悟らず浄霊に頼りすぎるのは良くないこと。 | 明主の浄霊・救霊ブログ

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いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

私が無差別に浄霊するからといって
好き勝手してよい道理はない


私の霊力に頼り

信者にあるまじき行動をするものは

獣と同じである。

いや獣より劣る。


神様は助けをしたいのである。

それはお導きだけでなく

自らの前世などの因縁を悟り、
心から神様に感謝しなくてはならぬ。


この宗教は比較的楽ではあるが、

霊力に頼るのは良くない。


神様のお心をよくよく考えて

受けなさい。

前世自分は泥棒だったか、人殺しだったか

それは解らぬ。

今資格者であるからといって

驕り高ぶり、せんおうはあってはならぬ。

私明主自身がわがままを言って

昔の先生を困らせたことは

反省している。


それを曲解し素直か第一であると
信者に無理難題を押し付けるのは間違いである。

そのような按配だから

私の作った手かざし教団は
皆、衰退したのである。


私が、名古屋の天理教、愛町分教会の

関根豊松先生のようであれば

衰退しなかったはずだ。


特に反省しなくてはならぬのは
神慈秀明会である。

小山家のものはもっとも罪深いと心得よ。

神慈秀明会の浄霊方で問題ない。

この画像に向かい二回、明主様ありがとうございますと言う。
前額部第三の目、眉間辺り、二分、頭頂部、百会のつぼ辺り、三分で十分。

一日何回受けてもかまわぬ。


病気でなくても毎日受けなさい。
疲れたとき受けなさい。

リフレッシュできます。

なお、お金は要らない。
画像を落として祈ってもかまわぬ。

うそや、まやかしと思っても受けていると

幸せや元気になれる。

これを嫌うものはゴキブリのように
光を嫌うものである。

やましいことがないなら受けられはず。



岡田茂吉の浄霊ブログ