「尖閣1945」門田隆将(産経新聞出版) | 乱読家ぽちんの独り言

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【『はじめに』より引用】

ここ(尖閣諸島)が日本の固有の領土であることは、「尖閣戦時遭難事件」を繙けば、そして、その人々の命が「なぜ助かったのか」ということに踏み込めば、容易に明らかになる。

中国公船の尖閣侵入のニュースが流れるたびに、私は「尖閣戦時遭難事件」のことを思い出してきた。この事件以上に、「尖閣が日本であることを示す出来事」は”ほかにない”からである。

魚釣島には、かつて人々が生活を営んだ「古賀村」があり、その古賀村開拓の際に発見された「真水」の存在があった。

大正八年には、古賀村の人々によって、福建省の遭難漁民三十一人が魚釣島で救助され、そのことに対して「中華民国駐日本帝国長崎総領事」から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」の島民に対して、感謝状まで贈られている。

つまり、中華民国もまた、和洋島(筆者注=魚釣島のこと)を「日本帝国」の領土であることを認めていたのである。

私は取材の過程で、尖閣戦時遭難事件にかかわり、波乱万丈の人生を送った多くの人々にお会いした。

事件自体の詳細は本文に譲るが、この哀しく、悲惨で、目を削けたくなる出来事は、同時に、どんな逆境でも言念と務持を失わなかった日本人の「希望の物語」でもあった。

【引用終わり】



門田隆将氏による「尖閣戦時遭難事件」を紐解くノンフィクション。


●昭和20年7月3日。第二次世界大戦末期に、疎開地の台湾に向かう石垣島住民を乗せた第一千早丸と第五千早丸は、目的地の台湾を目前したところで米軍機の襲撃を受ける。


● 第五千早丸は沈没。被害甚大ながら、なんとかエンジンを再始動出来た第一千早丸は、生存者を乗せて真水の出る尖閣諸島・魚釣島を目指す。


● 魚釣島には、真水はあっても、遭難者全員が食いつなげるものは無く、弱い者から亡くなっていく。


●孤島での1ヶ月が過ぎ、遭難者の中にいた船大工の指示のもとで、島に残された難破船などを材料に小舟(サバニ)が造られる。生存者を172名の命をつなぐために、石垣島行きの決死隊8人が出航。


●何度か米軍機の遭遇があり、その度に、小舟(サバニ)をひっくり返して、流木のフリをして逃れる。そして、約170キロメートル、50時間余を漕ぎ続け決死隊が石垣島に着く。台湾航空隊が魚釣島へ食糧を投下。救助船により120名余の遭難者が救出された。


●生存者は、石垣島到着後、戦争が終わったことを知る。


●魚釣島に真水があることを教え、魚釣島で亡くなった伊良皆髙辰氏。後年、息子の伊良皆髙吉氏は、父の足跡を確かめたい一心で、政府の制止を振り切って尖閣諸島に渡る。




尖閣諸島は、1895年の閣議決定により沖縄県の所領となり、現在は石垣市に属しています。

しかし、中国政府はその尖閣諸島を自国の領土であると主張し続けており、インターネット上に「中国魚釣島博物館」まで開設しています。

そもそも、中国政府は、1968年以前は、尖閣諸島を沖縄の一部として認識し、そのことへの意義を唱えたことは全くありません。しかし、1968年に国連機関による海洋調査が行われ、「東シナ海に石油埋蔵の可能性がある」と発表されてから、中国政府は尖閣諸島の領有を主張し始めました。

自分たちの利益の為に、ウソの歴史に塗り替える工作をし続ける中国政府ですが、日本政府は中国政府に毅然とした態度を全く示すことが出来ません。

今の日本政府の態度では、いずれ尖閣諸島は中国のものになり、そして沖縄をも狙ってくるでしょう。


尖閣諸島、そして沖縄を護るためには、青山繁晴議員を総理大臣にするしか方法がないと僕は考えます。



「尖閣1945」門田隆将(産経新聞出版)

【6月2日読了】

【オススメ度★★★★★】