長岡市の”山本記念公園”には五十六の生家があった。 | メロママ&じーじの旅日記

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新潟長岡市の”山本記念公園”の続編です。

 

公園の片隅に、この質素な家屋が建つています。

山本五十六のかつての生家・高野家があった地に整備された公園。園内には五十六の生家(復元)されました。

 

本当に、何もない普通のお家なんですよ。  押し入れに、仏壇が納められていますね。

 

部屋には、山本五十六のブロンズの胸像もありました。

これは、昭和23年、霞ヶ浦の湖底から引き揚げられた胸部をブロンズ像に鋳直したものらしいですよ。

 

結婚式の当時の写真が飾られていました。  三橋礼子(会津藩士三橋康守の娘に一目惚れし、見合いを経てに結婚したそうです。

 

トイレも、木製?  私たちの時代では陶器になっていましたかな?  そうか戦前のお家ですものね。

 

廊下を歩きます。 板の間に隙間があり、地面が見えますよ。

それでは2階に行ってみましょう。

 

天井が低いですね。  背の低い私達でも圧迫感があります。

昔のお家はこんなだったかな?

 

天井から吊り下げられた電灯です。 懐かしい感じです。

これも、覚えていますよ。 

 

部屋に貼ってあった映画のポスターです。 役所広司さんが五十六役だったんですね。  ”誰よりも開戦に反対した男がいた。”

と書いてあります。 彼はアメリカに何度も行き、アメリカの本当の力を知っていて、戦争反対を訴えて人だったんですね。

 

この続編は明日へ!