娘(中3)息子(中1)2児の母です。

習い事をきっかけに息子が小6で『PTSD』

診断。その後、二次障害で『強迫性障害』

発症。息子、小6秋から不登校になり、

続いて娘も不登校に。


習い事のはじまり〜今までの

日常で辛かった事、子供たちとの関わりを

お話させていただいています。


子供たちがまた、心から笑って

過ごせる日を願う母の日記です。

前回のお話

はじまりの続き その13『僕も頑張っているのに……』 


1番最初のお話

はじまり『あの頃は楽しかった』 



 
 息子、小学6年生の6月。



 県大会では2位で終わり、
 優勝できずに終わった事が
 先生は気に入らず……。
 
 息子は、ものすごい剣幕で
 会場入口の隅で
 先生から暴言を言われていた……。
 観客席でみんなから離れ、
 席に
 1人で、ポツン……。
 と、背中を丸めて
 下を向いている息子の姿に
 私は、たまらなく心が痛く…
 切なく感じた……。


 少し離れた席に座って、
 息子より1つ学年下の選手には
 「よく頑張ったね!良かったよ!」と
 笑顔で褒め称えている
 先生の光景が、
 息子にとっては
 とても、悲しく…悔しく…
 この場から離れたいくらいの
 心境であっただろう……。


 数十分してから、
 先生は、
 周りにいる選手に、
 「何か、あそこで1人で座ってる人いるから
 こっちに座るように呼んできて。」
 と、先生が息子の方を見て
 笑いながら言っていた。

 先生が、
 「てめーみたいな奴は、ほんと
    使えねー奴だなぁ!」
 「もう、喋りかけてこないで!」
 「近づいてくんじゃねー!!」
 と、2位で終わった息子に
 怒鳴っておきながら、
 周りの選手を使って、
 息子に
 皆、まとまって座るように
 指示を出し、
 息子は、すぐに立ち上がり
 先生もいる、
 みんなの所に行き
 一緒に座った。

 先生は、息子に言った。
 「そんな1人であんな所に座ってると
 まるで、いじめてるみたいじゃん。」
 と、笑ってた。

 息子は、
 「すみません…。」
 と、謝っていた……。


 いつもそうだった。


 
 上の大会(全国)へ
 行けば行くほど、
 選手の気持ちが緩まないようにと、
 甘えや、笑顔は必要ないとし、
 その選手に対しての
 先生の扱いは
 容赦なかった。
 全国へ行けば、
 レベルの高い選手達が
 集まり、
 求められる事も違ってくるからこそ
 技術への厳しさは
 必要だと私も思っていた。


 しかし、
 今までの選手にも、
 息子にも、
 先生は、技術面の厳しさというより
 先生の思う通りにならないと
 容赦なく、
 子供たちへの
 人格否定する暴言が酷かった……。
 先生は、
 自分の感情をいつも
 抑えられなかった…。
 先生の一生懸命さは分かるが、
 そのせいで、
 精神的に追い詰めてしまう選手も
 少なくはなかった……。
 

 6月の県大会を終え、
 7月には、
 もう一つの予選会、
 全日本への予選会があった。
 野球でいう、
 甲子園レベルの大会への予選会だ。

 
 この年の予選会では、
 レベルを上げ、
 息子が出場するクラスは
 中学生が相手となる。
 小学生と中学生では、
 体つきも違い、使う技のレベルも
 違う。
 この出場メンバーの中での、
 上位は難しいが、
 良い経験として挑戦した。


 
 この大会でだった。


 
 息子と同学年で、
 いつも息子より成績の良い選手が
 この大会で、息子と同じクラスで
 出場していた。

 
 私は、
 「あの選手も息子のように
 毎日、厳しく指導をされながら
 良い結果を残しているんだろうな…。
 辛い過酷な練習を耐えて
 いるんだろうな…。」
 と、ずっと思っていた。


 だが、全然違っていた……。
 私は、この大会では、
 息子を見ながら、
 他のクラブの
 先生と選手の様子を
 ずっと観察していた。

 
 なぜなら、
 息子が毎日、暴言を吐かれ、
 息子が息子ではなくなってしまっている様子が
 心配でたまらなかったから……。
 息子も、
 今までの先輩たちのように
 なってしまわないか……。

