信仰を持つことは幸せかどうかは解らない。 | 明主の浄霊・救霊ブログ

明主の浄霊・救霊ブログ

いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

今日、書こうとしていたことは
神慈秀明会時代のことや、
様々な、試練についてでしたか。

むしろ、テーマとすべきかもしれないが
東日本を生かすも殺すも僕が引き金を引く可能性があるということです。

いや、東南海、首都直下地震についても、僕がかかわるかもしれないのです。
そうならないことを今は願うばかりですが。

そうでなければ、良いのですが、
まず、阪神大震災の前に、実は鳥取の震災がありました。

それで、神々が動き始めたのはなんとなく
僕は理解いしていたところ、
小泉今日子さんと、永瀬君とが影のみやびをしている頃。

僕は人生をその頃あきらめていました。

うしとらの神様は怒りまして、とうとう、阪神大震災を起こしました。

それは、たまたまだよ。という人もいましょうが、
真実なのです。

誰も信じなくても、そのことが引き金を引くことになった
わけです。

嘘だと思う人は、証拠がないので、無理もありませんが
そうでない証拠もありません。

地盤にも限界がありますし、橋もかかりましたので
そのこともありましたでしょうが。

なぜならぱ、私が彼女を何年もかけて信用させ、
信仰を続けられるようにとか
深見青山さんの元に行けるように工作していたわけです。

それを、思いっきり狂わせたわけなんで
神様の怒り、憤りは想像できると思います。

その前に、私が広島から東京への飛行機で
日本中を清めんとしたことがあり、
お光で浄霊しましたところ、なんと三原山の大噴火が起きました。

東日本の震災に至っては、東京の信販会社の連中と金払えの
話を仕掛けられまして、約20分くらいないものはない。
払わんとはいわんからちょっと待て、支払いが遅れるが
総額が上がろうと払ってやるから待ての平行線です。

