明主様は聖教書で霊は教えたが、使い方を教えていない。 | 明主の浄霊・救霊ブログ

明主の浄霊・救霊ブログ

いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

もちろん聖教書は神慈秀明会が
都合のいいところしか教えていない。

論文は山ほどあるかもしれないが
そんなものを理解しても何の役にたったか
考えて欲しい。

ほとんど、役に立たなかったはず、
霊界の構造については
多少は良かったかもしれないが
弊害の方が多かったはず。

神様第一、もちろん正しい。
しかし、仕事を辞めてまで
青年に布教させたり
家庭が崩壊して何の信仰だ。

そんなことは、教団の都合がさせたこと。

また、よく考えて欲しい。

仕事をせず、働かず、朝から晩まで
明主様もないものだ。

生活できないほど、ご神業もないものだ。

聖教書が何の役に立ちましたか。

信仰が役に立ったより、苦しみの方が多かったはず。

また、明主様以外の神を認めぬゆえ
他の神々の反発を食い、
上役や得意先を色眼鏡で見て
損をした人は多いはずだ。

職場で孤立した人もたくさんいるだろう。

いい加減、神様の力比べは辞めよ。

神様は神様、神様ほど我の塊はいない。
また、神様は我こそはの連中であり、
龍神であろうと、稲荷であろうと
蛇神であろうと、相手は神様、
少なくとも我々よりは上
ご挨拶するのは人としての礼儀であろう。

神様が人の姿をしていると思うのが間違いである。

実は、宇宙全体からさまざまな神が地球に飛来しているのだ。

それらが、国常立神のご退隠をいいことに
勢力争いをしている。

それに巻き込まれているに過ぎない。

もつとも、解かりやすいのは
キリスト教とイスラム教の争いである。


聖教書など、理解しても何の自慢にもならないというのは
そういうことだ。

何のために何に使うのか。どのように使うのか。
解かりもしないで、知識を頭で理解しても
何の意味もないのだ。

今日はこれくらいにしょう。

今日はこれくらいにしょう。

いつまで、教団や古いやり方ににこだわるのですか。
教団は確かに人がたくさんいるから力がある。
しかし、悪いもの、弊害も多い。
お金、家庭崩壊などどなど。

だから、いけなくなった人は個人で信仰すれは゛良いのである。

明主の浄霊・救霊ブログ$明主の浄霊・救霊ブログ