昨日は、夫と大江戸線の両国駅で下車して「すみだ北斎館」に行ってまいりました。
ここは私の生徒さん、アメリカのJさんの大好きなスポットです。
さすが両国、早速お相撲さんに出会いましたよ。
すれ違ったときに、鬢付け油の匂いがぷ〜ん。
この香り嫌いじゃないわ
お相撲さんが乗ってきたエレベーターにも、残り香がしっかり。
どこにいるかバレバレだから、悪いことはできませんね
こんなマンホールが
北斎が生まれた本所割下水は、現在の北斎通りの近くです。
北斎は生涯で93回も引っ越しましたが、ほとんど墨田で過ごして多くの作品を描きました。
お目当ての美術館は超モダンでびっくり。
でもシャワートイレはなくて、それどころか洋式に混じり和式トイレも完備(?)してるって信じられない
エントランスで大きなパネルに迎えられて入場します。
北斎は多作で有名ですが、今回は武士や戦いの絵を中心とした企画展です。
「富嶽三十六景」「東海道五十三次 絵本駅路鈴」のシリーズ、そして北斎漫画もあって見応え十分
北斎の弟子の作品も多くありました。
北斎の生きた江戸時代は平和で戦というものがなく、侍は刀を抜くことがほとんどありませんでした。
よって作品は伝説と化した戦いの多くが題材となっています。
神話の世界かと見まごう、侍が刀で龍を退治する絵もありました。
源平合戦の一ノ谷の戦いの「鵯越の逆落とし」の絵は、なんたって北斎だから坂がほとんど垂直
「屋島の戦い」の那須与一が扇を射抜く絵では的が遠すぎて、ほとんど見えない
弁慶と義経との五条大橋の出会いの場面もあったし、楠木正成とか平将門の絵もありました。
平和な時代だったからこそ、当時の絵師はかつての戦の逸話にロマンを感じて創作意欲を掻き立てられたのでしょう。
それとも庶民がそれを望んだんでしょうか。
たぶん、その両方でしょうね。
そう考えると、ほぼ同時代に起こった赤穂浪士の討ち入りは、さぞや衝撃的だったことでしょう。
登場人物は大星由良之助をはじめ、全ての名前が微妙に変えられた歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」は、すぐさま人気演目に。
北斎は描いているんですよ、吉良邸への討ち入りも。
ググってみたら吉良邸は両国にあると分かり、忠臣蔵好きの私としては行かないわけにはいかない。
ちなみに、吉良上野介を守って討死した小林平八郎は北斎の曽祖父だったそうな。
錦絵だけではなく、侍が登場する読み物の挿絵も北斎は描いているんですよ。
細い線と墨の濃淡で描く絵は臨場感があって迫力満点、もう見事としか言いようがありません。
絵に描かれているような美しい刀や槍先の実物の展示もありました。
他に刀の鐔の図案帳もあって、絵師はデザイナーのような役目も果たしていたようです。
企画展は写真撮影NGでしたが、常設展はほとんどがレプリカなので撮り放題。
レプリカなのに撮影禁止の絵もありましたが、本物を小布施の北斎館でしっかり観たからいいもん。
これは本物よ。
こちらレプリカの「凱風快晴」は赤富士として有名です。
一方こちらもレプリカの「山下白雨」です。
解説によれば、下界は黒雲が立ちこめ雷雲がとどろき、上空は青空に雲が浮かんでいます。
二つの対照的な天候を描くことで富士山の雄大さを表現しているとのこと。
ちなみに本図の雷の部分は美術館のロゴのデザインになっさています。
こちらは常設展にあった、気持ち悪いほどリアルな北斎さんと娘のお栄さん。
![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
![右上矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/235.gif)
![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)