その、数分後には、東日本の大震災です。
あれよ、あれよのうちに、津波が来て
火のついた家や、船などが流れたり、
すごいことになりましたね。

たまたまにしても、実に覚えているだけてそれだけあるのですよ。

東日本の震災に関しては、完全に僕がらみですね。
金がないと言うのに取立てするので
いい加減にせんかいという、天の声です。

最近でもなぜか、気になるところや発言したところは
地震や災害に見舞われます。

それは知らない人には、気違いでしょうが
僕を信じる人には、彼の周りを見てたら
生き延びられるということになるでしょう。


だから、震災などは僕がピンチになったり引き金を引いてしまったり
なる可能性が極めて高いのです。

神慈秀明会にしても、僕が逃げたとたん、崩壊が始まりました。

今言っていることは本当なんです。

僕もウソだと思うくらいそういうことが起きるのです。

ついでだから言いますが、皇太子妃についても
あんまり、わがままなんで、良くないので
他を当たればと、私が思ったらその通りになってますね。

案の定いろいろ、問題が生じました。

天皇家ですら、僕を介して神様はどうするか決められているところが
実はあるんですが、証拠はないので、
誰も死ぬまで僕が正しいとはわからないでしょう。

僕はねずみ年であり、世の中の変更点に位置します。
しかも、生まれは6月17日てあり、日の出参拝だの
伊勢神宮だの、宮島管弦祭りだのかなり神様との縁は深い。

中学生の頃、僕を天理へいざなったのは、実は元伊勢の神様です。
今は解ります。

うちの、母方の祖母が、教会を作るために
天理教本部に信者でもないのに
ご神体を貰い受けに、行ったというおまけつきです。

天野橋立の教会から、ダイレクトなのですよ。
ただの天理教会ではないということなんです。

たまたまにしても、今考えると恐ろしいくらいです。

秀明会でも、支部長は元幹部の松下先生でした。

信じられない人ばかりが、僕の師匠だったり
何らかのかかわりを持たされているのです。

私はそのようにして、厳しく、時にはすごい師匠と
会わされています。

時々、いろんな人に合わせてはどの程度分かっているか
テストされているようなところもあります。

徳山の踊る宗教の人から、高校生の頃
話も、電車で話しかけられたこともあります。

本当の話ですよ。

僕はセンサーの役割なのか、意思決定の役割なのか
良くわかりせん。

新幹線のトンネルでいうならば、僕は常に先頭を走らされているので、
怖くても、明るい場所に移るしかないのです。
後ろが押すからそうなるわけです。

先頭にいるものしか、先に潜む危険など
解ろうはずもないのです。

障害物が見えるので、僕が止まれと言えば、
後ろがいくらいやでも止まらなくてはならない。

信号が変わるから徐行だと言えば徐行です。

駅だから止まれと言えば止まるしかない。

それを、後ろの車両の人は解らないけれども
列車は運転手の言う通り動かないと
いけないのです。

つまり、僕が言うことは腑に落ちなくても、一応聞く必要があります。
そうしないと、車両は脱線したり、真ん中から折れ曲がるとか
相当悲惨なことになるでしょう。

人間だからわからないのですよ。

僕は世の中の変わり目を一番近くで見ている。

津波が来るから、やばいにげろと叫んだ人に
逆らった人はどうなりました。

死んだり、運がいい人でも、死にそうな目にあいましたね。

今回の震災のことを考えたらわかると思うのです。

また、山田雅晴先生の話をしますが
震災は必ずいつか来ます。
のがれるすべはないのです。

今、関東の人は気が気でないかもしれないが
良く揺れるのは、まだ、ちいさな揺れで
少しずつ、エネルギーを出してもらっているのですね。

神様でも、それまでしかできないのです。
大難を、小難に、小難を無難にしか無理なのです。

いつまでも、以前の方法がいいとか、霊能力があるからとか
そんなものは、すぐ役に立たなくなる時期が来ます。
必ず来ます。

それから、静岡のバカ野郎が、何様のつもりか知らんが
僕には青山さんのものは意地でも売りたくないそうです。

どこまで、悟っているのか解りませんが
私に言わせたら、野狐禅の気がします。

本人は悟っている気でいるが、
天狗になっているところがあります。

私の若いころ、その傾向もありましたけど。

ただ、器が小さいなというのが、僕の感想です。

以前にお光の話をしました。

ある人に、酒の席でからまれたこともあります。
仕事と神様どちらが大切かと、青年はひどい目にあいます。

夏布教の時のことです。僕はずるいので行きませんでしたが。

それで、仕事を休もうと1週間休ませてくれと上司に願い出ました。
僕に絡んだのは上司です。

上司にしてみれば、あそこの信者は頭がおかしいと言う訳。
仕事を何と思っているかというわけですよ。

上司は仕事しか価値観がないわけですね。

一事が万事、何かにつけてからまれて
助けないとからまれて、助けたら疑われ、

しつこく、ストーカーみたいに付きまとわれたり、
ひどい場合は攻撃されされたり。

勝手に天国の論理で人に仕事を与えさせられ、
結婚もできず、年を取り、

僕からしたら踏んだり蹴ったりの
人生でした。

なぜ、僕が静岡のバカたれにまで
からまれる必要があるかということですよ。
どう考えてもおかしいでしょう。

今日も仕事でさんざん嫌がらせは受けましだか
それはいいとしても、先日金比羅山の霊言なる
ビデオを手に入れましたが、見ますと以前に
僕が神様に文句を言っていた回答が聴けた感じですが
常識的には正しくても、僕にはむごい内容です。

若い人はそれでいいかもしれないけどね。

またその話は、別の機会にしましょう。

いつまで、教団や古いやり方ににこだわるのですか。
教団は確かに人がたくさんいるから力がある。
しかし、悪いもの、弊害も多い。
お金、家庭崩壊などなど。

だから、いけなくなった人は個人で信仰すれは゛良いのである。

明主の浄霊・救霊ブログ$明主の浄霊・救霊ブログ