薬は毒か医者は悪魔か | 明主の浄霊・救霊ブログ

明主の浄霊・救霊ブログ

いかなる状況にあろうと、私は見捨てない。死にそうな人。入院中の人。信仰をとがめられている人。精神病院に隔離されている人。神様や仏様は信じられても、教団にそぐわない人。死ぬのが怖い人。生きるのがつらい人。皆私を頼りなさい。

確かに毒ではあります。
できるだけ飲まない方がいい。
医者は悪魔かそれは違う。

しかし、たとえばがんのとき

治療を拒否したら死んでしまいます。

そんなことを、私は教えた覚えはない。

良く論文を読み込んだものには

一番問題は尿毒であると解いている。

なんとなれば、四六時中体で、作られるからである。

食物を食べれば消化され消費される。
されないものや古い細胞、薬の分解さたれもの
毒などはどうしても発生する。


小便が出ないのが一番まずい。

もちろん大便が出ないのもまずい。

心臓はポンプで代用できても

腎臓は透析をしても

完全には同じ働きはできない。


必要のない有益なものまで

取り除いてしまう。

浄霊は火の洗礼である。
だが、それだけでは不十分だ。

水素還元水などを取り

毒を溶かしてから

浄霊すれば実に効率が良い。

いわば車の両輪である。

私が火の洗礼しか触れてなかったため
肝心の水の洗礼のことが忘れられてしまった。

いずれも切り離すことはできない。

また薬や医療行為を否定していない

それを教団の都合のために、

薬は毒だけが一人歩きしてしまった。

それがわかりやすかっため

セールストークに使われたのだ。


天理教では薬は肥料と言います。
どういうことかというと、適量ならば

病気などが治る。


しかし多すぎれば毒にもなる。


本当の意味合いはそういうことなのだ。

薬や医療行為を受けてとりあえず

命の危機を守り、
事後に水や浄霊などに頼るべきである。

それを忘れてはならぬ。

ただし、病院にいても神を忘れてはならぬ。
また神様に祈ることは自由である。


いまや、インターネットや携帯端末などの

時代である。

だから、どこでも祈れるようにした

そういうことである。


神慈秀明会の浄霊方で問題ない。

この画像に向かい二回、明主様ありがとうございますと言う。
前額部第三の目、眉間辺り、二分、頭頂部、百会のつぼ辺り、三分で十分。

一日何回受けてもかまわぬ。


病気でなくても毎日受けなさい。
疲れたとき受けなさい。

リフレッシュできます。

なお、お金は要らない。
画像を落として祈ってもかまわぬ。

うそや、まやかしと思っても受けていると

幸せや元気になれる。

これを嫌うものはゴキブリのように
光を嫌うものである。

やましいことがないなら受けられはず。



岡田茂吉の浄霊ブログ