「京都まみれ」井上章一 〜 洛中人の優越意識はいつまで続く | 乱読家ぽちんの独り言

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洛外者(京都市右京区生まれの宇治市在住)である著者が、主に洛中人(京都市の中京区、上京区、下京区+北区の一部。秀吉が造った御土居の内側)の滑稽さを書いた前著作「京都ぎらい」。その続編のような本。今回は「東京ぎらい」の京都人(洛中人)に一太刀をあびせる。


「地方創生事業」の位置付けて決まった文化庁の京都移転。しかし、洛中人は「京都は地方ではない」と文句を言う。結局、「地方創生」は、「地域創生」に変わる。


日本各地に地域間の優越意識はあるが(例えば 芦屋>西宮>尼崎)、東京に行く事を「下る」と表現するのは洛内人のみ。


幕末の蛤御門の変で、京都は焼け野原になり、明治新政府は天皇と公家を東京に移した。そして、京都はしばらくは「西京」とされたが、しばらくして「京都」の名を得た。


「中京地方」は東京と西京の間だからついた名前。「近畿」の「畿」は都の意味。「中国地方」は、9世紀に律令国家として日本を4地域に分けたこと(畿内、近国、中国、遠国)からが由来。


「備前、備中、備後」「越前、越中、越後」「上野、下野」「上総、下総」「近江」「遠江」などの京都中心の地名を明治新政府は嫌い、改名させた。


「京」の名をつけた「京田辺市」「京丹波市」「京丹波市」。もちろん洛中人は、それらの街を「京」とは認めていないが、洛中人をさらに増長させる。


洛中の老舗の跡取りは、京都大よりも洛中にある同志社大に行く人が圧倒的。



関西人ながら、京都人の意識についてはそないに知らなかったので、洛中人の洛外人への見下しには、驚きしかない。

ただ、京都に住んだ友人たちに言わせると、「京都人(洛中人)は観光客や学生には心を開くが、同じ住民としては極めて閉鎖的」らしい。


そもそも、御土居の存在を知ったのが数年前で、かつて御土居があった場所を歩くと、貧富の境界線がよく見えました。

大阪でいうなら、上町台地と西成の境界線に違い感じ。


また、マスコミも取り上げないドロドロとした差別意識について勇気を持って文書化された著者には敬意を表したい。





さて、最後に今回もやります『直観読みブックマーカー』。

前に読んだ本から哲学的問いをたててみます。。。


問い「やめることとは?」


答え「くりかえすが、律令政府は日本を四つの地区にわけた。都、あるいは畿内からの遠近による区分けである。都から遠い国ぐに、近い国ぐに、なかほどに位置する国ぐに、そして畿内。この四つに分割した。」(101ページ)


解釈「国家は、過去に各地域の境界線や地名を何度も何度も変更してきた。国家ですら、その時々でその決まり事を変えていくのだから、我々個々人は自分の中の決まり事を変えていいのだ。なので、勇気を持って、やめるべき時にはやめよう。」


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