悪気なく言う子、「え、花火の間、恋バナとか仕事の愚痴とか雑談もNGなの?苦行かよww」と言う子(別に一言も喋るなとは言ってないけどさ、花火見ながら俗な話に夢中は哀しいよ。そして花火好きじゃない人に強いるのはもっと哀しい)ばかりで。
せっかく花火目当てで選んだ物件だけど、毎年花火大会の季節になるのが苦痛だった。

もう、みんな嫌いだ。飲んで騒げれば、花火じゃなくて爆竹でもクラッカーでもいいんだろ、侘び寂びなんて1ミリもわかんねぇんだろ、おまえら。だいたい、なんで「ごめんね、無理して来てもらって。せめておつまみは僕が用意するからね。」みたいな及び腰スタンスで誘わなきゃならないんだよ。くさくさ。



…僕のくさくさを花火の神様が察したのか、今年は東京にいない日に花火大会が開催される運びとなった。よかった…花火なんてだいっ嫌いだ。







なんて思っていたら、まさかの夏の終わりに、人生最大に大きい花火を、びっくりするくらいノー混雑で堪能できることになった。




歩いているだけで、こんなに。







からっからの公園からも、こんなに。

音のディレイがいい…これだよ、日本の夏。










花火と同時並行して、お祭り。









祭り、若い打者も神輿の担ぎ手も、この日を楽しみに練習を重ねていると思うと胸が熱くなる。









花火の途中ではあるが、終わると混雑するだろうと踏んで、2軒目に向かった。



(1軒目はジンギスカン)





友人が見つけてくれた町中華のセンスよ。

おびただしい数の色紙が貼られ、食べログ評価も高い渋い店だった。




レモンサワーと餃子やらなんやらをオーダーしたら友人が


「四郎ちゃん、花火見てきたら?駐車場から見えるって、お店の人教えてくれたよ。」



と。僕が知らない間に聞いてくれたらしい。


えー、いいのー?とも言わず、僕は駆け出した。

すると、お店のお兄さんが猛ダッシュで追いかけてきた。


「お客さん、駐車場、あっち。真逆っすよ。方向音痴っすか笑。」



…馴れ馴れしく失礼な物言いと受け取る人もいようが、僕は照れながら、ただめちゃくちゃに嬉しかった。





そして駐車場から。







すっげぇ…。








5分ほど1人味わい、こんな細道を通り、店に戻る。








しぶいねー。









ちょうど餃子がきた!











程よくパリッと、そして程よくジュワッと、うん、町中華!美味い。








僕の写真が映えるように持ってくれる友人。









そしてワンタンメン。

麺はどれがいいか、担々麺かチャーシューか、友人が店主と思しき老齢の男性に聞いたところ、ワンタンメンを食べるべしと言われたとのことで。




ワンタンメンなんて久々食べたが、たっぷりのワンタン、手作りなのだろう不思議な形で、美味かった。



後日この友人と飯をしたとき、彼が零した。

「四郎ちゃん、本当はもっと花火見たかったんじゃないかな、って。あとからずっと考えてたんだ。」


…なんか泣きそうだった。
多分本当は、僕ほど祭りも花火も興味なかったろうに(彼こそは僕のモヤモヤを晴らすにふさわしい花火愛の人!ではないことは理解している)、合わせてくれて、自分も自然に楽しんでいる(もちろん大なり小なり楽しかったろうけど)テンションでいつつ、僕のお腹の奥底の思いまで斟酌するなんて…友人の理解力、人間力に改めて感動するとともに、心から思った。ありがとう。