神様の力比べするのはいかがなものか。 | 明主の浄霊・救霊ブログ

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いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

かつて、神慈秀明会に属していた頃、
信楽の教祖殿の地下で、
映画を見せてもらいまたが
その時、隣に座った男がいました。

彼のめがねは割れてました。

桃の実のバッジをしていたと思います。

実は彼の実家は天理教の教師の家系です。
兄が先生であり、訳の分からないうちに
においがけをしろと言われました。

それはたまらんとのことでした。

彼曰く、こちらはお金で済むから楽だし
浄霊の力も強いと、だからこちらに来たと。

桃とは100万円を意味します。
バツジを貰ったということは
一人で100万円出したということでしょう。

普通は、グループでするものです。

それて゛、僕はなぜ君は兄に逆らうのか。
御救いは大変だが、天理教でありながら
他の宗教に入ればまずいだろう。

神様をの力比べしたり、
楽だから、こちらと言う考え方は良くないと。

天理教から変わった人はたくさん知ってましたが
彼の場合は、完全に家の宗教とは一線を画すことになるわけです。

やらないのは、自由だし、おかげも少なかったかも。

その代り、莫大お金を取られたりしたので
良いとは思えませんね。
ケタが違いましたのでね。

浄霊は火素が強くなってきたので
水の系統の天理の力が
相対的に弱くなってきたのはあるかもしれませんが
個人的に信じたりするのは構わないと思うが
神様通しを比べて、吹聴したりするのは良くないことだ。

確かに力は強かったそうです。
当時はね。今は解りませんが。

それは、成熟したものと、伸び盛りのものが
相対的に違うのは当たり前です。

彼の場合、兄とともに天理教も
形ばかりはやり、神慈秀明会と両方すべきでした。

そのように、宗教は取り合いになるところはありますが
においがけが嫌いだからと、神慈秀明会に来ても
やらされることは同じでしたね。

やらないなら、お金をよこせが神慈秀明会でした。
それも、何桁も違う金額を奪うという
集団でした。

だから、金の切れ目が縁の切れ目になっていったのでしょう。

現在、恨み言を書いたサイトはたくさんあります。

明主様は正しくても、教団は会社と同じですから
たくさん人を連れてきた人は、お金を連れてきたのと
同じようなものですから、そういうことです。

しかし、明主様自体が、いやな爺さんだったのも事実です。
だから、たくさん変な弟子を生んだのです。

元は善なるものでも、悪いものが上についたら
結局、捻じ曲げられてしまったのです。

今日はこれくらいにしましょう。

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