浄霊だけでは不十分
強力洗剤が、浄霊、祝詞は洗濯機を回すことと
申しましたが、
脳の働きで言うなら浄霊は
大脳に働きかける。
祝詞は、小脳、延髄など
生きていく根元に働きかける。
浄霊は血液と背骨先祖を清める。
循環する水をきれいなものにして
汚いものを出すという。
今の福島原発方式である。
だから、なかなかきれいにならない。
それに対して、祝詞は高圧洗浄機
みたいに、いきなり汚い所に
吹き付けることになる。
汚い水を浴びせるのと、
きれいな水を浴びせるのは
どちらが、よりきれいになるか。
当然、後者ですね。
また、洗剤入りの水とただの水とどちらがより落ちますか。
洗剤入りの方ですよね。
と言うことは、浄霊と祝詞の両方とも
必要であり、片方だけでは不十分なのです。
どちらが、正しいかともいえないのである。
ただ、浄霊はお光とか、他人や、神様の力を借りないと無理だ。
オカルトぽいので、嫌われることがある。
祝詞は、自主的に唱えることができる。
唱えられなければ、CDなと゜を流し続けることで
周りや自分を清めることができる。
唱えたら、扇風機で言うならば、強にすることだ。
唱えないなら、微風にしかならない。
それだけの違いだ。
さらに、祝詞の場合は相手も必要ない。
場所も選ばない。
だから、祝詞はその点では優れている。
ただし、夜中にしていたら、お巡りさんが来たりする可能性はある。
なので、夜中は不向きだ。
夜中は、ポリームを絞るか、ヘッドホンを使うかでいい。
浄霊は静かな業た゜。だからばれにくいが、見つかったらアホ扱いされたり
疑われたり、さんざんなことになる。
自己浄霊については、ほとんど教えてくれていない。
やっとこさ、教えてあるのを見つけても、どのようにしてしたのか
よくわからない。
教団などは、そこに目をつけて、浄霊交換をさせたということになる。
そこで、他人を導けと言ったわけだ。
正しいかもしれないが、かなりのハードルを設けたことになる。
信者さんになって、素直に受ける人以外は
相当なストレスがある。
だつたら、祝詞ならできるだろう。
浄霊と祝詞は車の両輪である。
両方があって、始めて先に進めるのである。
いずれも正しい。しかし会主様た゜の、先生の浄霊は力が
強かった。それはそうだが、それは当たり前であり
それに惑わされてはいけない。
祝詞は神様にこうしてくださいと訴える行為だが
浄霊ならおしと同じだから、解かってくれと思う方が無理。
つまり、両方で徹底してやるのが一番いい。
祝詞しかできなものは祝詞をすればいい。
浄霊しかできないものは浄霊をすればいい。
その代り、浄霊では、運命改善などは
遅いです。鈍行でいいならそうしてください。
私の言うことが聴けない人は長く苦しんでも
それは仕方ないことです。
今日はこれ位にしよう。
いつまで、教団にこだわるのですか。
教団は確かに人がたくさんいるから力がある。
しかし、悪いもの、弊害も多い。
お金、家庭崩壊などどなど。
だから、いけなくなった人は個人で信仰すれは゛良いのである。