「誤解だらけの明智光秀」本郷和人 | 乱読家ぽちんの独り言

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明智光秀について、「良質な史料」が残っているのは信長に仕えての10年間に過ぎず、それ以前は謎が多い。


わかっていることは、、、

名前は明智光秀である。

どうも、美濃の出身らしい。

四十歳くらいまで、下級の武士だった。

教養があって、なぜか医学の知識もあるらしい。

奥さんは、妻木の出身らしい。


土岐家の庶流であるとの根拠は無い。

光秀が生まれたと伝承されている城は、美濃に4つもある。

享年は、55歳、67歳、42歳の説があり。

キッカケは不明だが、朝倉家康の下級武士として寺に住んでいたようだ。

医学をいつ、どこで学んだのかは謎。


本能寺の変の諸説は

パワハラ事件からの遺恨説。

天下人を目指した野望説。

身体の衰えからくる前途悲観説。

信長のエスカレートを止めたかった非道阻止説。

信長に理不尽に四国征伐を止められたからとする四国説。

朝廷を越えようとした信長を阻止した朝廷黒幕説。

後に天下を取った者が黒幕と考える秀吉・家康黒幕説。

足利義昭の名による足利義昭黒幕説。

など、いろいろあるらしい。


今年の大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれている「人間味のある」「頭の良い」「義理堅い」明智光秀。

まあ、大河ドラマの主人公はこの要素が揃わないと視聴率が上がらないので(笑)。


我々一般人には、光秀が実際はどんな人だったかの真実を探求する役割は無い。いろんな諸説で展開される歴史ドラマを楽しめばいいと思う。

本能寺の変については、諸説あるようですが、きっと複数の要因があるのでしょうね。


いずれにしても、戦国の世なので、部下をマネジメント出来なかった信長に最大の原因があるのでしょう。


知らんけど(笑)