「増補 小さな物の諸形態 精神史覚え書」 市村 弘正 | 明治書院

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20世紀は、異質な他者への暴力が抑制なく発揮された悲惨な時代であった。そこを生きた人々が、人間と社会の根本を指し示す語としてつかんだ言葉が「友情」であるなら、「友情」という語は、まっすぐに現代に突き刺さってくる。

世紀は変わっても、人間社会の暴力と抑圧は変わっていないからである。

筆者の求める「友情」が例えば、一国のトップ間で行使された場合、その他多勢の人々にもたらされる指針はどういうものになるのだろうか?

筆者の言う「感情の幅を広げる経験」とは、互いに覚悟が必要なのである。

「どうしようもなく寂しかったり、悲しかったり、恐ろしかったり、そういう辛くて強い感情から自由になりたい」そう感じた時、人は己を見つめるのだ。

だが己を見つめ続けるのは、しんどいので他者や外部を批判し、自己肯定する。それによる一時的な安心感と解放感は本物ではない。その時、日本という国は便利さを優先し、手ごろな満足感で紛らわすという方法や選択肢を四六時中、四方八方に用意した。

同じような境遇、同じような考えの人々を増やす教育をし、不幸や傷をお金に換えることができるシステムを構築したのだ。

それが「感動ドラマ」「貧乏ドラマ」である。

常に自意識を刺激し続け、確認し合う(幸福ではないが、決して不幸ではない自分)だけの日常が平和である、という刷り込みが完了している中で、若者が社会に飛び込んで行く、自ら選択していき、他者と混じり合うことで新たに発見できる自分に喜びを感じ、生や存在を実感する事を魅力的と思えるだろうか?

筆者が日本以外の国を例に出すのは構わない。

その内容を咀嚼し、自分のリアルと重ね実感し、理解する。けれど届かない何かがある。
この本に対して、不満足なのだ。

今のところ、それが何かわからない。

増補 小さなものの諸形態 精神史覚え書 (平凡社ライブラリー)/平凡社


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