 
 『他のクラブの強い選手も
 同じような感じであれば』
 と、どこかで自分への安心というか
 日頃の息子への指導方法への
 確認を自分の中でしたかった……。


 私は、他のクラブを見ながら
 自分の目を疑った……。
 
 
 
 息子は、
 いつも試合会場でも
 先生の目を常に気にしていた…。
 少しのミスでも大会では
 許されないから。
 そして、
 ミスをした後は、どうなるか……。
 痛いほど息子は、
 経験してきたから……。

 
 しかし、
 息子よりいつも成績が良く
 ひと足先に、日本強化選手になっている
 同学年の彼は、
 息子とはまったくの真逆で、
 試合中、
 ミスをしてしまっても
 先生の所に笑顔で向かい
 そんな先生も彼に対して、
 『どんまい!』
 と、いう感じでミスをした彼を
 責める様子ではなく
 気にしないよ!
 これも経験!
 と、彼に伝えるかのように
 彼の背中をポンポン!と叩き
 彼の気持ちに寄り添う対応をしていた。
 『今』ではなく、
 この先も彼がやり甲斐を感じながら
 ずっとこのスポーツを
 続けていける事を
 大切にしてくださっていた。

 それに比べ、
 息子のクラブは、
 いかに自分のクラブの名を
 有名にし、自分のクラブ選手として
 活躍するかを重視され、
 選手は、クラブの道具として
 扱われていた……。
 2位はダメ…
 優勝にしか
 興味を示さない先生たちだった……。
 
 
 笑う事、話す事さえ
 練習中は許されず、
 出来て当たり前とし、
 技が出来ても褒めてもらえた事など
 1度もなく、
 失敗をすると
 「使えない奴、無駄な奴、」と、
 人格否定され続けてきた息子とは
 全てが違う
 先生と選手の関係だった。

 
 大人は、
 試合会場では、
 自分の都合の良いように
 他のクラブの先生や、偉い先生が
 いらっしゃる会場では、
 いつもは見せない笑顔や態度をし、
 その場限りの対応をするが、
 子供は違う。
 子供は、いつもと同じ対応を
 先生に対して会場でもする。


 
 この大会で、
 先生より子供たちを観察していると、
 普段からどんな指導をされているのか、
 先生と選手の関係性はどうなのか、
 知る事ができた……。


 それと同時に
 このままでは、息子も
 先輩たちと同じ事を
 してしまうかも知れない…。
 

 私の中で、
 『今のクラブではなくても
 今のスポーツはできる』
 と、今まで考えた事もない
 選択肢が私の心に宿った瞬間だった…。



 この日の大会は、
 ミスする事なく終え、
 良い経験となった。
 


 その翌日から
 休む間もなく、
 今度は、1週間後にある
 各県大会予選を突破してきた選手が
 秋にある小学生全国大会に出場する
 権利を勝ち取るための予選会があり、
 それに向けての
 過酷な1週間の練習が始まった。
 
 
 この大会こそ、
 息子が目標としている
 小学校生活最後となる全国大会であり、
 「全国優勝」、「日本強化選手」をかけた
 大会となる。 


 全国大会をかけた大会への
 練習は、今までの中で1番過酷な
 1週間の練習だった…。

 そんな中、
 1週間後の試合会場までの
 車での移動、3時間について……。
 
 息子は初めて私に言ってきた。

 「車、2台で行くんだよね?
 できれば先生とは別々の車で
 移動したい…。
 大会前くらいは、
 気持ちを落ち着かせていたいから…。」
 と、息子は私に
 切実にお願いしてきた…。

 
 息子も、
 この大会のために長年をかけて
 努力をしてきたからこそ
 試合前に、
 自分の心の中に先生への恐怖心が
 入り込まないように
 したかったのだ……。


 
 息子、
 小学6年生の8月だった。



 
 つづく


 
最後まで読んでくださりありがとうございました。