【『はじめに』より引用】
若者に限らず現代社会に生きる人々は、問題には必ず答えがあると思い込んではいないか、どんな問題もすぐにすっきりわかるものと思ってはいないか、ということだった。PCやスマホでの検索が当たり前になったせいもあるかもしれない。シミュレーション(合理的推論)が当然とされるせいもあるだろう。
「合理的推論」、それは本書のキーワードの一つだが、死にゆく若者たちが夢をもてず、「これ以上よくはならない」と合理的に推論したことは間違いないだろう。
最終的に導かれたのは、『むすんでひらいて』という懐かしい唱歌の世界だった。仏教でも禅でもないその内容に、いったいどんな思いが込められているのか、それは本書を読む楽しみとして語らないでおくが、この歌が戦後復興の時期に小学校唱歌として採用された意義は途轍(とてつ)もなく大きいと思う。
【引用終わり】
哲学者の大竹稽さんが聞き手となり、僧侶で作家の玄侑宗久さんに仏教の智慧について語っていただいた本。
「人間の心の中にある覇権主義。限られた情報や思い込みが、外に対しても覇権主義的に振る舞う。覇権主義を解毒できるのは、『どんな事象も無常で無限なる関係者における仮の現れにすぎない』という「空」や「華厳」の思想である」玄侑宗久さんは語ります。
心の中の覇権主義(合理主義の絶対化)が、他者の命も自分の命も蔑ろにしていくことにつながるのでしょうね。
『結んで開いて、手を拍って、結んで、また開いて、手を拍って、その手を上に』
結んで開くのは、本来は神と仏。神と仏が現れることを「結び」と言い、現れるために手を拍つ。「ほどく」のは解脱した存在の仏。自縄自縛から「ほどけた」仏の存在。「結ぶ」と「ひらく」を手を拍って切り替える。そして目の前の「色」に没頭する。
X(Twitter)を見ていると、「自分の考え(思い込み)が絶対的に正しい」というスタンスで、他者に対して覇権主義的に振る舞う方(自分の考え方や価値観を押し付ける方)がとても多いと感じます。
社会全体や政治の問題を論じる時には、考え方の違う方ほど耳を傾ける姿勢や他者に対する配慮が必要だと考えます。
自分のために生きようとすると、苦しみには意味が感じられず、無念や恨みが残る。
人のために生きようとすると、苦しみにも意味や価値を見出せる。
価値観を押し付けがちな方は、一見、他者のために振る舞っているように見えて、自己を他者に認めてほしいという利己的欲求に執着しているだけなのかもしれません。
自分の身体は自分の生存を優先し、欲を生み、他者や自然をコントロールしようとするものです。
人生は、そんな自分の身体をなだめすかし、自分の生き方を定めていく「修行」なのだと僕は考えます。
「むすんでひらいて」玄侑宗久(集英社)
【6月10日読了】
【オススメ度★★★★】