「希望格差社会ー『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」 山田 昌弘 | 明治書院

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「格差」とは誰が誰に発する言葉なのか?どの階層の人がどの階層の人に向けて言った言葉なのだろうか。

言葉はどんな時も無限で、その効能は果てしなく大きいものだ。

日本という国が他国と明らかに違うと僕が感じるところ、それは「言葉」というものが意味や効能を二の次にし、形を整えるだけで内容がどこまでも曖昧であるという点だ。

日本の経済、教育、産業、政治。何を目指して、その為に今何を行えば良いのかということを示せないから、誰かに何かを発信したい、表現したい、誇示したい、価値ある存在と認めてもらいたい、という欲望だけが表面化するのだ。

格差とはただの言葉だ。

実態の分析や状況の把握(社会全体の)も大切だが、今、自分が任されている仕事を100パーセントの意識で取り組んでいるのかが最優先であるはずだ。それが友人や他社、道行く人々と比較して優位に立っているという認識なしではモチベーションが保てない、そんな人が実はたくさんいるのではないだろうか?

「この仕事は俺しかできない」という考えでいるから、外された時に自分の価値を疑うのだ。

僕は「この仕事は僕じゃなくてもできる。僕がいなくなっても誰も困らない。だから今、誰かの為に何ができるか?」を考える。

僕自身に価値などない。

だから他者に向かうのだ。働きかけるのだ。何をどういうふうに働きかけるのか、それが「希望」であると思う。

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