2月11日の「スーパーサッカー」に
引退を発表した小倉隆史さんが出演。
司会の極楽とんぼの加藤氏が
「ケガがなければもっと活躍できたと思いますけどねえ。」
と、誰もが言いたくなる、そして
最も言ってはいけない言葉を言ってしまったのですが、
小倉さんは
「ケガも僕なんで。」
と穏やかに、しかし毅然と答えていました。
深い。深いなあ。
サッカーに詳しくない方の為にお話しますと
小倉隆史選手は四日市中央業工業高校時代に帝京高校と
高校サッカー史上に残る激戦の末、両校優勝。
ゴール前での強さ、テクニック、ひらめきを併せ持ち、
「レフティモンスター」の異名で注目を浴びます。
名古屋グランパスに入団後、オランダの二部リーグにレンタル。
結果を残し、完全移籍の打診を受けるもグランパスと
日本サッカー協会から呼び戻されました。
中学、高校時代に年代別日本代表と縁がなかった小倉選手としては
日本の代表としてオリンピックに出られること、
オリンピックで活躍してヨーロッパのチームに移籍すること、
に熱い想いをもっての帰国だったようです。
そして小倉選手を中心にオリンピックのチームは編成され、
予選前にタイで調整することに。
しかしその練習中、空中にあるボールを
ヘディングで処理して着地した瞬間、
ひざの靭帯を断裂。
グラウンド整備の不備が原因でした。
その後、オリンピック日本代表は
小倉選手抜きで予選を突破。
オリンピック本戦に間に合わせるため、
急いで復帰を果たした小倉選手は
再度同じ箇所に怪我をしてしまいます。
それからの選手生活は怪我の状態と相談しながらの
ものになります。
時折、怪我の前を思わせるようなするどく、
質の高いプレーを見せるものの、
シーズンを通して活躍することができず、
名古屋グランパスエイトを解雇。
その後は市原、東京V、札幌、甲府と
チームを転々としながら現役を続けていました。
そんな苦労の多い選手生活、
肉体的にも精神的にも苦しく、
「あの時、日本に帰ってこなかったら。」
「あの時、あの場所でジャンプしなかったら。」
「あの時、あせって復帰しないで完全に治していたら。」
と自分を責めることも何度もあったと思います。
そんなつらい想いをしながら、
~そんなつらい怪我も自分自身なんです~
という主旨の発言ができるなんて。
本当に深いです。
怪我にという人生を変える事件の精神へのマイナスの影響を
完全に克服できたから、言えたのではないでしょうか。
小倉さんは引退後、指導者を目指されるそうですが、
しゃべりも上手いし、キャラもいいので、
スポーツ系のタレントとしても活躍できるでしょう。
私の私見を言わせていただきますと、
そういった活動と平行して、怪我と付き合い続けた経験を
他のスポーツ選手はもちろん、学生や子供たちに
話していく活動もしていただきたいと思います。
きっとみんな勇気付けられるのではないのでしょうか?