「大阪七墓巡り」その⑦ 小橋墓地 | 乱読家ぽちんの独り言

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大阪七墓巡り。


京橋の「蒲生墓地」「空襲慰霊碑」を後にして、「陸軍墓地」「小橋(おばせ)墓地」に向かいます。


JR環状線の玉造駅を降ります。




駅から歩いて10分ほどで、三光神社の鳥居の前へ。



古い鳥居は、空襲で吹き飛んだそうです。



真田幸村公。

左の洞穴は、残念ながら抜け道?では無いようです。



幸村さんの裏手を登っていくと、

陸軍墓地があります。





【真田山陸軍墓地維持会のホームページより】

大阪城の南、真田山丘陵地に、旧陸軍将兵の墓石が整然と並ぶ真田山旧陸軍墓地があります。

大阪は日本陸軍創設の地として位置づけられ、明治2年から大阪城を中心に軍関係施設が次々と設けられ、明治4年この地に墓地が創設されて、日本で最初の陸軍墓地となりました。 

現在の墓地の面積は4,550坪(約15,000平方メートル)を越え、明治6年の徴兵令以前に属する士官・兵士の墓碑にはじまり、西南戦争、日清・日露・第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたるまでの5,100基以上の墓碑が並び、8,200余の遺骨を納めた納骨堂を擁しております。  

また、将校・兵士だけでなく軍事物資の輸送・その他下働きとして雇われた軍役夫や日清戦争や第一次世界大戦で捕虜となった清国兵・ドイツ兵の病死者の墓碑など、当墓地独自の被葬者もみられます。真田山墓地は、先の大戦まで陸軍の管理に属し、門前には番兵を配して、遺族または特別な者でなければ出入りすることが出来なかったほどに厳重でありましたが、それだけにまた、整備も清掃も行き届いて荘厳ひとしおのものがありました。


https://www.sanadayama.or.jp




墓の数が多すぎて、線香が全くたりません(T . T)



南無阿弥陀仏





南無阿弥陀仏





近くには真田幸村が戦った「真田丸」跡地があります。

今は高校にかわりました。




ここからは、上町台地を南にいきます。

小橋墓地は今は公園に変わっています。子どもたちが遊んでいました。





公園の横にある、二つのお地蔵様に手を合わせます。




南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏




近くには、10年前まで、

必死になって心理療法であるフォーカシングのトレーニングを受けていた「たかつガーデン」がありました。





https://focusing.jp/aboutfocusing


フォーカシングは、また身体で感じられている言語化されたいない「何か」を言語化するアプローチ。


フォーカシングを学ぶまでは、なかなか自分の本心がわからなかったのですが、トレーニングのおかげで、いろんな事が直感的にわかるようになりました。

ただ、自分の本心がわかったらわかったで、、、辛いこともいっぱいあります(笑)




さて、

ここから上町台地を西に下って、

千日墓地に向かいます。

あと、二つ、、、、





つづく、(たぶん)