星と神が紡ぐ聖なる世界 ホテル立山①
富山県と長野県を結ぶ山岳路線である立山黒部アルペンルート。その中心地、標高2450mの室堂に建つのがホテル立山である。立山黒部アルペンルート公式サイト上高地帝国ホテルなどと並ぶ有名な山岳ホテルであり、山が好きな人の間ではいつかは泊まってみたいホテルとして憧れの存在となっていた。このホテル立山が、残念ながら2026年8月31日をもって宿泊サービスを終了することとなった。ホテル立山公式サイトホテル立山の宿泊サービス終了について(2025年7月31日)|新着情報|ホテル立山【公式サイト】終了にあたり特別企画が行われているのだが、その一環として建築ツアーというイベントが行われている。ホテル立山公式サイトホテル立山クロージング特別企画のご案内|ホテル立山の魅力|ホテル立山【公式サイト】ただ、ホテル立山が建物として有名であるとか価値があるとかいう話しは正直あまり聞いたことがなく、建築ツアーを実施するというのは多くの方にとって意外に感じられたのではないだろうか。私も興味を引かれたので、建物としてのホテル立山について少し書いてみたい。ホテル立山が開業したのは昭和47年9月1日。立山黒部アルペンルートの開業が昭和46年6月1日だから、1年ちょっと遅れとなる。この昭和47年という年は、今の私たちにとってはあまり実感が湧かないが、2年前には前回の大阪万博があり、翌年にはオイルショックがあるといういわば時代の境目のような年だった。立山黒部アルペンルートは昭和29年の立山ケーブルカーを皮切りにして徐々に延伸されてきていた。そしていよいよ最高地点の室堂に到達することになったのだが、官公庁の指導により悪天候時に旅客を収容するための施設を建設することが不可欠となった。そこで、駅として室堂ターミナル、およびターミナルと一体化したホテル立山を建設することになったのだが、その設計を担当したのが建築家の村田政眞である。村田政真建築設計事務所(1979)村田は駒沢オリンピック公園陸上競技場が代表作とされているが、ホテル穂高(閉館)、那須ホテル(閉館)等のリゾートホテルも手がけておりまさに適任だったといえる。駒沢オリンピック公園陸上競技場幸いにも村田は、ホテル立山の設計について「新建築」という雑誌に書き残している。引用すると、「自然環境と人工との調和について、私は大きく分けてふたつのあり方があると思う。そのひとつは大自然に溶け込む行き方、いわゆる同調である。他のひとつは、はっきり対比させる調和である。私はこの場合、後者の対決の姿勢こそ、雄大なこの景観に、人工が生きて硬く結ばれるゆえんであると確信をえたのである。」一般的には自然との関係は同調のほうが支持されるように思うが、室堂の苛酷な環境の中ではむしろ対決の姿勢を取り人間の居場所を確保するという強い意志を示すほうがふさわしいといえる。このような思想のもと、ホテル立山は直線的で印象に残る姿を持つことになった。参考文献「新建築」1973年3月号 新建築社