あの日…。
2011年3月11日、14時46分。
あの日、私は自宅の二階で、二女と昼寝をしていた。
長女は下校時間で、小学校から帰ってくる途中だった。
揺れで目が覚めて飛び起きた。
今まで感じた事のない長い揺れ。
家が揺さぶられている不気味な音。
一瞬にして、もう、駄目かもしれないという恐怖で、身動き出来なかった。
不気味な音は一向に鳴り止まないどころか、家が倒れるまで揺らされるんじゃないかと思う程、更に激しくなっていった。
動けないまま、一歳の二女の上におおいかぶさって布団を被った。お腹には妊娠五ヵ月の芽依がいた。
揺れがおさまった瞬間、震える手で、二女をエルゴで抱きかかえて、外に出た。
長女が泣きながら帰って来た。
私の住んでいる街は、震度5弱の揺れで、被害もそれ程なかった。
あんな恐ろしい大津波が三陸にやってきて、こんな歴史的大惨事になってしまうなんて…本当に信じられないような数ヶ月だった。
あの地震と津波で、どれだけの命が犠牲になったのか。
私は、ニュースでの情報しか分からないけれど、犠牲者、そして遺された家族は今も尚、どれほど辛い思いをしているのだろう。
そして、どれだけ、子供を失った親がいるのだろう。
我が子を亡くした私だけれど、津波に飲みこまれた赤ちゃんや子供の事を思うと、なんて言葉で表したら良いのか分からない。
被災地の保育器に入っていた赤ちゃんはどうなってしまっていたんだろう。
と、芽依がNICUに入院中、気になって看護婦さんに尋ねた。
すると、
その看護婦さんも聞いた話しらしいが、保育器が停電で使えなくなって、赤ちゃんはお母さんや看護婦さん達がみんなで、カンガルーケアのように抱っこして赤ちゃん達を温めていたらしい、と言っていた。
それが、どこまで本当の話しなのかは分からないけれど、だとしたら、呼吸器が必要な赤ちゃんはどうなってしまうのか…
それは赤ちゃんに限らないけれど。
だけど、ニュースになっていないだけで、本当はもっともっと二次被害で失われた命があるんじゃないのかな。
と、その時思った。
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