今日は久しぶりに仕事が休みです。

昨日は体調がすぐれず学校へ行けなかった次男くんも、今日は朝から元気に出かけていきました。

昨晩バイトを無事にこなした長男くんは、今日は静養の日と決めているらしく、友達とスカイプとやらで話しながらPS3を楽しそうにやってます・・・



時々、寝ている私を気遣い、昼を用意したり、お姑さんのとこに行ったりしてくれてます。



外は 雨で天気は荒れているけれど、耳にIPodを突っ込んで癒しの音楽をきいている私は、今とても平穏な気持ちです。


今まで、いろいろ息子たちのためにためにと、考えすぎていました・・・自分で自分にノルマを課して、誰も頼んでないのに何かしようとあせってました。

でも、子どもたちはなぜ病気になったのか・・・それは頑張りすぎて疲れてしまったからです。

だから、今は、本来のエネルギーを取り戻すために休んでいる。休めと身体が訴えている。

私が無理やり動かそうとした彼らの心は、拒絶反応でもがき苦しんでいました。

でも今次男は自分のペースで、自分のことを自分で決めて、自分なりにがんばっています。

今長男はとても穏やかに笑っています。

私は何にイライラしていたのでしょう。自分の手を止めてみたら、自分が休んでみたら、わかったような気がします。



一番大切なことは、心の平静を保つことだと・・・・

息子たちが起立性調節障害になって初めて、気づいたことがあります。

それは、いままで、子どもの自立を促そうと思いながらも、知らず知らずに子どものやることを先回りして言ってしまっていたこと。。。



ある思春期外来の先生のHPに「黙る、信じる、先回りしない」という子どもを自立させるための三つの言葉が載っていました。

そのとおりだと思いましたが、実行するのはとても難しい。

すべてを子どもに決めさせること。間違っていると思っても否定せずに失敗して覚えるまで見守ること。こうしたら?ああしたら?といちいち提案しないこと。



結局、親の私が、安心したいだけの行為や言動なんですよね。



小さいころ、父親に怒鳴られ、支配されることがあんなに嫌だったのに、よく考えたら、今の私は自分の思い通りになってほしいと、子どもたちに提案することで、子どもたちの自由な発想を妨げ、コントロールし、結果的に支配していたのかもしれません(泣)。



自分で考え、自分で選び取った人生なら、きっと後悔はしないし、頑張れると思うんです。


そうなってほしいと願いながら、その足を引っ張っていた自分に、今は日々、反省です。。。

おひさしぶりです!桜もあっという間に咲き誇り、今はほとんど葉桜に・・・この分だと夏もすぐそこなのでしょうか・・・地震はいつまで続くのでしょうか。



私事ですが今日からまた日曜劇場で「JIN」が始まりましたね。大沢たかおさんの演技が好きです。今回は幕末の動乱の中でさまざまな有名人と出会い、仁先生はどうなっていくのでしょうね!久しぶりに日曜日が楽しみになりそうです!


今日のドラマの中で、「神様は乗り越えられる試練しか与えない!」というせりふがありました。

歯を食いしばって、あの子どものように私も小さいころ、つらいことにぶつかるといつも口にして心に言い聞かせていた言葉でした。

小学生のころから、学校の行きかえり、どうか今日も試練に立ち向かえますようにって祈ってる子でした。

先生や、周りの友達がそんなに怖かったのかな・・・?



私の人生は、親が怖くて甘えられず、学校ではいい子と呼ばれ、私の意思など関係なくいつもクラスの代表。

担任にひいきされていじめられたこともありました。



そんな自分のすべてがいやでした。中学に入ったら絶対なめられないように頭悪そうに決めてやる!などとへんな意気込みに一人燃えていたものです・・・


皆さんは、「神様は必要な試練しか与えない」という言葉、どう感じるのかな?いろんなご意見あ待ちしてます!