浄霊だけで霊障はなくならない。 | 明主の浄霊・救霊ブログ

明主の浄霊・救霊ブログ

いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

こちらのサイトより、幾日も霊を説得するのです。
ご神体、ご神前、仏壇、神棚、神社お寺で
一つ上に戻りプリントアウトして

読み上げればよい。

http://www.geocities.jp/kinseireisui/yuukaidenosyugyou.html


めんどくさいし、逆襲する輩もいます。
しかし、確実に楽になります。

すべては無理だとしても、
素直な霊は従うからです。


かなり肩や首、腰のこりがなくなりました。


うそみたいに楽になります。


それと、寝る前に祝詞をあげてください。

それだけでもかなり良くなると思います。


宗教をしていない霊は幼児程度の知識しか今はありません。

なので、そういう人を救う方法は

これしかありません。

とにかく悪さをして存在を知らしめようとしてますが
それはかえって罪を重ねていることに

早く気づくべきです。


以前に交差点には水子の霊がいて
網を張って車が引っ掛かるのを
楽しんでいると教わった人もいますね。

それを守るには、浄霊しかないと言われたと思います。


でも、自分についた霊の払い方は

習ってないでしょう。

これがわかればかなり楽になりますし、
交通事故などにも合わないで済みます。


ろくでもない霊に限って、

この世に悪さをしますので。


人につくが罪であるとちゃんと教えてあげることです。


そうしないと、あなたも、ついている霊も不幸になります。

ここは心を鬼にして、霊を説得してください。

変な拝み屋さんに頼んだり、変な教団の餌食になるのは
ばかげていますね。

ですから、自分のことは自分でしてください。

このことは、ご先祖にも言えます。
子孫が供養してくれても楽なのは一時です。

いいて゛すか。たとえ子孫が坊さんになろうと
七代しか救えないのです。

ところが、ご先祖が心を変えられたら

たちまち許されてまともな霊界に行けるのです。


供養してくれなくても、自ら救われる方法なのです。

ご先祖の心が変わらない限り
決してご先祖は救われない厳格な決まりがあります。

ましてや子孫に懸かったり、言うことを聞かないからと
嫌がらせをしたり等はとても重い罪に当たり、
ますます苦しい霊界に行くことになります。
他人でないからなどと甘い考えは通らないのです。

にげまわしていたら、いずれ霊界警察がやってきて

必ず逮捕されます。

そしたら、ひどい牢獄に入れられます。

そして、もつともひどい霊界に行くことになります。
それが霊界の決まりなのです。


人任せにはできない。
その人の生前の行いがすべて反映されるのが

霊界です。

ただし、心から反省して修行を積めば

許されてましなところに行けたり

生まれ変わることもできるようになるのです。

その生まれ変わりにしても
模範的な人は良いところに生まれられます。

悪い人は、最悪のところに生まれ変わります。
そのように厳格に決められているのです。
いくらいやでも、神様、仏様ですら修行が悪いと
降格はあるのですから。
逃れることは無理です。


霊障がないなとど、息巻く人は思い上がった考えです。
とても疲れたり、無駄な努力が必要になります。

それでもかまわない人は、苦しんでください。
でも、それを他人に強要するのは辞めてください。

いわば、サイドブレーキをかけたままで
車を走らせようというのと似ています。
ものすごい余分な力が要りますね。

さらにタイヤと地面との間に車止めと鳥もちと
瞬間接着剤でくっつけて動けなくしている
物を動かそうとするくらいひどい事なのです。

そんなバカなことは辞めましょう。

マイナスを放っておいて
いいわけがありません。

穴の開いたタイヤに空気をいくら入れても

必ず抜けしてしまい車は止まるはずです。
今ままではそんな意味のないことをしていたわけです。

強がりやプラス思考だけでは無理なのです。


難しい理屈はいらない。
神慈秀明会の浄霊方で問題ない。


この画像に向かい二回、明主様ありがとうございますと言う。
前額部第三の目、眉間辺り、二分、頭頂部、百会のつぼ辺り、三分で十分。

一日何回受けてもかまわぬ。



病気でなくても毎日受けなさい。
疲れたとき受けなさい。

リフレッシュできます。

なお、お金は要らない。
画像を落として祈ってもかまわぬ。

うそや、まやかしと思っても受けていると

幸せや元気になれる。

これを嫌うものはゴキブリのように
光を嫌うものである。

やましいことがないなら受けられはず。


岡田茂吉の浄霊ブログ